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2007年5月

2007年5月31日 (木)

音楽研究

草木も眠る丑三つ時、全く可笑しな時間に目が覚める。普段より随分と早い時間に寝た影響なのはわかっているのだが。林檎のジュースが冷蔵庫にあったので、それを飲む。美味い。最近、果実のジュースがとても好きだ。100%果汁のジュースはどれも大抵美味い。そして私は変に目が冴えてしまう。

音楽に関するメモを少し。

昨日は久しぶりの何も予定のない休日であったので、朝からひたすらにピアノの練習をする。その時に気付いた事。

ジャズという音楽は、基本的には他人の褌で相撲を取る音楽だ。多くの演奏がスタンダードナンバーという既成のフォーマットを借りて、独自性を表現する。私自身はこれはクラシック音楽の形態に、或る意味では類似している、と思う。譜面というフォーマットに縛られているせいで独自性を表現出来ないクラシック音楽奏者などいないのと一緒だ。

となると、その曲に対する理解というのはとても重要な話になってくるのではないか、というのが私の見解だ。以下、曲に対する理解を深める為の私が考える最低限の条件を。少なくとも私のような才能に恵まれていない凡人には、こういった事がとても大事なのだ。才能溢れる方々は、鼻で嘲笑っておいて頂きたい。

また、今回はなるべく精神的な話に入らないように書きたい。表現する精神が、とか、人生経験が音に反映され、とか、そういった事は確実にあるのだが、もう少しシステマティックな、技術的な話を中心に。

まず、当然の事だが譜面の暗譜という事はある。元々ジャズの譜面は単なる目安程度のものなので、覚えるのはさほど苦ではない。基本的なメロディーと基本的なコード、これらを暗譜しておく事は重要である、と私は考えている。演奏中に譜面を目で追わなくて良いという事は、若干の余裕にも繋がりうる。出て来た余裕は、共演者とのコミュニケーションに費やしたり、自らの音を更に深く聴く集中力に費やせば良い。それは、とても大事な事なのだ。

次に、イメージという問題がある。例えば「枯葉」というスタンダードナンバーを言われた時に、頭の中にいくつかの名演(それはあくまで個人的であっても構わない)から導き出されたイメージが浮かんだ方が良い。模倣が創造を生む典型的な例だ。そしてそのイメージは多岐に渡れば渡るほど良い、と私は思っている。オスカー・ピーターソン・トリオによる「枯葉」、ナット・キング・コールの歌う「枯葉」、マイルス・デイヴィスとキャノンボール・アダレイによる「枯葉」、ビル・エヴァンス・トリオによる「枯葉」…それは無数に存在する。いかにそれらが明確に脳裏に浮かぶか、というのは重要な事だ。どれだけたくさんのレコードを聴き込んできたかによって、この点では大きな開きが出る。

以上は今までも意識していたポイントなのだが、今日気付いたのは、歌詞の問題だ。歌詞を知る、また歌詞を覚えるというのはとても大事な事のように、今日、私は感じた。歌を歌わない、楽器だけを演奏する人たちは、意外なほどに歌詞を知らない。でも果たしてそれで良いんだろうか、というのが今日の私の気付きである。

歌詞を知ることにより、フレーズの歌い回しが自然になる。それは当然だ、頭の中で歌詞が流れているのだから。更にもう一つ重要なポイントとしては、英語のアクセント・発音発声によって脳内で歌詞をイメージする事により、日本語的リズムから一度離れる事が出来る。これにより、演奏にこれまで感じる事の少なかった「英語のリズムによるフレージング」というものが生まれる。英語の発声を綺麗な発声に近付けていけば、流麗な都会的ジャズになる。吃音を激しくすれば、田舎臭いブルーズの発音になる。やはり私は後者により強い興味を持つ。こここ、これからはわわわ、私はどどど、どもっていこうとお、お、お、お、お、おもいます。あまり秘密を明かすのも癪だが、要するにこのどもっている部分が「タメ」に繋がるのだ。もうこれ以上は企業秘密にしておこう。危ない危ない。

