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2006年12月

2006年12月31日 (日)

ご挨拶

今年最後のライブも汗とブルーズにまみれて終了。楽しかったなあ。僕の精神衛生上の問題を考えると、やっぱり何ヶ月かに一回はブルーズばっかりのライブをやるべきだ。歌を歌う人も二人来てくれて、飛び入りしてくれた。どちらも女性の方だったが、よくあんな「男塾」に混じってくれたものだ。感謝。ピアノを弾く女性の方も飛び入りしてくれて、ブルーズを一曲。楽しくて調子に乗った僕はウッドベースを弾き出す始末。感謝、そして反省。

もう一つ嬉しかったのは、久し振りに会う友人(と言うよりも嘗て世話になった人)が客としてやって来てくれた。彼は途轍もなく背が高いので(多分2メートルぐらいある)、遠くから見てもすぐにわかった。久し振りに会えた嬉しさでテンションも鰻登り。語彙が古いな…たっぷりコッテリ演奏しましたとさ。Iさんありがとう。

お陰様で今年もたくさんのライブをする事が出来ました。勿論、納得のいっていないライブはたくさんあります。自分の不甲斐なさが情けなくて悔しかった事もたくさんありました。来年がどうなるかはわかりません。色々な部分で今年よりも良くなればいいとは思っていますが、それでもどうなるかはわかりません。明日死んでしまうかも知れないし、とにかく目の前の事を誠実にやっていこうと思います。

そうそう、訳あって明日から籠もります。連絡をくれて返事が素っ気なくても怒らないで下さい。明日はブログを更新するかどうかもわからないので、こうして今の内に今年の挨拶です。

僕に優しくしてくれた人達、どうもありがとう。構ってもらえて幸せです。

僕に冷たくしてくれた人達、どうもありがとう。もうちょっとマシな人間になれるように努力します。

僕を罵ってくれた人達、どうもありがとう。無視されなかっただけで嬉しいです。

それと僕が好きな人達へ。どうもありがとう。体になるべく気をつけて、なるべく長生きして下さい。なるべく。

正月は、昼に少しだけラッシュライフに行こう。それだけを楽しみに、明日から、よーし、引きこもるぞー!

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2006年12月29日 (金)

そういえば大江千里も出ていた

私は二十歳を少し過ぎる頃まで、それなりに本気で教員になりたかった。可笑しいだろうか。可笑しいだろう。しかし事実そうだったのだ。仕方あるまい。

私が嘗て教員を目指していた、という事を何かの折に話すと、「諦めてそれは良かった」とよく言われる。放っといてくれ。

私が教師に憧れた原因は、ドラマ「3年B組金八先生」シリーズと、映画「学校」シリーズである。今ここの部分を読んで苦笑した人は真っ当な感覚を持っていますよ。正しいです。

「我々は機械やミカンを作ってるんではないんです!我々は人間を作ってるんです!」

「彼らはまだ未熟なんです。未熟だから間違える。間違えたらそれは間違いだと何度も何度も教えてやる。それが教育じゃないんですか!?」

「死ぬなんて言葉を、そう簡単に使うなよ!」

「私はまず彼らに美しい事を願う人になってほしいんです。そのために私は、教師は綺麗事を敢えて言うべきだと思うんです。クビを賭けても。」

「君は泣くために生まれて来たんじゃない。笑うために生まれて来たんだ。」

以上、名言from「金八」でした。「学校」シリーズからは名言はありません。何故ならそれは作品が過剰なまでに淡々としているからです。好きなセリフはたくさんありますが。例えば

「ロクロクと来たら一万とんで三百五十えーん、と、こう出てくる訳だぁ」とかね。

裕木奈江も可愛かったなあ。付き合いたいね。

いやいや、嘗て教師を目指していた事を思い出しつつ、こんな映画の事を思い出してしまいました。

よし、年越しの瞬間は家で独りで「学校」を見ながら越そう、とふと思いました。

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2006年12月28日 (木)

知識と実用力

Roland Kirkを聴く。すごい事になっている。こいつは本気だ。危険だ。

さて、少し音楽の事を。

英語を話したり書いたりする時に、私は自らの英語力の無さを痛感する。それは実用力の無さだ。

制限用法と非制限用法、仮定法過去完了による現実と異なる仮定、前置詞を用いた言い回しの数々。言われてみれば私はそれを「知っている」のだが、使いこなす事が出来ない。逐一活用辞典を引き、言い回しを一つ一つ調べ上げなくてはならない。難儀である。

