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2006年11月 6日 (月)

訃報→腐乱→再会

愛車のミヒロ号(原付)が天に召されました。

山科から五条坂を越えて家に帰ろうとするその途中、まるで眠るように、息をお引き取りになられました。

心臓マッサージを施すかのように何度もキックをしてエンジンをかけようとしましたが、残念ながら彼女はこの現世(うつしよ)には還ってきてはくれませんでした。

傍らを時速100キロ近いスピードで車が何台も通り過ぎていきます。私は半ば呆然としながら、最早鉄の塊と化した彼女を押しながら五条坂を登ります。これまでの彼女との数え切れない程の想い出をぼんやりと想い浮かべ、そして彼女には求めるばかりで碌に何も与えてやれなかった事を心底から詫びました。半年に一回ぐらいはメンテナンスをしてあげれば良かった、本当にすまなかった、と彼女に詫びました。

途中で私は嘔吐しました。胸の奥底からやってくる激しい自己嫌悪が、私に強烈な嘔吐感を誘い、国道1号線の傍らに私は吐寫物を撒き散らしました。惨めな気持ちで一杯でした。

バイク屋に電話をかけ、彼女を引き取りに来てもらうように頼みました。電話をかけてから数十分後に、バイク屋は軽トラックでやって来ました。愛想の良い、けれど卓越した技術を持っているだろう事は想像に難くない中年の男性が、彼女を一瞥した後、簡単にキックやセルスイッチを弄んでから、私に向かって苦笑いを浮かべました。その苦笑は何よりも多くを物語っていました。私は、彼女と永遠の別れをする覚悟を決めました。

家に帰ると、数日前に作ったカレーが、異臭を放って腐っていました。食べ物を捨てるのが嫌いな私も、これは流石に捨てざるを得ない、と思い、まだそれなりの量が残っていたカレーをビニール袋にあけ、更に上からもう一重、二重になるようにビニール袋を被せて捨てました。

私の傲慢な欲求に逆らうようにして、世界は回っている。全ては意図の外だ。私はいささか誇大で過度な被害意識と自己嫌悪にかられ、なかば呆けたようにしておりましたが、その倦怠と無気力の中でふと、この一連の出来事を文字に記そうとこのブログを書き始めました。文字を書く事で自らを慰めようとしているのです。自己嫌悪はいつの間にか、腐ったカレーよりも更に強い悪臭を発する自己憐憫へと変化していたのです。

と、その時です。それは、これを書いているまさしく「今(或いはついさっき)」です。私の携帯電話がけたたましく鳴りました。着信を告げる黒電話のベルの音を擬態した電子音が鳴り響きます。

電話口に出たのは、先程のバイク屋の男性でした。

彼女を引き取ってから、その今際の際の原因究明をするべく司法解剖、つまり分解をしていたら、心停止の原因が判明し、そこを多少いじった所、再びエンジンがかかった、と言うのです。つまり、蘇生に成功した、と。

私は一瞬自分の耳と、そして彼の言葉をも疑いましたが、それはどうやら事実のようであるのです。

但し

と彼は付け加えました。ミヒロ号は既に満身創痍であり、それら全ての傷を治療して乗るならば、一万五千円ほどかかる、いずれにしても残り寿命は永くないのだし、それだけの金を彼女に注ぎ込むのは、無為になる可能性もある、と。

私は躊躇しませんでした。

彼女を治療し、そして再び乗れるようにしてほしい、と訴えました。実際私には今現在、一万五千円もの金はありません。けれど何とか払います、と彼に懇願し、延命治療を施してもらう事にしました。

私は再度、彼女と生活を共にする事が出来るのです。私は誓いを新たにしました。

これからは、きちんと大事に乗ります。

飲酒運転は二度としません。

そして、あなたが本当の天寿を全うするまで、私はあなたの傍にいます、と。

この文章を書き始めた時は、「訃報」のタイトルで書き始めました。しかしそれは訂正しなければなりません。彼女は蘇生し、復活したのです。もう一度、私は彼女と歩んでいけるのです。

さて、金をどうしようか。

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