最後にもう一つ、その曲にまつわる発生と流布の歴史を知ることが大事だ、と私は考えている。その曲が生まれた背景には何があったのか。作者の意図は何だったのか。その曲は人々にとってどのような意味を持つ曲として今日に残存しているのか。特に最後の部分については、「知らなかった」ではすまされない事も多々ある。例えば「アメイジング・グレイス」という曲の持つ意味、これを知らないと、場所によっては大変な事になる。「知らなかった」ではすまないのだ。それは「知るべき事」であるのだ。また、それを知ることによって、曲に対する理解(或いは想像力と言った方が正しいのかも知れない)は更に広がる。

受け手にまわるならば、そこまで深く考えずとも良いのかも知れないが(つまり「音を楽しむ」のが「音楽」なのだから)、作り手にまわろうと思えば、そういった労力を惜しんではならない、と私は考えている。労力、というのは何か可笑しいか。私は今日改めて気付いた。こういった「曲の研究」がかなり好きである。実際それによって演奏は変わる。面白いものだ。

ちなみに今回の研究対象は「Bourbon street parade」と「When you're smiling」。暫くは脳内鼻歌ヒットパレードの上位に君臨し続ける事でしょう。

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2007年5月25日 (金)

いつもの公園で

自分語りが滑稽なのは承知の上で、私が高校生の時の頃の事を少し。

現在、週の内の何日か、錦糸町という所でアルバイトをしている。私の暮らす小岩から電車で4駅、西に向かった所にある。今から10年以上前、私はこの錦糸町駅からほど近い、両国高校に通っていた。

幸いにして入学から3年で卒業出来たものの、私は高校にはさして良い思い出がない。端的に言えば、当時の私は漫然とし、そして鬱屈としていた。それは無論、停滞期である現在と比較してもそうである。三年間、と取り敢えず決められた高校生活は何やら永遠のもののように思われ、私はそこから逃げ出す事ばかりを考えていた。

今となれば、取るに足らない些細な問題なのだが、そこには幾つかの原因が考えられる。一番大きかったのは、私は高校に入った途端に、所謂「落ちこぼれ」となったという事だ。

中学生の当時は、さしたる努力をした記憶もないが、勉強は人並みよりも出来た。矮小な自尊心は、その事でいくらかは満たされていた。それが高校に入学した途端に一変した。

授業中に教師が黒板に書く数学の数式や英語の英文が、まるで遠い星の言語のように思えた。周囲の高校生達が難なくそれを理解していく様子を見て、私はひどく惨めな気分になったのを覚えている。次第に、高校へは行くものの、授業中にはひたすらに小説を読み耽るか惰眠を貪るかして過ごすようになり、それにも飽きれば、近くの公園で日向ぼっこをして一日を過ごすようになっていた。

都立高校の中でも有数の進学校なだけに、私の高校入学を周囲の人間達は祝福したが、実態は決して祝福されるべき状態ではなかったのだ。その見当違いな祝福を受ける度に、私は僅かな自尊心と大きな罪悪感の中で揺れた。

憂鬱な気分を紛らわす為によく行った公園に、アルバイトの休憩時間を使って約10年ぶりに行ってみた。首都高が頭上を走る。それを雨除け代わりにしていたのだ。

潤んだ目で週刊漫画雑誌を眺めるホームレスの隣のベンチに腰を下ろした。ホームレスは私を一瞥したきり二度と私の方を見ようとはしない。私はコンビニエンスストアで買ったパンを頬張る。

何やら感傷的になっている自分が鬱陶しくなり、苦笑が漏れた。

雨が、ずっと、降り続けていた。

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2007年5月24日 (木)

街は変わらない

久しぶりの更新。京都での滞在を終えて東京に帰る。

大学時代の友人たちにあまり会えなかったという後悔はあるものの、それなりに充実した滞在となる。約一週間の滞在中に、私は何度「ぎやまん」と「Lush Life」(共に本ブログ内のリンク参照)に行くのかというほどその二店に通った。昼に「Lush Life」でコーヒーを飲みつつレコードを聴き、夜は「ぎやまん」で酒を飲みつつクダを巻く。幾つかのライブも非常に充実したものとなり、陳腐な言い方になるが、京都は私にとって癒やしの場となった。