その実用力の無さは、私が英語を日常生活に必需なものとして使っていないからだ。つまり、制限用法と非制限用法を区別しながら生活するような必要性がないからだ、とも言える。

閑話休題。音楽である。

Roland Kirkのフレーズには、よく聞けばリディアン7thやオルタードドミナント7thやコンビネーション・オブ・ディミニッシュなどのスケールの音使いがフレーズの端々から聴こえて来る。それも、何の衒いもなく、である。これがすごい。一見して不自然な事をやっているかのような彼の音楽は、極めて自然であるのだ。

私はまだそこまで自然にそれらのスケールを駆使出来ない。それは必然性の無さが大きく起因している、と私は考える。

端的に言えば、それらのスケールを用いた時に生じるいささか不自然な、しかしそれ以上に甘美な響きの感動を、私は身をもって知らないでいるのだ。

先に挙げた英文法の数々と一緒で、理論的には私はそれらを知っている。キーがCの時に、Ⅴ7であるG7の際にはG、Ab、Bb、B、Db、Eb、F、と連なるスケールを用いれば甘美な響きがする、という事を、頭で理解しているに過ぎない。実用性が、ない。そうなれば、頭にきちんと浮かんでいないフレーズを鍵盤上で羅列するだけの、必然性の皆無な下らない音楽に堕してしまう。

Roland Kirkを聴きながら思う。

この感動的なフレーズと音色とリズムの数々を、ひいては彼の精神を、きちんと私の耳と脳に焼き付けなければならない。集中して聴くのだ。余す所無く滋養にするように。

そうこうしていると、やるべき事がどんどんおざなりになる。

ラサーン・カークはBGMには全く向かない。これが本日の結論である。

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2006年12月27日 (水)

喧嘩の相手は

日曜日の晩、テレビ番組「情熱大陸」を観る。

予てから好きな番組で、毎週楽しみにしているドキュメント番組であるが、今回の「情熱大陸」は、私が抱いていたその期待を、良い意味で大きく裏切られる出来であった。これまで幾度となくこの番組を鑑賞し、楽しんできた私であるが、今回の「情熱大陸」は、これまでに放送した「情熱大陸」の中でも3本の指に入る、いや、最も優れた放送だったかもしれない。少なくとも私にとっては。

毎回、有名無名を問わず興味深い人物を一人取り上げ、半年以上にわたる綿密な取材をもとにその人物を紹介していく「情熱大陸」。今回取り上げられたのは、忍足謙朗、50歳、国連職員である。

余りにも月並みな言い方になってしまう嫌いはあるが、その30分の番組に、私は、ひどく心を打たれた。

彼は現在アフリカのスーダンで紛争と貧困に喘ぐ民衆を経済的に援助している。その仕事は確かに素晴らしい仕事だ。誇りを持って全うするに値する仕事であろう。しかし、私が心を打たれたのは、もう少し違う所にあった。

彼は自分の仕事に酔わない。

国連やNPOなどの仕事に従事する人間達の中で私が時折違和感を感じるのは、その仕事に「酔ってしまっている」者達だ。良い事をしている、その事に酔ってしまう。それはある意味では仕方のない人間の業だ、とも私は思う。「褒めてもらいたい」という、如何ともし難い人間の欲が、「良い事をしている自分」を過度に外部に対してアピールさせてしまう。脆弱な人間の愚かな性質の一つだ。挙句の果てに、自分が援助を続ける相手を過剰に美化し始めたら、それは全て戯言だ。特に多いのは、障害者や貧困層に対する過剰な賛辞だ。「彼らはみな純粋だ。」「彼らは美しい。」こういった言辞には、正直に言えば反吐が出る。それは、立派な差別意識である。

街頭で署名活動やデモ行進を行う人々に、私は時に失笑を禁じえない。それは、彼らが無意識の内に過度にアピールする「正当性」ゆえだ。

行動を起こす事は、或る意味では何よりも大事な事だ。思っているだけではどうしようもない。行動こそが、美徳だ。その考え方には、私は半分は納得できるのだ。しかし、その行動が時に過剰なまでの自尊に繋がり、自負に繋がる。それは必ずしも美徳では、ない。所謂「良い人」を、私が信頼する事は少ない。

