あらぶしゅぷりーむ
コルトレーンの『至上の愛』を大音量で流しながら家の掃除をするという、極めて近所迷惑な真似をしています。
コルトレーン、マッコイ、ギャリソン、エルヴィン、こいつら全員アホだ。
いやあ、掃除が捗らねえ。良いアルバムだ!
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コメント
わはは! こりゃ、迷惑だ。でも、いとおしいよね、コルトレーン。器用よりも不器用はいいすぎだけど、音楽にも当てはまる部分があるね。素人考えでは、なんかモードを勘違いしているのではないかと思うのですが(だからといって貶しているわけではない。正解なんてあるわけないし)、どんなもんだろう?
話変わって、気持ちと仕事が落ち着いたら、いつか飯でも。禁酒してるので、酒でも、といえないとこがもどかしいが。
投稿: 萬坊! | 2007年2月19日 (月) 20時34分
萬坊!先生へ
コルトレーンは愛おしいですね、先生の仰ること、よく分かります。決して美しい音色で吹く訳でもなく、天性のテクニックがあるわけでもなく(その代わり後天的なテクニックはすさまじいですが笑)、なのに我々多くの聴衆の心を打つ、というのは彼ならではですね。かなり自意識過剰な部分も含めて、もう大好きですね。
あとはコルトレーンバンド(マッコイ、ギャリソン、エルヴィンとのカルテット)、という存在が素晴らしいですね。不世出のバンドだと思います。エルヴィンが一番素晴らしいのはこのバンドにおいてである、と思っている所もありますし、マッコイに関しても同様な所があります、ぼくは。先生の言う「モードの勘違い」というのは、マッコイの独特のバッキングによるものも多いのかも知れません。
それと、いつか飯でも、とは何と有難いお言葉!本当に実現すれば良いなあ、と心底から愉しみにしています。
投稿: ふくしまたけし | 2007年2月21日 (水) 10時56分