不思議なものである。

以前、京都出身、現東京在住の大学の先輩と以下のような会話をした。

私が「京都で出会った人々には大いに感謝をしているが、京都という土地自体には微塵も感謝していない」と言うと、「それはお前がきちんと京都で暮らした証拠だ」と彼は言った。京都という土地には、観光雑誌で謳われるような魅力以上に、もっとおどろおどろしい負の側面が内包されている。よく言われる排他的側面のみならず、未だに根強く差別社会の現実も確固として存在している。それは、私のような余所者ですら感じた所である。一般に言われる「観光地として神格化された京都」には、私は常に強い懐疑の念を抱いていた。もっと有り体に言おう。私は京都という土地が嫌いであった。

途中で外国に行ったり東京で少しだけ暮らしたりはしたものの、実際私は約10年の時を、その京都という「嫌いな土地」で過ごした。それは、ピアノの師匠を筆頭にした「京都で出会った人々」に、私が並々ならぬ好意を抱いていたからに他ならないとは思っていたのだが、今回の一週間の京都での滞在中、私は図らずも京都という土地自体にも癒された。

皮肉な話だが、その快適さや穏やかな感情こそ、私が京都を離れた事の確かな徴し(しるし)のように思われた。

四条河原町の中途半端な喧騒、鴨川河畔の不自然な自然、住み慣れた北大路界隈の寂れた商店街。

それら全てを私は好意的に受け止めてしまった。

京都が変わった訳ではない。私の中で何かが変わったのだ。たった数ヶ月の間に。

それは、成長などという立派なものではない。しかし何かしらの変化ではある。

流れていく。

流されていく。

不安な気持ちになると同時に、私は少し愉快になった。

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2007年5月17日 (木)

前田智徳的世界観

昨日、ほんの少しなのだが、私の生活が前に進みそうな兆候が見えだした。詳細はまだ書けない。全てが決まった訳ではないから。

2ヶ月ほど前に東京にやってきた時、自分ではある程度覚悟を決めたつもりだった。それは「音楽で食う」という覚悟だ。当然そこには、望まざる事もしなければならないという覚悟は含まれて然るべきだが、イマイチ私はその覚悟が甘かったのかも知れない。望まざる事がいくつか続いた事に、自ら失望したりもしたし、不貞腐れてピアノの練習をサボってプレステ2で「実況パワフルプロ野球」なぞに興じてしまった日もあった。それは更に私を落ち込ませ、生活の泥濘へと私を引きずり込んだ。何者かになりたくて、けれど何者になれば良いのかすらわからなかった惨めな十代を思い出した。今なら私は何者にもなる必要はない、と思えるのだが。

プレステで広島カープの前田智徳を操作しながら、私は自分がひどく惨めなような気がしていた。ゲーム内の前田が必要以上にシュアなバッティングをするのが、余計に私の惨めさを際立たせていた。私はゲーム内の前田智徳ではなく、現実世界の前田智徳のように、自らのバッティングをひたすらに追求するサムライになりたかった筈なのに。

東出、嶋、新井、栗原、梵、黒田、佐々岡、大竹、永川、そしてサムライ前田。彼らは「野球で食う」為に様々な事を我慢してきたに違いない。ここ1ヶ月ほど、広島カープが好調なのは、個々人のそういった地道な研鑽の上に成り立った結果だ。黒田、野村謙二郎、サムライ前田らといった特殊な例を除いて、優秀な選手はすぐに他球団に移籍する(主犯格は巨人と阪神だ)。代わりに誰かが補充される訳でもない。少し前では江藤、川口、ロペス。最近では金本、シーツ、木村拓也。みな赤ヘル軍団だったではないか。小笠原と谷と小坂と木村拓也が今現在同じチームというのは、どう考えたっておかしい。そのメンバーで負ける方が難しい。

けれど彼らは腐らずに野球を続けたのだ。努力を続けたのだ。今年広島カープはシーズン3位(もしくは2位)からプレーオフを勝ち抜き日本シリーズ出場、更に日本シリーズでは天才前田、男黒田が持ち前の短期決戦での勝負強さを発揮して日本一に輝く予定なのだが、日本シリーズ出場が決定した時点で、恋人を無理やり広島に連れて行って、共に赤いメガホンバットを振ろうと思っている。彼女は阪神を応援しているらしいのだが、そういった意向は全て無視する。