忍足氏に私が感動させられたのは、彼からは「良い事をしている」という自負が微塵も感じられなかったという事だ。そして目的の為にじっと据えられた、彼の根性の据わった眼力。彼は、目的の為ならば或る程度ダークサイドにもまわるだろう。どこまでもクリーンなイメージを保とうとする不甲斐ない政治家に見せたいほどの「信念」を、私はそこから感じ取った。それは覚悟である。それは決意である。

彼は「貧困」という余りにもスケールの大きな相手に喧嘩を売っているのだ。そして「差別」という相手にも。

貧困は永遠になくならないかもしれないし、差別は常に存在し続けるかもしれない。しかし、彼はそれでも喧嘩を売り続ける。きっと死ぬまでこの人はこうなんだろう、私は途轍もない憧憬の念と少しの羨望で、つい苦笑してしまった。口をついて出た言葉は一言、「すげぇ…」である。

今回の「情熱大陸」に苦言を一つだけ呈するのであれば、忍足氏の回は、30分ではいささか短すぎた。あと30分、ほしかった。過剰に道徳的な言葉も吐かなければ、格言めいた事も言わない彼は、或いは物語にはしづらいのかも知れないが、それでもあと30分はほしかった。欲張りな私の唯一の苦言だ。

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2006年12月23日 (土)

親愛なる者へ

深夜五時過ぎ、祇園から帰宅。

何の偶然かは知らないが、私は帰り道で幾つもの「中島みゆき的光景」に遭遇した。以下に記す。わかる人はどれぐらいいるのだろうか疑問だが。

夜明け間際の吉野家では、化粧の剥げかけたシティガールとベイビーフェイスの狼たちが肘を付いて眠っていた。

横にいたのは「右へ行きたければ右へ行けば良いじゃないの。あたしは左へ行く。」と言わんばかりの天の邪鬼そうな女。きっと我々は昼間に会ったらお互いに「いらっしゃいませ」なんて言うんだろうな。笑える奴は良いよな。

彼らの包帯のような嘘を見破る事で、私は世間を見たような気になる。変わらないものを流れに求めながら。

牛丼屋を後にした私は、以前少し書いた(「幸いあれ」参照)河原町今出川のファミリーマートへビールを買いに向かう。今日も必要以上に腰の低い初老の男性が店番を務める。戦うあなたの歌を戦わない奴らが笑うだろうが、どうぞ冷たい水の中を震えながら昇っていって下さい、と私も心中で呟きながらビールを買う。燕よ、高い空から教えてくれ。私の敵は、私だ。

私は、彼を信じようと決めた。束の間、人を信じたら、もう半年頑張れる。

私は家へ向かう。あぶな坂を越えた所に私は住んでいる。家の名はユピテルビル。どんなに酔っても辿り着ける。今日は素面だったが。ちなみに坂を越えて来る人達はみんな怪我をしている。

もうすぐ、クリスマスだね。クリスマスソングを歌うように、誰か私の事を今だけ愛してくれないだろうか。暦が変われば他人に戻るように。雪に浮かれる街のように。

無理だな。

何故ならば、縁ある人は万里の道を越えて引き合い、縁なき人は顔を合わせながら術もなくすれ違うものだから。

結婚をしてみたい、と最近ではたまに思うが、それは当分無理そうだ。まず相手がいない。しかし、ならば決闘をしよう。結婚と決闘は同じ事もあるのだ。

今夜はようこそ、ここは極楽通りだよ、という声がどこかからか聞こえて来る。

購入したビールを引っさげて、原付に跨り家へ帰る途中、私は、まだ眠っている街を抜け出して駆け出すスニーカーを見た。男は、穏やかでなければ残れない時代を少し抜け出そうとしていた。夢の通り道を私は歩いている。ふとそう思った。

「夜を往け」という声に突き動かされて私は原付のアクセルを回したが、私の運転速度は常に大分遅い。後ろから車がクラクションを怒鳴らせる。つまずいて私はころぶ。放り出された本を拾いよせて、私はひとり、膝を払う。

