親愛なる者へ
深夜五時過ぎ、祇園から帰宅。
何の偶然かは知らないが、私は帰り道で幾つもの「中島みゆき的光景」に遭遇した。以下に記す。わかる人はどれぐらいいるのだろうか疑問だが。
夜明け間際の吉野家では、化粧の剥げかけたシティガールとベイビーフェイスの狼たちが肘を付いて眠っていた。
横にいたのは「右へ行きたければ右へ行けば良いじゃないの。あたしは左へ行く。」と言わんばかりの天の邪鬼そうな女。きっと我々は昼間に会ったらお互いに「いらっしゃいませ」なんて言うんだろうな。笑える奴は良いよな。
彼らの包帯のような嘘を見破る事で、私は世間を見たような気になる。変わらないものを流れに求めながら。
牛丼屋を後にした私は、以前少し書いた(「幸いあれ」参照)河原町今出川のファミリーマートへビールを買いに向かう。今日も必要以上に腰の低い初老の男性が店番を務める。戦うあなたの歌を戦わない奴らが笑うだろうが、どうぞ冷たい水の中を震えながら昇っていって下さい、と私も心中で呟きながらビールを買う。燕よ、高い空から教えてくれ。私の敵は、私だ。
私は、彼を信じようと決めた。束の間、人を信じたら、もう半年頑張れる。
私は家へ向かう。あぶな坂を越えた所に私は住んでいる。家の名はユピテルビル。どんなに酔っても辿り着ける。今日は素面だったが。ちなみに坂を越えて来る人達はみんな怪我をしている。
もうすぐ、クリスマスだね。クリスマスソングを歌うように、誰か私の事を今だけ愛してくれないだろうか。暦が変われば他人に戻るように。雪に浮かれる街のように。
無理だな。
何故ならば、縁ある人は万里の道を越えて引き合い、縁なき人は顔を合わせながら術もなくすれ違うものだから。
結婚をしてみたい、と最近ではたまに思うが、それは当分無理そうだ。まず相手がいない。しかし、ならば決闘をしよう。結婚と決闘は同じ事もあるのだ。
今夜はようこそ、ここは極楽通りだよ、という声がどこかからか聞こえて来る。
購入したビールを引っさげて、原付に跨り家へ帰る途中、私は、まだ眠っている街を抜け出して駆け出すスニーカーを見た。男は、穏やかでなければ残れない時代を少し抜け出そうとしていた。夢の通り道を私は歩いている。ふとそう思った。
「夜を往け」という声に突き動かされて私は原付のアクセルを回したが、私の運転速度は常に大分遅い。後ろから車がクラクションを怒鳴らせる。つまずいて私はころぶ。放り出された本を拾いよせて、私はひとり、膝を払う。
再び原付を走らせる。前からはヘッドライト。後ろにはテールライト。旅はまだ終わらない。あどけない夢が遥か後ろを照らしている。
曜日が変わって今日は土曜日だ。土曜でなけりゃ映画も早いのに。私はふと考えた。
私も京都へやって来てもう九年になる。時は流れ、街は変わった。知っている顔も少なくなった。
家へ帰り着いて、風呂に入ってから寝ようとするが、どうにも寝付きが悪い。誰か私にも眠り薬を下さい。子供の国へ帰れるくらい。あなたの事も私の事も思い出せなくなるくらい。まあ今日はビールがあるので、良い。
仕方がないのでこうしてブログの更新をしながら眠気の到来を待つ。ひとり上手と呼ばないでほしい。ひとりが好きな訳ではないのだ。いじめっ小僧はいつでも独りきりで遊ぶのが嫌いなのだ。
太宰は「生まれて来てすみません」と言った。私は「生きていても良いですか?」と問いたい。けれどその答えを知っているからいつも問えない。
ただ、私は今を生きる事に思い上がりたくないだけだ。
こんな支離滅裂な文章を書いている私を心配しないで頂きたい。何でもない。私は大丈夫。何でもない。私は傷つかない。私は相変わらずだ。笑う日だって、ある。
笑わせるじゃないか、私ときたら。と自己憐憫していると、うっすらと眠気がやって来たので、寝る。世界中が誰もかも偉い奴に思えてきて、まるで自分一人がいらないような気はするが、寝る。
という事で寝ますが、以上の文章の中に現れた中島みゆき的表現の出典の全てがわかった方は、是非私に御一報下さい。中島みゆきトークのみをつまみに、ひたすら優しすぎるタンカレーを飲みましょう。ちなみに一カ所だけさだまさしが入っています。
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