いやいや、野球話に偏ってしまった。そうだ、私はまた彼らのように、何があっても腐らずにピアノを弾き続けなければならない。

今日の敗者は明日の勝者だ。とにかく時代は変わっている。(ボブディラン)

夜行バスに乗る暇つぶしに、携帯からブログに駄文を更新していたが、そろそろバスは京都に着く。さようなら。時代は変わっている。

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2007年5月16日 (水)

書評『洗面器でヤギごはん』

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私ごときが僭越ながら、ともどこかで思うのだが、久しぶりに書評なぞを。一週間ほど東京を離れるため、パソコンが使えるうちに書きたかった事は書いておこう、と思い立ったわけだ。

私は、「旅を語る人間」があまり好きではない。

それは、「旅を語る人間」たちが、過剰に自らの旅を美化し、また酷い時には「旅」そのものを神格化する傾向にあるからだ。旅の持つ非日常性により現実感が鈍磨され、何か自分が「大層な事」をしてきたかのような錯覚に陥る。実を言えば、私自身にもそういった経験がある。「旅」とも呼ぶのは憚られる、些細な海外旅行の経験をさも大仰に人に語ってしまったのだ。何と浅はかな事か、と今では思っている。

それは行き過ぎれば「旅をしたことがない者には、我々の気分はわからない」といった傲慢な理屈にも変化しうる。或る意味ではそれは人間の想像力の可能性に対する冒涜ととれなくもない。経験至上主義は、現在の私には今一つしっくり来ないのである。

旅をテーマにした紀行文には、往々にしてそういった傾向があるため、私は紀行文自体をあまり好んで読まない。

だが、本書『洗面器でヤギごはん』は、その呼び方が適切なのかどうかを別にして、紀行文なのだ。或いは紀行文として売られている。作者を直接知る身贔屓を別にしても、本書は十二分に一読に値する本である、と私は読後感じた。

著者石田ゆうすけ氏の第3作目にあたるのが本書である。彼は7年以上の時をかけ、自転車で世界を一周した。その経験を自らの3作の中で綴っている。(処女作は『行かずに死ねるか!』、第2作目は『いちばん危険なトイレといちばんの星空』)これら彼の3作に共通する大きな魅力の一つに、「どこかで醒めた旅に対する認識」というものがある。私のような紀行文嫌いが強い興味をもって読み進められるのも、彼のそのいささか特異な認識ゆえである。

旅の感動を綴るのは、或る意味では簡単なのだ。しかし、旅の価値を見失い、煩悶する自己を表現しようと思えば、それは容易ではない。

著者の筆致が最ものってくる時、それは、旅の最中にうじうじと煩悶する自身を表現している時である、と3作を通して私は感じている。異文化に触れ、それを受け止めきれない自分を発見した時に、彼はうじうじと思い悩む。そういった描写を見るにつけ、私はにやりと微笑み、いいぞ、と心の中で呟いてしまう。読者は一方的に無責任で偉そうなものだ。

煩悶する主人公、という事でいけば、私は本書の中のアフリカ編「少女とパン」をお勧めしたい。腹を空かせた少女にパンを渡した直後、主人公は何か自らが「物を恵んでやっている傲慢な人間」のように思えて煩悶する。少女と主人公の間には金網がある。まるでそれは空間を隔てるだけでなく、もっと象徴的な、人と人との隔絶を表すものであるかのように感じるのだ。

貧しい者に物を恵む事は、決して悪い事ではない。しかし、人は時として「善い」と言われる事をしている時には傲慢になる。その事に、主人公である筆者は強烈な自己嫌悪を感じるのだ。そういった煩悶は、とても好感が持てる。これもまた傲慢な言い方になるが、「そうあってほしいよなあ」と私は心の中で呟いてしまうのだ。

さて、本書は、「食」という側面から世界一周旅行を綴った本でもある。この事に最後に触れたい。

ここまで読んでいただければ、大方の人は察しはつくであろうが、私は紀行文同様、グルメ本も嫌いである。私が自らのブログ内でこうして本書を熱烈に薦めるのは、当然ながら本書は一般的なグルメ本と一線を画すからだ。