再び原付を走らせる。前からはヘッドライト。後ろにはテールライト。旅はまだ終わらない。あどけない夢が遥か後ろを照らしている。

曜日が変わって今日は土曜日だ。土曜でなけりゃ映画も早いのに。私はふと考えた。

私も京都へやって来てもう九年になる。時は流れ、街は変わった。知っている顔も少なくなった。

家へ帰り着いて、風呂に入ってから寝ようとするが、どうにも寝付きが悪い。誰か私にも眠り薬を下さい。子供の国へ帰れるくらい。あなたの事も私の事も思い出せなくなるくらい。まあ今日はビールがあるので、良い。

仕方がないのでこうしてブログの更新をしながら眠気の到来を待つ。ひとり上手と呼ばないでほしい。ひとりが好きな訳ではないのだ。いじめっ小僧はいつでも独りきりで遊ぶのが嫌いなのだ。

太宰は「生まれて来てすみません」と言った。私は「生きていても良いですか?」と問いたい。けれどその答えを知っているからいつも問えない。

ただ、私は今を生きる事に思い上がりたくないだけだ。

こんな支離滅裂な文章を書いている私を心配しないで頂きたい。何でもない。私は大丈夫。何でもない。私は傷つかない。私は相変わらずだ。笑う日だって、ある。

笑わせるじゃないか、私ときたら。と自己憐憫していると、うっすらと眠気がやって来たので、寝る。世界中が誰もかも偉い奴に思えてきて、まるで自分一人がいらないような気はするが、寝る。

という事で寝ますが、以上の文章の中に現れた中島みゆき的表現の出典の全てがわかった方は、是非私に御一報下さい。中島みゆきトークのみをつまみに、ひたすら優しすぎるタンカレーを飲みましょう。ちなみに一カ所だけさだまさしが入っています。

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2006年12月22日 (金)

師走の週末

さて簡単に。

今日はこれから祇園でセッション。

明日は伏見でカルテットのライブ。

明後日はホテルでタップダンスとのショー。

詳細を以下に。

12月22日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜のジャムセッション。最近わかったのですが、参加してくれる方の中で僕が一番嬉しいのはピアノかも知れない、という事です。サボりたい訳ではありません。歌も、嬉しいです。勿論、ベースもドラムもフロント楽器も。
00:30~start  music charge:2000円

12月23日(土)藤ノ森カフェ・ド・ゴスペル
tel 075-643-7346
http://www.gospel-26.kyoto.walkerplus.com/
sax:黒田雅之 b:三木海斗 ds:田中健 pf:福島剛
伏見区藤ノ森にある広々としたカフェでカルテットでジャズを。何回かリハーサルをしましたが、リラックスしながら演奏出来て、良いものをお届け出来そうな気がします。勤労感謝の日ですから、普段の労働に疲れている方は是非お立ち寄り下さい。
19:00~start  music charge:1000円

という事で、皆様宜しく。クリスマスイブは、堀川二条の「ルビノ堀川」さんというホテルでのショーですが、ちょっと詳細がまだ分かっていないので、もし興味のある方は僕宛にメール下さい。

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一年前

お笑いコンビ「カンニング」のツッコミ(なだめ)役、中島忠幸氏が亡くなったという。35歳だそうだ。若過ぎる。

私はとりわけ「カンニング」のファンだ、という訳ではない。無論、こうして書くぐらいだから嫌いではない。どちらかと言えば好きだ。竹山氏は、さぞや無念だったろうな、と、そう思った。

インターネットの動画で、21日付けの竹山氏の会見動画を見た。随分とこまめに病院に通っていた、という。大した会話もせずに、「頑張れよ、また来るからな」といつも同じ事を言っていた、と氏は語っていた。

私もほぼ一年前、病院に毎日通っていた。「頑張って下さいね、また明日来ますからね」私もいつもそう声をかけていたのを思い出した。

屋上から見上げた比叡の山。一月の暗くて寒い空。

そういうものを毎日見ていた事を思い出して、私も少し寂しくなった。

もうすぐ一年だ。昨日、12月21日、生きていれば彼は57歳だった。もうすぐ、一年が過ぎようとしている。

このブログも、一昨日で丸一年であった。時が流れるのは、かくも早い。

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2006年12月20日 (水)

