少し、さようなら
たった今から京都を発つ。
それなりに感慨深いものがある。
しかし、それ以上に今は眠気が勝っている。新幹線からの更新はおそらく達成されない。ひたすらに、寝るつもりだ。自戒の意味も込めて、簡単に更新。
これからも数ヶ月おきに関西へはやって来るとは思うが、とりあえずは一つの区切り。
色んな人に、ありがとう。
18歳の春に京都へ移り住んで来た時の私と今の私とは、少し違う。9歳、年をとった。腹も出た。そして少しだけ大人になった。
色んな人に、ありがとう。
たった今から京都を発つ。
それなりに感慨深いものがある。
しかし、それ以上に今は眠気が勝っている。新幹線からの更新はおそらく達成されない。ひたすらに、寝るつもりだ。自戒の意味も込めて、簡単に更新。
これからも数ヶ月おきに関西へはやって来るとは思うが、とりあえずは一つの区切り。
色んな人に、ありがとう。
18歳の春に京都へ移り住んで来た時の私と今の私とは、少し違う。9歳、年をとった。腹も出た。そして少しだけ大人になった。
色んな人に、ありがとう。
数日間更新が滞る。努めて、あくまで他人事のように書かねばならない。そう、滞っていたらしいが何か問題でも、といった具合に強気に。
引っ越しもいよいよ最終段階。現在昼の3時過ぎだが、5時に大家立ち会いのもと、最後の部屋の引き渡しをすれば全ては終わる。
今日明日とありがたい事に送別会が続く。今日は私がやっていたピアノトリオ「ネ副(NEZOE)」のメンバーであり、音楽の大先輩でもある椿原氏、副島氏両氏が私を送別してくださるそうだ。大先輩ながら気さくな両氏との食事であり、私も今から楽しみでならない。
明日は夜半から大学時代の柔道部(私はピアノを弾く前は柔道をしていた)の先輩方と送別麻雀大会。レートは低めでお願いしたい。レートとはもちろんビスケットのビスコの事だ。これもまた久しぶりの麻雀という事もあり、何より世話になった先輩達との語らい、楽しみだ。
明後日には京都を発つ。再び京都の思い出を綴ろうとは思うが、それは新幹線の中からにする。
今日と明日は、楽しんでくる。ただひたすらに。
4月からは、忙しくなる。
最近またこの私のブログに、不愉快なトラックバックやコメントが多発している。消すのが面倒くさい。全部英語のワケのわからないトラックバックをしてくるヤツ、頼むから今すぐ死んでくれ。
さて、今日街頭で選挙演説を聞いた。無論見知らぬ政治家だ。彼は力強く日本の年功序列制度を批判していた。私は彼に向かって石を投げたくなった。投げなかったが。
能力至上主義という傲慢を、私は心より憎む。無能の者には生きる価値などないと言うのか。
そしてその能力至上主義ヒエラルキーの上辺にいる者達の気持ちの悪いほどの自己肯定。貴様たちのその「優れた能力」など、所詮は人間のレベルの中での団栗の背比べに過ぎない。驕るな。見下すな。
私が政治家として立候補した暁には、「無能の者を赦す社会作り」を政策に掲げる。年功序列万歳。終身雇用万歳。
そんな政治家はいないんだろうか。
書こうか書くまいか迷った話題を、迷った末に書く。
鴨志田穣氏、永眠の報。腎臓がんだという。
鴨志田穣氏、彼について知らない方の為に簡単に説明すると、彼はカメラマンで小説家である。20代や30代の前半ほどにカメラマンとして戦地を巡り、その時の経験を元に幾つかの小説を書いた。「アジアパー伝」や「酔いが覚めたら家に帰ろう」などの著作が有名である。
