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2006年12月28日 (木)

知識と実用力

Roland Kirkを聴く。すごい事になっている。こいつは本気だ。危険だ。

さて、少し音楽の事を。

英語を話したり書いたりする時に、私は自らの英語力の無さを痛感する。それは実用力の無さだ。

制限用法と非制限用法、仮定法過去完了による現実と異なる仮定、前置詞を用いた言い回しの数々。言われてみれば私はそれを「知っている」のだが、使いこなす事が出来ない。逐一活用辞典を引き、言い回しを一つ一つ調べ上げなくてはならない。難儀である。

その実用力の無さは、私が英語を日常生活に必需なものとして使っていないからだ。つまり、制限用法と非制限用法を区別しながら生活するような必要性がないからだ、とも言える。

閑話休題。音楽である。

Roland Kirkのフレーズには、よく聞けばリディアン7thやオルタードドミナント7thやコンビネーション・オブ・ディミニッシュなどのスケールの音使いがフレーズの端々から聴こえて来る。それも、何の衒いもなく、である。これがすごい。一見して不自然な事をやっているかのような彼の音楽は、極めて自然であるのだ。

私はまだそこまで自然にそれらのスケールを駆使出来ない。それは必然性の無さが大きく起因している、と私は考える。

端的に言えば、それらのスケールを用いた時に生じるいささか不自然な、しかしそれ以上に甘美な響きの感動を、私は身をもって知らないでいるのだ。

先に挙げた英文法の数々と一緒で、理論的には私はそれらを知っている。キーがCの時に、Ⅴ7であるG7の際にはG、Ab、Bb、B、Db、Eb、F、と連なるスケールを用いれば甘美な響きがする、という事を、頭で理解しているに過ぎない。実用性が、ない。そうなれば、頭にきちんと浮かんでいないフレーズを鍵盤上で羅列するだけの、必然性の皆無な下らない音楽に堕してしまう。

Roland Kirkを聴きながら思う。

この感動的なフレーズと音色とリズムの数々を、ひいては彼の精神を、きちんと私の耳と脳に焼き付けなければならない。集中して聴くのだ。余す所無く滋養にするように。

そうこうしていると、やるべき事がどんどんおざなりになる。

ラサーン・カークはBGMには全く向かない。これが本日の結論である。

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