突き刺さる言葉

音楽が完全なるエンターテイメントであったら、嫌だ。かと言って、独善的な自慰行為であっても、嫌だ。

その辺りの匙加減は、極めて難しい。痛感する、という言葉はこういう時に使うのだなと痛感する。

正しい音が何であるかは、私にはわからない。しかし、所謂「正しい(と言われる)音」を、然るべきタイミングで、然るべき音量で弾く事が「正しい事」であるならば、私はあまり音楽に魅力を感じないかも知れない。音楽は「正しさ」を競うゲームであってほしくない。

楽器の修練をして楽器の扱いが上達するのはとても大事な事だと思う。技術よりも心だ、などという戯れ言には安易に逃げ込みたくはない。技術の研鑽は、欠くことの出来ない必須事項である。

にも関わらず、研鑽された「だけ」の音楽は私の心を決して捕らえない。取り分けタチが悪いのは、若いミュージシャンによく見られるが、単なる技巧自慢に終始した音楽だ。巧妙な比喩を用い、倒置や体言止めなどの技巧を凝らしてはみたものの、何一つ心に響かない文章があるのと同じだ。

ジャズという音楽は、最早百年を超える歴史を持っている。しかし、ジャズの発生の源である黒人の歴史を考慮に入れるならば、それはその数倍の長さにもなる。

歴史を学ぶ必要性を、私はここ最近非常に強く感じている。音楽が如何に日々の慰めとして人々の心を癒やし、そして抑圧から救って来たかを。

セロニアスのフレーズをなぞるだけでは空虚だ。セロニアスの孤高の精神の高みを、内的な部分を含めてなぞって、初めてそれは我々の血となり肉となる。

ジャズを少しは知っている。そういった自尊が私にはあった。しかし、考えを改めなくてはならない。私はジャズについて何も知らない、と。そして知らない事は罪なのだ。無知が闇の世界を作り出しているのだ。私は再び一からジャズを知らなくてはならない。

今日、ラッシュライフのマスターと二人でMr. Abudullah Ibrahimのビデオを見た。

ブラウン管の向こう側から投げかけられた彼の言葉の数々は、鋭く私の心に突き刺さった。

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2006年12月16日 (土)

ざわ・・・

ネットで面白いものを見つけました。福本伸行ファンの方は是非やってみて下さい。

1.まず適当なインターネット上のページを開く(ニュースがオススメです)

2.ブラウザのURL欄を一旦消す

3.そこに以下の文字列を貼り付ける

JavaScript:with(document.body)innerHTML=innerHTML.replace(/<\/(a|A)>/g,'・・・</a>').replace(/。/g,'っ・・・!! ').replace(/」/g,'はむしろ必然・・・!!」').replace(/、/g,'、ざわ・・・');focus()

すると、ゲラゲラ笑いながらニュースが読めます。一度やってみて下さい。あ、ちなみにJavascriptは有効にしておいて下さい。

僕はYahoo!ニュースで遊んでみましたが、以下のような事になりました。

<松坂大輔>「平成の怪物はむしろ必然・・・!!」パイオニア・野茂を超えられるか

2006年12月15日(金) 20時46分 毎日新聞

 【ボストン高橋秀明】6年総額5200万ドル(約60億8000万円)でレッドソックス入りが決まり、ざわ・・・14日に入団会見した松坂大輔投手は、ざわ・・・日米通算200勝を記録した野茂英雄投手以上の成功が期待されているっ・・・!! エプスタイン・ゼネラルマネジャー(GM)が「日本の宝であり、ざわ・・・00年からマークしていたはむしろ必然・・・!!」とほれ込んだ「平成の怪物はむしろ必然・・・!!」は、ざわ・・・日本選手の大リーグ進出に道を開いたパイオニア・野茂を超えられるか――っ・・・!! 