しかし、残念ながら、彼の紹介の手段として最も有効なのは以下の一文である。
「鴨志田穣、漫画家西原理恵子の元夫」
そう、彼は漫画家西原理恵子の描く「カモちゃん」として大多数の世間に認知されていた。これは複雑な気持ちもあるが、事実である。
西原理恵子(以下サイバラ)と鴨志田穣(以下カモちゃん)は、数年前に離婚をしている。原因はカモちゃんのアルコール依存症だという。
当時のサイバラの漫画にその様子はコミカルに描かれていたが、そのコミカルさが余計に切なさを誘った。夫婦とは、家族とは、といったサイバラが描き続けてきたテーマが、実生活を媒体にして作品に反映された。
家族ってなんだろね。ぼくはわかりあえなくても良いって思ってる。
(「ぼくんち」より)
サイバラは、カモちゃんを「わかろう」としたのではなかったのに違いない。きっと、ただ単純に「赦し」たのだ。
カモちゃんがガンの告知と共に余命宣告されて以来、サイバラはカモちゃんと再び生活を共にしたのだという。カモちゃんはサイバラにどこまでも惚れ込んでいたし、惚れた女の下で死なせてやろうという、サイバラの心意気だ。
カモちゃんは、惚れたサイバラの下で死んだ。幸せだったのだろうか。私にはわからない。けれど、幸せであってほしい。そう願う。
カモちゃんの葬式(身内による密葬らしいが)の喪主は西原理恵子とあった。
素晴らしい女だと、改めて感服した。
「痛がる人」が苦手である。少々の傷で大袈裟に被害者面をする人の事だ。
多少の傷は皆抱えている。痛みと共に誰もが生活している。自らを尊大な被害者として振る舞う人間は、醜いとまでは思わないが、格好が悪いと私は思っている。
昨日、交通事故に遭った。
救急車に載せられて搬送されながら、「ちょっと大層すぎやしねえか?」と我ながら感じた。頭を打った訳でもなければ腕や手に損傷もなかった。車にしたたか打ちつけられた左足が痛い以外は、何一つ問題はない。救急車の中で聞こえる「意識レベルは鮮明、血圧は上が115、下が90!」などという声が、とても他人事のように聞こえた。私は不謹慎にも救急車の介助女性に対して「お綺麗ですね」などとセクハラ発言をしながら楽しんでいたぐらいだ。
病院に着いてからもそれは同様だった。車椅子に乗せられた自分に違和感を感じた。いやいや、そんな大袈裟な、私は大丈夫なのに。そう感じていた。
先に書いたように、私は「痛がる人」であるまいと常に自覚をしている為、松葉杖を突きながら病院を出てからこう思った。「私はこうやって松葉杖を突いている姿を他人の前に晒す事で、人からただ心配されたがっているだけなんじゃないだろうか。私は今、痛がる人に堕していやしまいか」と。
気になった私は、一旦松葉杖を外して普通の歩行を試みた。その瞬間である。
鋭い激痛が私の左膝を襲う。痛みに顔が歪む。これはどういった具合なのか、自分でも皆目見当が付かなくなる。
その時に理解した。
今回の私の怪我は、「痛がっている」訳ではなく、確実に「痛い」。
しっかりと治していく所存である。
本日深草ざぶざぶです。
3/21(水) 19時半〜ざぶざぶ(京阪深草改札を出て西徒歩10秒)
岩井繭子vo、福島剛p、鶴賀信高b
music charge1500
京都を去る前のライブも本日を入れて残り3本。よろしく。
