« 五個荘写真 | トップページ | mojowest 最終回 »

2007年3月12日 (月)

Thelonious Monk

セロニアス・モンクについて少し。

これから気が向いた時にだけ、様々なミュージシャンに対するエッセイを書いていこうかとふと思い立ち、第1弾はセロニアス・モンクについて。ただし、モンクについて書くとなれば、あまりにもその背景には様々な要因が存在するため、今回はモンクの最晩年の事を中心に。

先ほどまで、ジャズ喫茶「ラッシュライフ」で、全部で三枚あるモンクのラストレコーディングの内の一枚を聴いていた。

そのレコードは「簡素」の記録であった。モンクは、彼の死の約十年前、まるで無の境地のような演奏を記録していた。

通常、演奏には何かしらの「意志」が働く。感情も働く。それは決して悪いことではないし、極めて当たり前の事だ。むしろそういったものが無ければ、演奏は破綻する可能性が高い。任意の或る一方向に向かうための原動力となる意志、時としてそれを統一するためにジャズバンドは四苦八苦し、その苦労ゆえに素晴らしい音楽が生まれたり、下らない音楽が排泄されたりもする。

そのラストレコーディングであるモンクのソロピアノの演奏、そこではそういった一般的な音楽の成立過程を超越した所で一つの芸術的活動が行われている、私はそういった印象を抱いた。

その演奏の印象を月並みな言葉で表現するのは、私自身が先ほど感じた感動を損なうような気さえするので、非常に慎重になりたい所だが、私の乏しい語彙では以下の言葉しか見当たらない。

それは、極めて自然であった。

無為自然。そういった仏教用語を用いるのも何か違う気がする。モンクは、驚くほどに自然であった。

音楽を紡ぐための不純物となる意志は、微塵も感じられなかった。まるで周囲の空気と一体となるかのように、訥々と、モンクはピアノを弾いていた。彼のアイドルであったJames・P・Johnsonのような流麗なストライドピアノではないが、それでも左手は確実なストライドを刻み、そして虫の鳴き声のような自然なフレーズを右手で紡ぐ。ジャズ・ピアノが辿り着く一つの境地がそこには在った。

私は最晩年よりももう少し前、1950年から1970年ぐらいまでのモンクを聴き慣れている。その為、最晩年のその演奏にはいささかの違和感を抱いた。

私の知っているモンクならば、ここでこういったフレーズが入ってくるのだが。

私の知っているモンクならば、ここではもう少しタメが入るのだが。

そのモンクは、私が知っているモンクとは、少なからず異なった。

しかし、一番重要なポイントは以下である。

それは、確かにモンクであった。

モンクは、その生涯を通じて「モンク」というジャンルの音楽を演奏し続けた。それはJames・P・JohnsonでもなければFats Wallerでもなかった。無論Art Tatumでもなければ、Bill Evansでもない。モンクが演奏していたのは、一貫して「モンク」という音楽であった。

上に書いたように、「モンク」という音楽ジャンルの中においては変化はあった。しかしそれは「モンク」という音楽を構築する上では必然の変化であり、その変化の上に「モンク」という音楽ジャンルは成り立った。

レコードが終わり、針がプツプツと音を立て始めた辺りで、私は大きく一つため息をついた。それは、モンクの最晩年の演奏を集中して聴き終えた者のみが味わうことの出来る、歓喜のため息であった。半ば上気しながら、私は聴き終えてから数時間が経った今現在でも、そう自負することが出来る。

|

« 五個荘写真 | トップページ | mojowest 最終回 »

ジャズ・ミュージシャン」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« 五個荘写真 | トップページ | mojowest 最終回 »