面白い事を考える人がいるものです。

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2006年12月15日 (金)

高槻と岡崎

先日アップした訳のわからぬ草稿は、暫くお蔵入りの刑に処しました。

「公開」という文章から「下書き」という文章に一旦格下げしました。全て完成した暁には再びアップします(多分)。いくらか改訂もします(おそらく)。

さて、本日から再び週末のライブが二本続きます。詳細を以下に。

12月15日(金)高槻JKカフェ
tel 0726-71-1231
http://www6.ocn.ne.jp/~officejk/cafe/jkcafe.html
久しぶりのJKカフェです。サックス黒田氏とデュオでやります。ジャズのスタンダード・ナンバーを中心にやる予定です。奇を衒うようなつもりは毛頭ございません。真っ直ぐに、愚直に、ジャズをやろうと思います。
19:00~start  music charge:カンパ制

12月17日(日)岡崎ZAC BARAN tel 075-751-9748
http://www.secondhouse.co.jp/
tap:清宮悟 b:鶴賀信高 pf:福島剛
日曜日はこのトリオで。注目してほしいのは、普通のピアノトリオの編成ではドラム(orギター)が入っている所にタップが入っているという事。ステージ狭しと踊るタップの魅力をどうぞ御堪能下さい。
19:00~start  music charge:カンパ制

という事で、普通の宣伝用文章です。年末もジャズ一色でいきます。このブログには、殆どジャズの事は書かないくせに。

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2006年12月10日 (日)

幸いあれ

幸いあれ

深夜二時半、帰宅。数回前に書いた怒涛の五連続ライブの三回が終わる。疲労困憊。しかし好きな事をやって、更に金まで頂いている訳だ。文句は何一つない。寧ろ有り難い。

今日は原付(ミヒロ号)で移動していた為、演奏後の店でのビールは自粛。つい先ほどまでピアノを弾いていた「メノモッソ」は世界中のビールを集めたビールバーであるにも関わらず「乗るなら飲むな」の精神を貫徹。本当はシメイ(ベルギービール)が飲みたかった。しかし我慢。優良ドライバーとは他でもない私の事を言うのだ。

だが飲みたい。

疲れを癒やす一杯があっても罰は当たらない筈だ。それぐらいはこの二日間で稼いだのだ。

そう思い、帰り道、河原町今出川を少し下がった所にあるファミリーマートに寄る。ビール購入の為。

当然シメイの青は置いていない。それに比肩するもの、と思案し、エビスの新作「琥珀エビス」とラガーの新作「復刻ラガー(明治)」を購入。添付の写真の通りだ。ちなみに後ろに写っているのは神様Ray Charles。特に意味は無い。格好良い。

購入の際、私はちょっとした人間交差点を横断した。

深夜二時にコンビニのバイトを勤めるのは初老の男性(ひょっとして店長だろうか)。これだけで十分にドラマチックと言えなくもないが、私の心を打ったのは彼の潔いまでに丁寧且つ低姿勢な接客態度であった。私の如きゴミの様な人間にかくも深く頭を垂れられるとは、恐縮を通り越し少々気の毒にすら感じられた。

しかし店を後にして私は想像するに至った。彼の過去を。不必要な苦労を重ね、頭髪の色は落ち、いささか後退した彼の額の事を。

私は原付を再び運転しながら、いたたまれないような気持ちになった。

それは同情ではなかった。

それは憐れみではなかった。

私は何か胸の奥を締め付けられるかのような心地であった。

もうすぐクリスマスだ。世の中の不愉快なカップル共に栄光は要らぬ。主よ、かの初老の男性にこそ栄光を。私はクリスチャンではないが、そう思った。グローリー、ハレルヤ。

貧しき者は幸いなり。とは聖書の言葉であったか。失念した。

平等な世の中などは望むべくもない。命は不平等で、幸福は不平等だ。しかし、ささやかで良い。彼の残り少ない2006年が幸いたらん事を。珍しく他人の幸福を心底から祈る自分を発見し、私もいささか戸惑っている。

そうそう、私は十二分に幸せだ。買ってきた「琥珀エビス」が思いの外美味いから。

さあ、今から「復刻ラガー(明治)」だ。

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2006年12月 9日 (土)

交響曲第九番で休息

祇園から帰宅。帰り道は雨が降っていた。

家を出る前に、週末のちょっとした来客に備えて部屋を掃除していた(途中)為、異常な散らかりぶり。しったかめったか。棚や机に乱雑に置かれたものを整理して置こうとして床に散乱させた状態で家を出たので、寧ろ片付ける前よりも汚い。かといってこの時間から(只今午前五時十四分)再び片付ける気にもならず、一畳分の寝るスペースだけ確保し、電気を消して全て見なかった事にする。また明日やれば良い。