左肋骨の一番下の骨の内側辺りにある内臓は何なのだろうか。とにかくここ二ヶ月ほどずっとそこが痛い。
原因は何なのだろうと思っていたが、つい先ほど判明。酒だ。酒を飲んでいない時は痛くないが、酒を飲むと途端に疼く。
ここ二年ほどで10kgほど太った原因も、明らかに酒だ。酒はいかん。無茶な飲酒を続けた結果、首回りに赤黒い斑点が出来たりしたのを人に自慢気に見せていた自分を恥じる。節酒、或いは禁酒の必要性をかなり切に感じ始めている。汚い話だが、最近は小便も異常に臭い。
今日はずっと楽しみにしていたライブだ。ベースとドラムの素晴らしき御二方とは、正式なライブとしては初共演。フロントのボーカルの方は関西ジャズ界のゴッドマザー。共演は未だ二回目。客席には、高校生の頃から私が大ファンであった某作家先生がいらっしゃるとかいらっしゃらないとか。様々な要因が絡み合って、いやが上にもテンションは上がる。
明日のライブインフォメーションは、このブログ内の私の3月ライブスケジュールを参照頂いても良いのだが、再び以下に。時間や都合のつく方には是非いらして頂きたい。
出町柳カフェMAAM
(川端今出川下がる、ファミリーマート二軒南隣)
tel0757713190
20:00〜start
ボーカル市川芳枝
ベース木村知之
ドラム飛世昇
ピアノ福島剛
charge:2500円(1ドリンク付き)
体調を整えて、万全で望みたい。
今晩は、もう、飲まない。
昨日の事なのだが。
3月14日と言えば、何の日か。実はある偉大な物理学者の誕生日である。
アルベルトアインシュタイン。
1879年に彼は生まれたという。私が生まれたのが1979年だ。ちょうど100年の差があるという事を知った時に、何という事はないが嬉しくなった。
E=mc2
質量に光速の2乗をかける事によって導き出されるエネルギーに関するこの公式は、美しくすらある。
また相対性理論により、時間が遅れ、空間が縮む事を知った時、私は狂喜乱舞した。私の常識が覆される事は、かくも快感であったのか、と。
偉大なる物理学者よ、私は宇宙に飛び出したい。
モンクについて少々熱くなって書いてしまった後は、宣伝を少し。
明日、3月13日(火)は、北山モジョウェストにてライブです。数年前の開店以来、長年出演し続けて来たこのライブハウスにも明日で一区切りです。
とりわけここ一年間は、若いメンバーで固定して「熱い」サウンドを追求し続けて来ました。このバンドとしても、最後のライブになります。最初の内は噛み合わなさから少々苛立ちながらライブをする事もありましたが(それは自分の不甲斐なさに対する苛立ちでもあります)、ここ半年ほどは心底愉しくライブをする事が出来ました。メンバーの各位にも心から感謝の気持ちがあります。このメンバーで一年間演奏をする事が出来て良かったなあと思っております。
さて、最後のそのライブを宣伝。
3月13日(火)北山 mojowest tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
20:00~start music charge:カンパ制
1stセットは我々の演奏を、2ndセットからは、客もミュージシャンも入り乱れての大セッション大会にしようと思っております。どうぞ楽器(或いは声)を持ってご参加下さい!
