書評『洗面器でヤギごはん』
私ごときが僭越ながら、ともどこかで思うのだが、久しぶりに書評なぞを。一週間ほど東京を離れるため、パソコンが使えるうちに書きたかった事は書いておこう、と思い立ったわけだ。
私は、「旅を語る人間」があまり好きではない。
それは、「旅を語る人間」たちが、過剰に自らの旅を美化し、また酷い時には「旅」そのものを神格化する傾向にあるからだ。旅の持つ非日常性により現実感が鈍磨され、何か自分が「大層な事」をしてきたかのような錯覚に陥る。実を言えば、私自身にもそういった経験がある。「旅」とも呼ぶのは憚られる、些細な海外旅行の経験をさも大仰に人に語ってしまったのだ。何と浅はかな事か、と今では思っている。
それは行き過ぎれば「旅をしたことがない者には、我々の気分はわからない」といった傲慢な理屈にも変化しうる。或る意味ではそれは人間の想像力の可能性に対する冒涜ととれなくもない。経験至上主義は、現在の私には今一つしっくり来ないのである。
旅をテーマにした紀行文には、往々にしてそういった傾向があるため、私は紀行文自体をあまり好んで読まない。
だが、本書『洗面器でヤギごはん』は、その呼び方が適切なのかどうかを別にして、紀行文なのだ。或いは紀行文として売られている。作者を直接知る身贔屓を別にしても、本書は十二分に一読に値する本である、と私は読後感じた。
著者石田ゆうすけ氏の第3作目にあたるのが本書である。彼は7年以上の時をかけ、自転車で世界を一周した。その経験を自らの3作の中で綴っている。(処女作は『行かずに死ねるか!』、第2作目は『いちばん危険なトイレといちばんの星空』)これら彼の3作に共通する大きな魅力の一つに、「どこかで醒めた旅に対する認識」というものがある。私のような紀行文嫌いが強い興味をもって読み進められるのも、彼のそのいささか特異な認識ゆえである。
旅の感動を綴るのは、或る意味では簡単なのだ。しかし、旅の価値を見失い、煩悶する自己を表現しようと思えば、それは容易ではない。
著者の筆致が最ものってくる時、それは、旅の最中にうじうじと煩悶する自身を表現している時である、と3作を通して私は感じている。異文化に触れ、それを受け止めきれない自分を発見した時に、彼はうじうじと思い悩む。そういった描写を見るにつけ、私はにやりと微笑み、いいぞ、と心の中で呟いてしまう。読者は一方的に無責任で偉そうなものだ。
煩悶する主人公、という事でいけば、私は本書の中のアフリカ編「少女とパン」をお勧めしたい。腹を空かせた少女にパンを渡した直後、主人公は何か自らが「物を恵んでやっている傲慢な人間」のように思えて煩悶する。少女と主人公の間には金網がある。まるでそれは空間を隔てるだけでなく、もっと象徴的な、人と人との隔絶を表すものであるかのように感じるのだ。
貧しい者に物を恵む事は、決して悪い事ではない。しかし、人は時として「善い」と言われる事をしている時には傲慢になる。その事に、主人公である筆者は強烈な自己嫌悪を感じるのだ。そういった煩悶は、とても好感が持てる。これもまた傲慢な言い方になるが、「そうあってほしいよなあ」と私は心の中で呟いてしまうのだ。
さて、本書は、「食」という側面から世界一周旅行を綴った本でもある。この事に最後に触れたい。
ここまで読んでいただければ、大方の人は察しはつくであろうが、私は紀行文同様、グルメ本も嫌いである。私が自らのブログ内でこうして本書を熱烈に薦めるのは、当然ながら本書は一般的なグルメ本と一線を画すからだ。
「食」を人間の根源的行為の最たるものと捉えた本書の切り口は、読者である私に非常に心地よい。主人公がアフリカのマリという国で、体調不良の為に食堂の食事を残して立ち上がった時に、周囲にいた子どもたちが両脇に飛び掛ってきた後のシーンに以下のようなものがある。
「なにか恐ろしいものを見ているようだった。彼らはごはんだけじゃなく、肉の食いつくされた骨にまでむしゃぶりついているのである。彼らは飢餓でやせ細っているわけじゃない。だが、『子どもの食欲』は少しも満たされていなかったのだ。
その飢えかたにショックを受けながら、しかしぼくの中に同情や憐れみはわいてこなかった。このとき胸に迫ってきたのは、人間業とは思えない彼らの敏捷さや、食うことに対する強烈な執着への、畏怖の念だった。獣のように骨にむしゃぶりついている子どもたちの姿には、生命がむき出しになっているような凄みがあった。食うことは、生きることなのだ。切実に、そう思った。」(『洗面器でヤギごはん』146ページ)
日本という国に住む私は、しばしばその事を忘れてしまう。そうなのだ、食う事と生きる事は、ダイレクトに繋がっている。その事を改めて思い直させてくれる本書は、それだけでも存在価値があると言って良い。
私はこれらの感想を、著者である石田ゆうすけ氏に直接メールで送ろうかと思っていたのだが、せっかく「人に薦めたくなる一冊」なのである、こうしてブログで衆目に晒す。
興味を持った方は、是非、ご一読を。
私は次回は彼のフィクション(創作)が、読みたい。
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