帰って来た時に条件反射的にテレビを点けると、天気予報の後ろでベートーベンの交響曲第九番、所謂「ダイク」がかかっている。何となく聞いているとやはり良い。きちんと聞きたくなり、テレビを消して再び灯りをつける。CDの棚から「ダイク」を探し出し、かける。再び灯りを消す。

すごく高揚感のある音楽だ、と私はずっと思っていたが、今日は何故か緩やかに聞ける。心地よい。

眠気もきちんと訪れた。

少し寝たら、昼からライブ。ギターとのトリオ。そして夜もライブ。それはピアノソロ。二本立てだ。体はちゃんと休めておこう。ベートーベンの音楽に助けてもらいながら。

おやすみなさい。

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2006年12月 8日 (金)

辛い

酒を飲んでいます。ツマミがないので、仕方なく七味唐辛子を舐めています。

早く死ねばいいのに、と今宵も思います。

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2006年12月 7日 (木)

憂国

フジテレビのスポーツ番組に、ハワイ出身の力士3人が出ていた。現在の相撲界について喋っていた。

出ていたのは、小錦、武蔵丸、曙の3人。これに高見山を加えれば、日本相撲界におけるハワイ人の歴史は9割方網羅出来る。

思いの外面白かった。私の見解では、彼ら3人は一般的な「日本人」よりも日本の事を考えている。もっと極端な事を言えば、彼らは日本人よりも「日本人」だ。

現在、外国人力士に関して一部屋一力士という決まりのある事を私は初めて知った。

極めてナンセンス。くだらぬ決まりだ。

相撲協会よ、外国人力士を減らす事を考えるな。日本人力士を増やす事を考えよ。

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2006年12月 5日 (火)

怒涛の5連荘。いやっほーい

今週末から、怒涛のライブ5連荘があります。こんなに続くのは初めて。楽しみです。最近、ライブが愉しい。

うん、やっぱりね、家で独りで黙々と練習してるのも良いんだけど、根が目立ちたがり屋なもので、ライブは愉しいのですよ。勿論、落ち込む事もたくさんある。でも良いんだ、落ち込むのは真剣にやってる証拠だ。つまらない演奏をしてしまったくせに落ち込まなくなったら、すっぱり音楽を辞めよう。じゃあ詳細を以下に。

ライブに来てくれた方には、僕が高田純次ばりのどうでも良い話をしてあげます。

嘘です。でも来て下さいね。

1:12月8日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜のジャムセッション。最近は歌の人がよく歌いに来てくれてますが、勿論楽器も大歓迎。お客さん参加型のライブです。
00:30~start  music charge:2000円

2:12月9日(土)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
gt:嶋谷信介 b:富樫拓馬 pf:福島剛
急遽決定。久しぶりに昔なじみのギタリスト嶋谷くんと。ドラムのトラで呼ばれたので、パーカッシブにピアノを弾きます。嘘です。ちゃんとやります。
15:00~start  music charge:カンパ制

3:12月9日(土)木屋町menomosso tel 075-211-8626
http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/
pf:福島剛
月イチ恒例、ソロピアノ。最近はオリジナルナンバーもよくやってます。この日はダブルヘッダー。でも元気いっぱいにやりますよ。
21:00~start music charge:カンパ制

4:12月10日(日)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
vo:岩井繭子 pf:福島剛
昼間のグリニッジハウス。昼にジャズって良いですね。最近そう思います。まゆちゃんのカンペには、歌詞ではなく「落ち着いて!!」という文字が大きく書いてある事を最近知りました。
15:00~start  music charge:カンパ制

5:12月11日(月)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
毎月第2火曜は何があろうとmojowestで、このメンバーでやってます。と、言いたい所ですが、この日だけ第2月曜です。お詫びの気持ちをこめて、チャージはカンパ制です。5連荘の最後は、たっぷりと汗だくになるこのバンドで。アフターアワー、ありますよ。
20:00~start  music charge:カンパ制

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2006年12月 4日 (月)

締め切りと個

12月4日になってしまった。

色々な事に締め切りというものがある。切実に迫って来ているのは免許証の更新だ。締め切りは12月8日。早く行け。私の免許は中型二輪免許に過ぎない。車は運転出来ない。けれど行かなくてはならない。行け。

夜半、寝付けずにテレビ。風間八広と中山ゴン雅史の対談が面白い。日本サッカーが頭打ちなのは「個の弱さ」である、という結論。無知な私はそれなりに納得してしまう。集団競技も、局所的に見れば個対個の集合。その局面で負けるのはお話にならないよ、という話。面白い。