セロニアス・モンクについて少し。
これから気が向いた時にだけ、様々なミュージシャンに対するエッセイを書いていこうかとふと思い立ち、第1弾はセロニアス・モンクについて。ただし、モンクについて書くとなれば、あまりにもその背景には様々な要因が存在するため、今回はモンクの最晩年の事を中心に。
先ほどまで、ジャズ喫茶「ラッシュライフ」で、全部で三枚あるモンクのラストレコーディングの内の一枚を聴いていた。
そのレコードは「簡素」の記録であった。モンクは、彼の死の約十年前、まるで無の境地のような演奏を記録していた。
通常、演奏には何かしらの「意志」が働く。感情も働く。それは決して悪いことではないし、極めて当たり前の事だ。むしろそういったものが無ければ、演奏は破綻する可能性が高い。任意の或る一方向に向かうための原動力となる意志、時としてそれを統一するためにジャズバンドは四苦八苦し、その苦労ゆえに素晴らしい音楽が生まれたり、下らない音楽が排泄されたりもする。
そのラストレコーディングであるモンクのソロピアノの演奏、そこではそういった一般的な音楽の成立過程を超越した所で一つの芸術的活動が行われている、私はそういった印象を抱いた。
その演奏の印象を月並みな言葉で表現するのは、私自身が先ほど感じた感動を損なうような気さえするので、非常に慎重になりたい所だが、私の乏しい語彙では以下の言葉しか見当たらない。
それは、極めて自然であった。
無為自然。そういった仏教用語を用いるのも何か違う気がする。モンクは、驚くほどに自然であった。
音楽を紡ぐための不純物となる意志は、微塵も感じられなかった。まるで周囲の空気と一体となるかのように、訥々と、モンクはピアノを弾いていた。彼のアイドルであったJames・P・Johnsonのような流麗なストライドピアノではないが、それでも左手は確実なストライドを刻み、そして虫の鳴き声のような自然なフレーズを右手で紡ぐ。ジャズ・ピアノが辿り着く一つの境地がそこには在った。
私は最晩年よりももう少し前、1950年から1970年ぐらいまでのモンクを聴き慣れている。その為、最晩年のその演奏にはいささかの違和感を抱いた。
私の知っているモンクならば、ここでこういったフレーズが入ってくるのだが。
私の知っているモンクならば、ここではもう少しタメが入るのだが。
そのモンクは、私が知っているモンクとは、少なからず異なった。
しかし、一番重要なポイントは以下である。
それは、確かにモンクであった。
モンクは、その生涯を通じて「モンク」というジャンルの音楽を演奏し続けた。それはJames・P・JohnsonでもなければFats Wallerでもなかった。無論Art Tatumでもなければ、Bill Evansでもない。モンクが演奏していたのは、一貫して「モンク」という音楽であった。
上に書いたように、「モンク」という音楽ジャンルの中においては変化はあった。しかしそれは「モンク」という音楽を構築する上では必然の変化であり、その変化の上に「モンク」という音楽ジャンルは成り立った。
レコードが終わり、針がプツプツと音を立て始めた辺りで、私は大きく一つため息をついた。それは、モンクの最晩年の演奏を集中して聴き終えた者のみが味わうことの出来る、歓喜のため息であった。半ば上気しながら、私は聴き終えてから数時間が経った今現在でも、そう自負することが出来る。
1998年、今から9年前、京都府立大学に進学するために、私は東京から京都へやって来た。別段、特別に行きたかった大学であった訳ではない。もう一つ合格していた東京の某私立大学とどちらにしようか悩んだ末、10円玉を投げて、その裏表で私は京都府立大学を選んだ。人生の重要な選択を、18歳の私は極めていい加減に選んだ。
その京都府立大学を、今春私は卒業する。今日、卒業認定者一覧の所に私の名前があった。勿論大学院ではない。普通の人達ならば4年で卒業することの出来る、学士の方だ。しかし、私は晴れて大卒という資格を手にした。今後一切学歴と関係のない世界にいく私が学歴を手に入れた所で何という事もないが、一つのけじめであるために、嬉しいものである。
9年という、この長期間には秘密がある。普通ならば8年が限界だろう、とお思いかもしれない。勿論、一番の秘密は、私の怠惰である。
