H2O
初の女性か、初の黒人か。
無論アメリカ次期大統領選挙の話だ。俄かに報道にも熱が入り出したが、私としては今の所まだ何も言えない。勉強不足もあって情報が余りにも不足している故だ。
情報の捉え方に関して、評論家の吉本隆明氏が非常に興味深い事を言っている。
「酸素と水素」を見つければ「水」ができる。
つまり、分析したい問題を「水」として、「酸素と水素」にあたる情報が何なのかをうまく見つけることが出来れば、どこの国のどんな問題でもだいたい当たる(以上、吉本隆明『悪人正機』より抜粋)
との事だ。
非常に強く感心させられた。と同時に私は一つの言葉を思い出す事となった。
私は非常に好きな言葉であるので、折に触れて言及する宮沢賢治の言葉だ。
「けれどもし、おまえがほんとうに勉強して、実験でちゃんとほんとうの考えとうその考えとを分けてしまえば、その実験の方法さえきまれば、もう信仰も化学も同じようになる。」(宮沢賢治『銀河鉄道の夜』より)
ブルカニロ博士の言葉であるが、実は上記の言葉は補遺稿に収められたものであり、通常の『銀河鉄道の夜』には収められていない。私がこの言葉を知ったのは、奇しくも吉本隆明氏の著作からであるのだ。
吉本隆明氏は、自らの著作の中で度々上記の宮沢賢治の言葉に言及している。彼がこの言葉に拘る意図を、私は「酸素と水素があれば水が出来る」という所から更に噛み砕いて知ったような気になった。
つまり、酸素と水素がなければ水は出来ない、酸素と窒素では水にはならない、という事だ。
「ほんとうの考え」は、唯一酸素と水素だ。この場合、窒素や炭素は「うその考え」となる。
私はまだ、アメリカ次期大統領選挙に関してはきちんとした情報を仕入れていない。私にはまだ水は作れない、という事だ。つまりまだ何とも言い難い。きっとこの問題に関しては私は酸素と水素をより分ける事は出来ないのであろうが。
また吉本隆明氏の補足の言葉には、もう一つ興味深いものがあった。最後にそれを紹介する。
化学の理屈として、何か問題を分析する際に、必要な情報の中に「そういうことはあるだろう。あるって言っちゃってもいいぜ」っていうものを探して前提にすることがあるんです。(同『悪人正機』より)
H2Oは、あくまでも「前提」であるのだ。いやはや、面白い。
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コメント
政府・政治家を代表として、アメリカの権力組織ほど真相が定かではない、暴けないものもないでしょうね。ブッシュとゴアの大統領選では、本当は裏でどういうドラマがあったのか、興味深いところです。かなりの工作があったんだろうな。
水素と酸素がただ一緒にいるだけでは、水はできません。それらの正しい原料を見出しても、正しいくっつけ方、結合の仕方をしないと、うまく水を得ることはできません。それに、原料の取り扱いにも時に注意が必要。火種を近づけると、水素は爆発するからね。
投稿: くろ | 2007年2月17日 (土) 20時54分
吉本隆明さん、やっぱすごいね。
実は俺、こうみえて宮沢賢治をほとんどちゃんと読んでないんだよね。どこかでがんばらねば。
ところで、福島くんの中では吉本隆明と吉本新喜劇はどういう位置づけにあるのか。また暇で死にそうなときに、そういうテーマで書いてみてくれたまえ。
投稿: torii | 2007年2月18日 (日) 13時59分
くろさんへ
なるほどね。つまりきちんとした情報を仕入れた上で、その情報に対する「然るべき実験の方法」をもって処しなければならない、という事でしょうね。
アメリカ次期大統領選に、完全なるオープンさとクリーンさを求める事は不可能です。けれど、少しでもアメリカが戦争大好き国家でなくなれば良いのですが。
投稿: ふくしまたけし | 2007年2月18日 (日) 14時38分
toriiさんへ
吉本隆明さん、好きですね。「共同幻想論」とか「言語にとって美とは何か」とかの頃のゴリゴリの彼も良いんですけど、最近の吉本隆明翁もかなり好きです。僕は多分一番「信頼している」評論家ですね。
賢治は良いですよ、最高です。文学における賢治の位置付けとジャズ(音楽)におけるモンクの位置付けはかなり近い、と思ってるんですよね。
それと吉本隆明さんと吉本新喜劇ですか。わかりました。ちんこいじりしかする事がないときにでも書いてみます。
投稿: ふくしまたけし | 2007年2月18日 (日) 14時45分