「食」を人間の根源的行為の最たるものと捉えた本書の切り口は、読者である私に非常に心地よい。主人公がアフリカのマリという国で、体調不良の為に食堂の食事を残して立ち上がった時に、周囲にいた子どもたちが両脇に飛び掛ってきた後のシーンに以下のようなものがある。

「なにか恐ろしいものを見ているようだった。彼らはごはんだけじゃなく、肉の食いつくされた骨にまでむしゃぶりついているのである。彼らは飢餓でやせ細っているわけじゃない。だが、『子どもの食欲』は少しも満たされていなかったのだ。

その飢えかたにショックを受けながら、しかしぼくの中に同情や憐れみはわいてこなかった。このとき胸に迫ってきたのは、人間業とは思えない彼らの敏捷さや、食うことに対する強烈な執着への、畏怖の念だった。獣のように骨にむしゃぶりついている子どもたちの姿には、生命がむき出しになっているような凄みがあった。食うことは、生きることなのだ。切実に、そう思った。」(『洗面器でヤギごはん』146ページ)

日本という国に住む私は、しばしばその事を忘れてしまう。そうなのだ、食う事と生きる事は、ダイレクトに繋がっている。その事を改めて思い直させてくれる本書は、それだけでも存在価値があると言って良い。

私はこれらの感想を、著者である石田ゆうすけ氏に直接メールで送ろうかと思っていたのだが、せっかく「人に薦めたくなる一冊」なのである、こうしてブログで衆目に晒す。

興味を持った方は、是非、ご一読を。

私は次回は彼のフィクション(創作)が、読みたい。

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2007年5月11日 (金)

約二ヶ月ぶりな訳だが

ライブ、である。

私ごときがライブをさせていただく。約二ヶ月ぶりに。

9年間を過ごした京都を出るときに、「じゃあ五月にちょこっと京都に来ますんで、ライブさせてください」と言って入れたスケジュールである。

その時は私は少しだけ考えていた。「でも、東京で暮らし始めたら、引っ張りだこのピアニストとして多忙になるわけだしなあ、ちゃんと京都に帰ってこれるかなあ」

杞憂。そして苦笑。そして羞恥。

何が引っ張りだこか。私は4月以降、相変わらず仕事の殆どないピアニストではないか。馬鹿者。

けれどライブが出来る。嬉しくて仕方がない。

詳細を以下に。

久しぶりに人前に立って、ほんの少し普段より緊張しているであろう私を笑いに来て欲しい。人と笑い合いながら、音楽の空間を共有したい。ジャズを、聴きに来て欲しい。

5月18日(金)深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:岩井繭子 b:鶴賀信高 pf:福島剛
久しぶりのライブ、一発目は、大好きなドラマー、「ケン坊さん」こと村上健三郎氏が経営する「ざぶざぶ」から。ケン坊さんは、暇な時は我々のバンドに飛び入りしてドラムを叩いてくれたりもします。忙しい時は、美味しい料理を作ってくれます。良い店です。
19:30~start music charge:1500円

5月21日(月)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
ds:田中久仁彦 b:鶴賀信高 pf:福島剛
前回は「テンポ200以下の曲はやらない」なんていうアホな展開を見せた「クニヒコ」と「ガーツル」とのトリオ。今回も激しくいきます。お店は、在京時からずっとお世話になっているGreenwichHouse。客席が少ないので、10人入ると満員になります。ご注意を。
20:00~start  music charge:カンパ制

5月22日(土)岩倉cafe jinta
tel 075-724-2534
http://www.cafe-jinta.com/
vo:岩井繭子 pf:福島剛
昨年岩倉に出来たcafe jinta。もう早くも「カレーの美味い店」として有名になりつつあるみたいです。流石だな。この日は、18日にもトリオで共演する予定の岩井繭子とのデュオで。演奏の内容はがらっと変わることと思います。ぼくのソロの曲も何曲かあります。まあそれはカレーにおける福神漬けぐらいのオマケですが。
19:30~start music charge:1000円