もう一つの理由は、休学である。私は、2年間大学を休学していたのだ。
その間に私は何をしていた訳でもなかった。アジアをふらふらしながら、自分がどこへ行くのだろうか、自分は何者なんだろうか、そういった青臭い悩みをうじうじと抱えていた。そもそも、休学する時には、大学を辞めるつもりでいたのだ。つくづく私は格好悪い。
大学の勉強は、20歳前後の私には何一つ魅力が無かった。私は英文科であるが、致命的な事に英語が苦手であり、勉強は出来ず、それ故に大学から足が遠ざかった。
無目的にアルバイトをして、親から仕送りをもらい、その金を使ってケチな博打に明け暮れた。素面でいるのが怖いから、酒も毎日飲んでいた。
ピアノを弾き始めた当初も、あまり生活は変わらなかった。だらだらと、だらだらと、私は日々を浪費していた。
ある事があって、辞めるつもりの大学に復学してからも、一年間は私の生活は変わらなかった。
25歳ぐらいから、不思議に大学の勉強が急に愉しくなり出した。英語は相変わらず苦手だったが、英文学やアメリカ文学の愉しみ方が、何となくわかって来た。学校に行くのが、ほんの少し愉しくなった。本格的にライブ活動を始めたのもこの頃だったような気がする。色んな物事の歯車が、徐々にかみ合って、少しずつ回りだしてきたのかも知れない。
昨年から今年にかけては、たっぷりと勉強を愉しんだ。私の卒業論文はサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』について。「不確実な世界」について論じたが、結局は中途半端な論文に終わってしまった。それでも良いと思っている。愉しかったから。改めて、私は文学が好きなのだと実感した一年だ。
相も変わらず私は下らない人間である。私のような下らない人間を見て、眉をしかめる人も少なくない。それでも良いと思っている。人から褒められるのは確かに嬉しいが、それはあくまで副産物だ。人から白い目で見られ、批判されても、好きな事をやっている今は、私にとってひどく幸せだ。文学も音楽もとても愉しい。それで良いじゃないか。金なんていくらだって後から付いてくる。どこへも行けなかった20代前半の頃に比べれば、私の生活は見違えている。
4月から東京で暮らす。不安は勿論ある。それでも良いと思っている。最近付き合いだしたばかりの恋人と離れて暮らさなければならないのがいささか残念だが、何とかなる。楽観主義も度を越しているが、何とかなる。
私は晴れて大卒になった。何も意味なんて無いのだけれど。
ひどく久しぶりに日記を更新している気がする。ここの所、忙しかったと言えば忙しかった。だが同時に忙しくなかったと言えば忙しくなかった。単純なる怠惰の所産か。
さて、事務的な連絡から。
昨日、私は携帯電話を失くした。携帯電話がなくなった今、私の家には電話も無ければパソコンも無い。仮に私と連絡を取りたいという人がいても、今はなかなかに困難な状況にある。
手紙、電報、或いは狼煙。
そういった旧式な通信手段で連絡を取って頂いても結構だが、数日間は私のホットメールのアドレスに連絡を頂ければ有難い。このブログからもそのアドレスにメールが送れるように設定してある。右下の「メール送信」をクリックしていただくか、或いは左上の「プロフィール」のページにもメール送信はある。どちらでも構わない。
では、携帯電話紛失の、事の顛末を少し。
恐らく私が携帯電話を紛失したのは、滋賀県五個荘(ごかしょ、と読む)であろうと推測される。私は一昨日から昨日にかけて、滋賀県の五個荘に行っていた。
私がよく訪れる出町柳のジャズ喫茶「ラッシュライフ」のマスターが、五個荘に別宅を持っている。そこに行こうと誘われ、マスターと二人で行ってきたのだ。
自転車で。
マスターの趣味の一つに自転車がある。私はそのサイクリングに同行した、という訳だ。
往路は京都市北部から途中峠沿いに大原三千院を抜け、堅田から琵琶湖大橋を東方に横断し、その後はひたすらに田圃の畦道を走るというコース。約70km。
復路は琵琶湖大橋までは同様だが、堅田から南に下り、逢坂山を越えて三条通り沿いに京都に戻るコース。約90km。