多数派になってしまう嫌いはあるが、やはり最もファンタスティックなプレーをするチームはバルセロナかも知れぬ、と思う。それはロナウジーニョを始めとした素晴らしい「個」がいるからだ。そしてその個と個が織り成す秩序。

そして中山雅史は昭和の匂いがする。好きだ。

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2006年12月 2日 (土)

朝から

腹減った。けれど昨日からひたすらに腹が痛い。胃の辺りがキリキリする。これまでの精一杯の不養生がたたってるんだろうか。

朝からラーメンが食いたい。ずずいと一杯、ウマいやつを啜りたい。けれど金はナシ。されどラーメンは食いたし。

私は賢いので折衷案というものが出せる。

一つ考えた折衷案は、いつものようにうどんを茹で、それを何とか自分に「これはラーメンだ」と言い聞かせながら食うというものであったが、これは今日は無理だ。私の欲求が即物的過ぎた。私は今はうどんでは我慢がならぬ。

次の折衷案であるが、これは名案である。そう、カップラーメンだ。塩分過多、カロリー過多、ドンと来い。環境ホルモンごと食する勢いが今の私にはある。

カップラーメンならば200円しない。そんな安物が私にもたらす至福の時。浮かれて私も涎を垂らす。汚い。拭う。

最近は遺書を書きたいなと常々思っている。勿論死にたい訳ではないし、自殺する予定は今の所全く無い。だが、突如として死ぬことは有り得る。交通事故。急な病気。戦争。そして酩酊の末の転倒。世界が生で溢れれば溢れるほどに、同時にそこは死の可能性でごった返す。私もいつ死ぬかはわからない。その時の為に遺書を書いておかなくてはならぬ。

書かなくてはならぬと考えているだけであるので、まだ遺書の内容の大筋は決まっていない。かといって遺すべき遺産はレコードと本と幾つかの譜面しかない。それを誰かに譲り渡す算段をすれば、それで私の遺書の6割程は完成してしまう。

いや待て、私はこれまでに数多の発見をしているではないか。勿論先に述べたような特殊技術「うどんをラーメンだと思い込みながら食べる」という技術や、300円少々の安物のワインをボジョレーボジョレーとしつこく脳内で呼ぶ事で高級感溢れる味わいに変化させるという技術、また特別な高等技術としては、雨の日の夜に散歩をして、賀茂川のほとりで傘を差しながらしゃがみ込み佇んでいると「これ以上ない」というほどの私の理想のタイプの女性が突如現れ、私に優しく接してくれるという妄想を抱く事で幸せになるという技術がある。これらの技術、また発見の伝承者を探さねばなるまい。我こそは、という猛者がいれば私まで御一報頂ければ幸いであるが、これらの技術は修得に相当の努力を要する。覚悟のある者にしか伝えられぬ。

そうか、そういった事も遺書に盛り込まねばならぬ。大変である。とりあえずは、メシを食おう。

今日は今からリハ→スタジオ→簡易録音とハードスケジュールなのだ。体力勝負だ。食わねば話にならぬ。

カップラーメンを買いに、近所のスーパー「ナナ」へゴーだ。私はきっとそこで誰かに恋に落ちる。間違いない。運命の出会いがあるに違いない。

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2006年12月 1日 (金)

起点

師も走る。という程に今月は忙しい。多くの人が同様だろう。The年末である。

実は既に今週から忙しかったのだが、私は今週という日々をかなり無駄に過ごした。無論、後悔も何もかもが不毛だ。過ぎ去ると書いて過去と読むのだ。それはもう行ってしまった。もうやって来ない。

自らを慰める為に、自己満足的にした言い訳は「風邪」と「体調不良」。でも果たしてそうなのか?

そんなにしんどかった訳じゃない。無理をすればいくらでも動けた。動きたくない自分の甘い心を「風邪だから」という適当な言葉でごまかしていただけではないのか?今週は、体より頭と心が悪かったのだ。

悪循環は、遮らなくてはならない。何かのきっかけが必要である。

今日は久しぶりにライブである。これを復活の起点としよう。

やるべき事をきちんとやるのだ。

まずは、風呂に入る。

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