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2006年12月20日 (水)

突き刺さる言葉

音楽が完全なるエンターテイメントであったら、嫌だ。かと言って、独善的な自慰行為であっても、嫌だ。

その辺りの匙加減は、極めて難しい。痛感する、という言葉はこういう時に使うのだなと痛感する。

正しい音が何であるかは、私にはわからない。しかし、所謂「正しい(と言われる)音」を、然るべきタイミングで、然るべき音量で弾く事が「正しい事」であるならば、私はあまり音楽に魅力を感じないかも知れない。音楽は「正しさ」を競うゲームであってほしくない。

楽器の修練をして楽器の扱いが上達するのはとても大事な事だと思う。技術よりも心だ、などという戯れ言には安易に逃げ込みたくはない。技術の研鑽は、欠くことの出来ない必須事項である。

にも関わらず、研鑽された「だけ」の音楽は私の心を決して捕らえない。取り分けタチが悪いのは、若いミュージシャンによく見られるが、単なる技巧自慢に終始した音楽だ。巧妙な比喩を用い、倒置や体言止めなどの技巧を凝らしてはみたものの、何一つ心に響かない文章があるのと同じだ。

ジャズという音楽は、最早百年を超える歴史を持っている。しかし、ジャズの発生の源である黒人の歴史を考慮に入れるならば、それはその数倍の長さにもなる。

歴史を学ぶ必要性を、私はここ最近非常に強く感じている。音楽が如何に日々の慰めとして人々の心を癒やし、そして抑圧から救って来たかを。

セロニアスのフレーズをなぞるだけでは空虚だ。セロニアスの孤高の精神の高みを、内的な部分を含めてなぞって、初めてそれは我々の血となり肉となる。

ジャズを少しは知っている。そういった自尊が私にはあった。しかし、考えを改めなくてはならない。私はジャズについて何も知らない、と。そして知らない事は罪なのだ。無知が闇の世界を作り出しているのだ。私は再び一からジャズを知らなくてはならない。

今日、ラッシュライフのマスターと二人でMr. Abudullah Ibrahimのビデオを見た。

ブラウン管の向こう側から投げかけられた彼の言葉の数々は、鋭く私の心に突き刺さった。

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