大変であった。私の足や尻や腰や肩や腕は、今日、我が物ではないかのように筋肉痛である。日頃の極端なまでの運動不足を呪う。勿論、それ以上に愉しかったので、十分に良しとするが。
先日、私は紆余曲折あって9年間も通った大学の卒業が決まった。「ラッシュライフ」のマスターにその事を告げると、「卒業祝いにトンカツを奢ってやる」と言われた。私は喜んで「有難う御座います」と返すと、「ただしトンカツ屋は滋賀県の五個荘にあるから、そこまで自転車で行ってからな」との事だった。私は顔を引きつらせながら笑みを返したが、その恐怖のトンカツサイクリングが、一昨日と昨日にかけてあったのだ。そして恐らく私はそのトンカツ屋で携帯電話を紛失した。トンカツのあまりの美味さに、私はどうかしていたのかもしれない。
自転車に乗る人たちを、憧憬の念を伴って見る事がよくある。このブログにもリンクしてある作家の石田ゆうすけ氏などは、自転車のみで世界を一周してしまった仰天人間だが、彼にパキスタンで初めて会った時にも、私はその憧憬の念を感じた。昨年北海道へ鈍行列車でえっちらおっちらと行った折りにも、自転車で北海道を旅行する人々に憧憬の念を抱いた。その嫉妬にも似た感覚の根源にあるのは、「痛みの末にある未知の達成感」だと思っている。
改めてわかったが、自転車は「痛い」。これは比喩的な意味ではなく、実際的で即物的な意味において「痛い」のだ。無論、私の鈍りに鈍った体が原因でもあるのだが。まず最初にサドルに乗せた尻が悲鳴を上げ始め、次いで膝、腰、腕、背中、肩、と全身が悲鳴を上げる。昨日は特に寒かったので、寒さにも凍えはじめる。その肉体的な負担たるや、自動車とは雲泥の差がある。
しかし、その痛みが無価値な痛みであるかと問われれば、否である。痛みの末に飲むビール、或いは単なる水でも良いだろう、その美味さは月並みな言い方になるが、格別なものである。これが私から見た「未知の」達成感であったわけだ。
「知らない者」である私は、「知る者」である彼らを畏れる。その畏れが、嫉妬にも似た憧憬に繋がっていったのであろう。私はいつも自転車野郎たちに、何か後ろめたいものを感じていた。
たった二日間で、私が自転車野郎たちの仲間入りを果たせたとは毛頭思わない。しかし、私が感じていたその漠然とした後ろめたさは、この二日間で些かながら薄れた。私は五個荘の家で格別に美味いビールを飲んだのだ。それだけで、志の低い私はかなり満足している。
さて、携帯電話は出てくるだろうか。
宣伝です。
3月17日に、スペシャルなライブが決定しました。以下に詳細を。
3月17日(土)出町柳MAAM tel 075-771-3190
http://www.kyotozanmai.com/user/maam/maam/
vo:市川芳枝 b:木村知之 ds:飛世昇 pf:福島剛
再び芳枝さんとライブをさせて頂く機会に恵まれました。リズムセクションは関西最凶(?)メンバー。燃えない訳がありません。関西を離れる僕にとっても、最高の餞別です。心を震わせるブルーズを、熱い魂のジャズを是非聴きに来て下さい。見に来ていただければ、決して後悔はさせません。
20:00~start music charge:2500円with1drink
ちゅう事です。テンション上がりまくってます。
サッカーUー22、オリンピック予選、日本ー香港戦の結果をスポーツニュースで見る。
試合結果は3ー0で日本の勝ち。勝ちという結果だけを見れば、ひとまずの評価は出来る。しかし、しかしである。
拭えぬ違和感。
試合後のインタビューにおいて一番の怒りをぶちまけていたのは、監督である反町康治であった。
平山相太もカレンロバートも反省と無念の言葉を口にする。しかし、感情的ではない。一人感情的なのは、唯一反町康治である。
フリューゲルス横浜からベルマーレ平塚に到るまで、私は元々反町康治という選手が好きだった為、かなり評価は甘くなるが、しかしそれにしても今日の現状は困る。
反町監督が一番危機感を抱いていてどうする。
平山、ロバート、早く一番の危機管理能力を身に付けろ。俊輔、伸二、ヒデの後は君たちの時代だ。素晴らしい監督ではあるが、反町に、頼るな。
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