ちゅうことです。関西の皆様、どうぞ宜しく。(勿論、日本各地どこから来て頂いても嬉しいわけですが)

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2007年5月 9日 (水)

イカ臭さが漂う

悪事のはたらける人間が好きである。

いささか逆説的な言い方になるが、犯罪者が好きなわけではない。今日は徒然の政治の話だ。キーワードは二つ。「リスク」と「覚悟」だ。

追い詰められた場面で悪事の出来ないクリーンな政治家を、私は信用しない。それは、或る意味では信念のなさである、と私は考えている。

自らがどうしても成功させたい政策があったとしよう。そしてその政策を遂行するためには一定額の金が必要であったとすれば、そこで政治家はいくつかのパターンに分類されるのではなかろうか、と私は考える。私の考えうるいくつかのパターンは以下だ。

A:あくまでもクリーンな手法で金銭を稼ぐ。それを可能な範囲で政策に投じる。

B:クリーンな方法では満足に足る金額には達しないと悟り、諦める。

C:或る程度の財力を持つ人間をバックにつける為に奔走する。

D:法律スレスレどころか、法律を秘密裏に犯してでもその金額をかき集め、政策を成功させる。

ここまでの私の意見どおり、私が最も信頼するのはDの政治家である。その資金集めの際に法律の網に引っかかり、仮に逮捕されたとしても、私はそういった信念の元になされた犯罪ならば、割と評価してしまう。そもそも私にとって「いけない犯罪」(実はこれも定義が難しいのだが。とりあえず)とは、

・人を殺す

・強姦をする

・ものを盗む

・賤しいドラッグ(覚醒剤等)の他人への強要

ぐらいのものなので、政治資金集めのための裏工作など、大いにセーフティだ。

閑話休題。なぜ私がそういった「犯罪を犯してまで信念を貫こうとする人間」を過大に評価するかと言えば、そこに見える「覚悟」ゆえである。何かを成功させようと考えた時、そこに「リスク」は必然である。その「リスク」を負う「覚悟」のない者に、何が掴めようか。そういった意味で、極端な話だが、私は「自らの目標の為ならば悪事すらも厭わない」という人間を評価する。リスクを負う覚悟を持った人間のみが、自らの意志を具現化させられる。リスクから逃げる人間は、所詮何も出来やしないのだ、というのがケツの青い私の見解だ。ゆえに現在のわが国日本の総理大臣に関しては、私は何一つ評価をしない。彼には覚悟が微塵も感じられない。が、それは以下略としよう。

無論、純然たる悪事は評価されるべきではない。親鸞の教えにもある通り「万薬あればとて毒を好むべからず」である。それは言うまでもない事なのだが。

最後は少し政治の話から逸れる。私にはきちんとリスクを負う覚悟があるのか。最近それを常に自問自答していた。まだまだ覚悟は中途半端にも思えた。私はリスクから逃げようとしているかのようにも思えた。

しかし、そうやって自問自答している事、その事自体がリスクから逃げている事に他ならない、と当面の結論に至った。つまり、うじうじと貧窮している暇があるならば、何かアクションを起こさなくてはならない、と。

人生の先輩でもあり友人でもある作家の石田ゆうすけ氏のweb上のコラムに、数日前、彼の上京当時の様子が綴ってあった。そこには、リスクを覚悟したものだけが到達出来る、すがすがしいまでの「無謀さ」が綴られていた。

私は今、誰から無謀と言われようと、私の成功を誰一人信じていなかろうと、やるべき事があるのだ、と襟元を正した。

すごく小さいけれど、明日はその一歩だ。私は今、明日の失敗を恐れている。けれど、それでもやらねばならぬのだ。

本日は極めてイカ臭い、自慰日記である。

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2007年5月 7日 (月)

世界の中心で下ネタを叫ぶ

地下鉄半蔵門線の中で、鉄板で童貞であることが推測される「鉄板童貞(TPDT)」の一団を見かける。恐らく中学生である。

私は童貞指数が人一倍高い上に、精神年齢の成長は中二でストップしているので、彼らに対して異常なまでの親近感を抱いてしまう。私は出来る事ならば彼らの輪の中に入り、下品なトークを共に楽しみたかった。激しくそれを欲した。しかしそれは叶わなかった。Too shy shy boyっぷりをここぞとばかりに発揮してしまった。残念である。

