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2007年1月23日 (火)

リンダリンダラバーソール

大阪は高槻に向かう電車の中である。携帯電話から。

高槻で本日はライブだ。そこに向かっている。

電車に乗る前に、極限の空腹を満たす為にパンを一つ買う。買いに入った店は、コンビニより小さく、駄菓子屋より大きい、所謂「何とかマート」とかいう類いの店。白髪だらけの髪の毛に、髭を伸ばし放題にしたオッサンが、店内で缶ビールを飲みながら店主に管を巻いていた。残しておきたい日本の素敵な光景の一つだ。法律で保護するべきだ。

さて、先ほど大槻ケンヂ著「リンダリンダラバーソール」読了。今から10年と少し前にあった「バンドブーム」を描いた彼の自伝的小説。ジュンスカイウォーカーズ、Xジャパン、ユニコーン、ブルーハーツ、そして筋肉少女帯。私自身はバンドブーム終焉直後に青春時代を過ごしているので、まさしく「世代」という訳ではないのだが、上記に挙げたバンド名は、当然全て知っている。「世代」の人達ほどではないだろうが、無論幾らかの懐かしさを伴いながら読み進めた。

大槻ケンヂと言えば、元筋肉少女帯のボーカル、現特撮のリーダーという事も勿論だが、メディアへの露出も多いのでご存知の方も多いだろう。日本の文科系ミュージシャンの先駆けのような存在である。

彼のバンドにまつわる成功談や失敗談もそれなりに面白かったが、私の心を打ったのはそれ以外の所にあった。

キーワードは2つ。「表現欲」と「コマコ」である。

「表現欲」という事について。

彼の書いた文句で私の印象に残ったのは、「本当は表現するべきものなど何も無くて、表現したいという欲求だけがあったのかも知れない」という一文。

スケールの話で比べれば遥かに小さな話だが、私も「表現する者」である。その私に対して、ある意味では核心を突く言葉であった。

(ここまで書いた所で電車は高槻駅へ。続きはライブ後に)

ライブ終了。帰りの電車の中。今日も良く疲れた。

さて、私は何を表現したいのであろうか。何かがあるような気はするが、何も無いような不安にも苛まれる。結局は表面的な「ミュージシャン」というものに漠然と憧れる、烏合の衆の一人に過ぎないのではないか。それも考える。

コギトエルゴスム、みたいにはなるが、疑う私は、しかりと在る。それがどうした、というのが私の好きなベケット的解釈ではあるが。

何も無い、という不確実さゆえの不安。それもまた良い。選ばれていない人間にも恍惚と不安はあるのだ。聞いているか、津島修治。

話がそれた。

表現したいという欲求のみがある、というオーケンの言葉は、奇妙に私の胸に響いた。

もう一つ、「コマコ」である。これはオーケンの嘗ての恋人の名前である。

バンドとして名前が売れ、大槻ケンヂとして名前が売れ、仕事が増え、忙しくなる中でその仲は終わった、と書いてあった。別れの直接の原因はオーケンの浮気だという。なかなかに面白い描写であったが。

そうして粗雑に扱った相手に対する後悔混じりの恋文のようなものが、「リンダリンダラバーソール」であった、と私は解釈している。オーケンがコマコの事をいかに好きだったかに気付いたのは、どうやら粗雑に扱い、自分から離れていった後の事らしい。笑わせる話だが、私には笑えない。

恥ずかしいことを一つだけ告白するが、私はこれまでの人生で一度だけ「きちんと」女性を好きになった事がある。それに気付いたのは、その女性との仲が完全に他人になった、その後の話だ。

オーケンは女々しくもコマコに向かってロックを叫び続けた。私もどこかで女々しくもその女性に向けて今も鍵盤を叩き続けているのかも知れない、と何とも恥ずかしいことを思わされた。

得体の知れぬ羞恥心。自意識過剰。オーケンの小説は私にそんなに恥ずかしいことを思わせた。いささか不愉快である。しかしいささか気分が良い。

オーケンは別れから10年の後に、誰かと結婚したコマコと再会したという。願わくば私も、母にでもなった件の女性と再会してみたいものだとふと思った。彼女は今は千葉で働いていると聞くが、詳細は何も知らない。

酒を、飲もうか。

(ニフティの都合により、文章のアップは遅れています。悪しからず)

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