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2006年12月 2日 (土)

朝から

腹減った。けれど昨日からひたすらに腹が痛い。胃の辺りがキリキリする。これまでの精一杯の不養生がたたってるんだろうか。

朝からラーメンが食いたい。ずずいと一杯、ウマいやつを啜りたい。けれど金はナシ。されどラーメンは食いたし。

私は賢いので折衷案というものが出せる。

一つ考えた折衷案は、いつものようにうどんを茹で、それを何とか自分に「これはラーメンだ」と言い聞かせながら食うというものであったが、これは今日は無理だ。私の欲求が即物的過ぎた。私は今はうどんでは我慢がならぬ。

次の折衷案であるが、これは名案である。そう、カップラーメンだ。塩分過多、カロリー過多、ドンと来い。環境ホルモンごと食する勢いが今の私にはある。

カップラーメンならば200円しない。そんな安物が私にもたらす至福の時。浮かれて私も涎を垂らす。汚い。拭う。

最近は遺書を書きたいなと常々思っている。勿論死にたい訳ではないし、自殺する予定は今の所全く無い。だが、突如として死ぬことは有り得る。交通事故。急な病気。戦争。そして酩酊の末の転倒。世界が生で溢れれば溢れるほどに、同時にそこは死の可能性でごった返す。私もいつ死ぬかはわからない。その時の為に遺書を書いておかなくてはならぬ。

書かなくてはならぬと考えているだけであるので、まだ遺書の内容の大筋は決まっていない。かといって遺すべき遺産はレコードと本と幾つかの譜面しかない。それを誰かに譲り渡す算段をすれば、それで私の遺書の6割程は完成してしまう。

いや待て、私はこれまでに数多の発見をしているではないか。勿論先に述べたような特殊技術「うどんをラーメンだと思い込みながら食べる」という技術や、300円少々の安物のワインをボジョレーボジョレーとしつこく脳内で呼ぶ事で高級感溢れる味わいに変化させるという技術、また特別な高等技術としては、雨の日の夜に散歩をして、賀茂川のほとりで傘を差しながらしゃがみ込み佇んでいると「これ以上ない」というほどの私の理想のタイプの女性が突如現れ、私に優しく接してくれるという妄想を抱く事で幸せになるという技術がある。これらの技術、また発見の伝承者を探さねばなるまい。我こそは、という猛者がいれば私まで御一報頂ければ幸いであるが、これらの技術は修得に相当の努力を要する。覚悟のある者にしか伝えられぬ。

そうか、そういった事も遺書に盛り込まねばならぬ。大変である。とりあえずは、メシを食おう。

今日は今からリハ→スタジオ→簡易録音とハードスケジュールなのだ。体力勝負だ。食わねば話にならぬ。

カップラーメンを買いに、近所のスーパー「ナナ」へゴーだ。私はきっとそこで誰かに恋に落ちる。間違いない。運命の出会いがあるに違いない。

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コメント

追記

運命の出会いはなかった。うーむ、何かがおかしい。

投稿: ふくしまたけし | 2006年12月 2日 (土) 11時23分

昨晩は素敵な演奏をありがとうございました。

やっぱり何度訪れても家から近い。
時間の許す限り足を運びたいと思います。
話をしていて感じたのですが、人を見る目があるなぁと。ぬるいことで悩んでるもんだと襟を正された気分で帰途につきました。

で、運命の出逢いはともかくとしてそれなりのカップラーメンにはありつけたのでしょうか??

投稿: etsu | 2006年12月 2日 (土) 23時14分

etsuさんへ
こちらこそ昨日(あ、もう一昨日だ)はありがとうございました。あなたが相変わらずとても可愛かったので、たくさん話せて得した気になりました。(←モロにセクハラ発言)またたくさん話して下さい。僕が喜びます。

ちなみに人を見る目なんて全く持ち合わせていません。お互いぬるい悩みでうじうじしまくりましょう。目下、僕の一番の悩みは洗面台の水の流れが悪い事です。これを原因にうじうじしてみます。

カップラーメンは、イマイチでした。卵を入れる、刻みネギを入れる、ごま油を垂らす、と自分なりに工夫を加えたものの、いかんせん、カップラーメンでした。運命の出会いもなかったし(やっぱり週に一回は運命の出会いが欲しいですよね!)散々です。

僕の馬鹿。

投稿: ふくしまたけし | 2006年12月 3日 (日) 03時56分

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