仕方なく彼らの話に耳を傾けた。あまり大声で話していた訳ではなかったので、聞き取るのはいささか困難であったが、それは珠玉のトークであった。「童貞万歳っ…!」私は心の中で強く思った。

彼らはクラスメートの女子であろう「くりたさん」という女の子の話をしていた。

「あいつさー、誰に対しても何かと笑顔じゃん?あれで全てごまかそうとしてねえ?そんなにかわいくねえのに」と童貞Aが言う。

「でもさー、俺たちあんまり女子たちと喋んねえじゃん?あいつみたいな存在は確かにボランティアっぽい所はあるけど貴重だよなー」と童貞Bが言う。

「俺さあ、あいつの事『クリちゃん』って呼ぶ時に微妙に興奮すんだよねー。この間なんか軽く股間が元気になったもん。」とグループ内の下ネタ大王的なポジションにいるのであろう童貞Cが口を挟む。すると一同、「それは当然だろー」と同調ムード。もっと下品な呼び方はないだろうかと彼らなりに頭をひねる。が、そこは中学生。ダイレクトに下品なあだ名以外は思いつかない。

下品あだ名付け会議が一段落すると、彼らは品評会に移った。電車の中から駅のホームにいる女性たちに点数をつけ始めた。どうやら10点満点らしく「おおっ、8点!」やら「残念、4点」やら呟いている。何と素敵な遊びだ。私は仲間にいれてほしくて仕方がなかった。

それに飽きると、彼らは「女性論」を語り出した。彼らの一人が言う「そもそも女っていう生き物はさあ」という枕詞が私のツボを激しく刺激する。「童貞っ……万歳っ……!!」と私は再び心の中で強く呟く。

錦糸町駅で私は乗り換えであったので、半蔵門線を泣く泣く降りた。さらばTPDT、今日も手淫に励めよ。そんな事を思いながら。錦糸町駅で私の出身高校の名も知らぬ後輩達を見かける。制服が特徴的にダサいので、一発で両国高校生はわかる。そして私が通っていた頃からそうであったが、両国高校生男子の9割は童貞の雰囲気を強固に身に纏っている。実際、高校生の私も本気印のガチ童貞であった(今もそうだが)。童貞万歳。両国高校生を見ながら私は再び呟く。

世界を回しているのは、間違いなく童貞達である。その認識を曖昧にする輩は、一生地を這う。(最後は利根川風)

改めて。童貞、万歳。

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2007年5月 4日 (金)

ゆえに呑んでいる

午前1時。私は今、あたりめをしゃぶりながらパソコンのキーボードをカタカタと叩いている。傍らには、一本400円程度の安くてまずい赤ワインがある。明日(日付的にはもう今日だ)は一週間ぶりに腐れバイトが休みだ。何ゆえ呑まざるをえんや、と反語で表現したくなるほどに呑むべきだ。ゆえに呑んでいる。のまのまいえい。

朝、早起きが出来たので、それなりに(と言っても二時間程度だが)ピアノを練習する時間がとれた。バイトの昼休みには、いつも独りで公園に行く。バイト先にいても、ひそひそ話+失笑のコンボがむかついて仕様がないので、公園で呆ける事にしている。その公園タイムにも、きっちりと楽典の勉強が出来た。蝸牛の歩みほどに本当に僅かながらだが、前に進んでいる。ゆえに呑んでいる。

明日は一日ピアノに向かおうと思っている。真面目ぶるわけではないが、元来私は練習が好きなのだ。ピアノをいじっているのが単純に好きなのかもしれない。ちんこいじりと同程度に。ゆえに、明日の練習が愉しみで仕方がない。エロール・ガーナーのコピーを何曲かしようと思っている。ゆっくりと時間をかけて譜面を書くのだ。そしてあの強烈な左手と珠玉の右手を、微かでも盗むのだ。人からもらった大量のマイナス・ワン(ジャズのカラオケCD)もあるので、家でCDとセッションもしようと思う。やつらは何回同じ曲をセッションしても愚痴一つ言わない。明日は『Donna Lee』と『I got rhythm』と『Stella by starlight』を10回ずつやつらとセッションしよう。愉しみだ。ゆえに呑んでいる。

安い酒が美味い。

来週には、音楽のテストがある。少しでも私の生活が良い方に変われば良いのだけれど。

そしてもう一本、あたりめをしゃぶる。

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2007年5月 3日 (木)

ジャズ喫茶に行きたい

音楽を始めてから、日々の練習以外に私が日常的に行ってきた一つの習慣がある。

ジャズ喫茶通いである。

殆どは京都出町柳にあるジャズ喫茶「LUSHLIFE」でそれはまかなわれた。私の音楽生活に欠かせない存在が、「LUSHLIFE」というジャズ喫茶だったのだ。

私は怠け者なので、家にいる時はあまり集中してレコードが聴けない。何だか注意力散漫になってしまうのだ。電話が鳴ったりメールが来ると、そちらに注意をとられてしまう。家にいると、徒然の物思いに耽ってしまう時がある。私にとって、あまり自宅というのは音楽を集中して聴く環境には適さない。それは一人で暮らしていた時もそうであったし、家族と暮らしている今もそうだ。

私は今ジャズ喫茶通いをしていない。何ともさびしい話である。そして侘しい。「今、何がしたいか?」と問われれば、「ジャズ喫茶に通いたい」と私は答えるかもしれない。

東京近郊に住む方でこのブログを読まれている方でご存知の方がいるならば、良ければ私にこっそりとオススメのジャズ喫茶を教えていただきたい。1900~1950ぐらいの年代の良質な黒人音楽ばかりがかかるジャズ喫茶を私は切望している。つまり「LUSHLIFE」に匹敵するジャズ喫茶を私は切望している。

うむ、きっと無理なのだろう。

さて、最後に。

友人のブログに、私の好きな石川啄木の詩が載せられていたので、私もそれを真似て転載。今の私の気分に非常にぴったりとくる。

家にかへる時間となるを

ただ一つの待つことにして

今日も働けり

~悲しき玩具~

そういえば私の卒論は「待つ事について」であったな。

うむ、支離滅裂である。

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2007年5月 2日 (水)

再びやってきた渇望

書くことがないし、もうブログを辞めようかな、なんて弱気な事を書いていたら、暖かいコメントを頂いた事に先ほど気付いた。携帯のメールにも暖かい励ましのメールを頂いた。

嬉しいなあ。

確かにちょっと色々と弱気になる事もここの所多くて、気分は塞ぎがちだった。

最近の他者に対する不愉快な気持ちを慇懃に表現するならば

「あのー、そのアナタ様の御鼻筋を形成してらっしゃいます骨をですねえ、何と言うのでしょうか、鼻骨でございますか、その鼻骨をですねえ、ま何と申しますか、私の拳で粉砕させていただくと言いますか、砕かせていただくと言いますかですねえ、そうさせていただければワタクシめの抱えておりますストレスが幾分でも和らぐか、と思いまして・・・いやいや!ワタクシめごときが抱えておりますストレスなどタカが知れておりまして!腹に脂肪を抱えた上にストレスまで抱えるなんて事は恐縮至極に存じますが、もし出来ればですねえ、そのようにさせていただきたいなと考えておる次第です、ええ、こんな事を申しまして恐縮ではございますが・・・!」

「あのー、ぶち殺させていただいてよろしいでございましょうか?」

とか色々あるのだが、上述の暖かいコメントやメールの数々で、私は随分と救われた。単純な人間である私は、その不愉快な感情すら、プレイの一環だと思い直すようになれた。実名を出すのは若干気が引けるので、イニシャルトークでお茶を濁しますが、S原さん、U田さん、I田さん、本当にありがとうございます。とてもとても感謝しております。って、これじゃイニシャルにしてる意味はねえなあ。

日々ライブをしていた数ヶ月前よりもずっと、私は音楽を渇望している。ジャズを渇望している。それはそれで、良い事なのかも知れない。

たかがブログだが、されどブログだ。たかがメールだが、されどメールだ。私は3人の優しい男たちに強く癒された。幸せだ。

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