東京タワー ドラマ
数日前の話になるが、テレビドラマ「東京タワー」鑑賞。知人に録画しておいてもらったものを観る。
以前、リリーフランキー氏が書いた原作に関して、このブログでも賛辞を表した事がある。故に私がこのドラマを見るにあたっては、随分と期待は高まっていたのだが、全体的な感想としては、その期待を悪い意味で裏切られるような事はなかった。満足した、と言える。
優れた原作(大抵は紙媒体である)を持つ作品の映像化は、極めて難しい。失敗例は枚挙に暇が無い。西原理恵子氏の不朽の名作「ぼくんち」が実写により映画化された事があったが、私はその映画作品を観て、拭えぬ違和感と募る不満感から、力無く頭を垂れた事を覚えている。
そういった原作→映像化というものの陥りやすい失敗の一つの典型例は「切り貼り」という言葉で表す事も出来る。原作の中で印象的だったシーンを一つ一つ抜き出して映像にしていくという手法。この手法は、危険だ。
前後の文脈を無視して、その特徴的なシーンばかりを切り貼りしてしまう事により、物語の持つ特有の律動や流れが損なわれてしまう。これは非常にまずい。定められた時間のキャパの中で前後の文脈まで描ききれないのであれば、無理に場面を詰め込むのは良くない。私はいつもそう感じる。
今回のテレビドラマ「東京タワー」にも、多少そういった「切り貼り」的な悪い部分も見えた。そこに関してはいささかがっかりはしたが、それを凌駕するほどの素晴らしいポイントがいくつもあった。紹介していきたい。
一つは、主人公である「まーくん」を演じた大泉洋の演技の素晴らしさであった。これは触れざるを得ない。以前、イッセー尾形との即興二人芝居を観た時に彼の役者としての魅力は垣間見たが、今回改めて堪能した。朴訥とし、一見無表情な中で蠢く様々で苛烈な感情を、大泉洋は静かに、そして鮮やかに表現した。コミカルな面も含めて、所謂「ハマリ役」であったなという印象である。私は、すっかり大泉洋のファンになってしまった。良い役者である。
そして、やはり彼以外の役者達の素晴らしい演技。オカン役に田中裕子(私の憧れの女性でもある)、オトン役に蟹江敬三。腑に落ちるという言葉が似合う、素晴らしいキャストである。しかし、彼らの役者としての能力は凄い。
田中裕子の素晴らしさは言わずもがなである。慈しみに満ちた母の笑顔、寂しい横顔の繊細さ、コミカルな面白み、そういった全てを過剰にならずに、しかし溢れ出るかのように演じきる。感服。そして可愛らしい。改めて惚れ直す。間違いなく日本最高クラスの女優の一人である。今回は広末涼子が共に登場していたが、並んで演技した時にはやはり差が見える。これは私が田中裕子ファナティックであるからだけではあるまい。
蟹江敬三の好演技も光った。粗暴なだけではない、繊細さを備えた父の不器用な愛情を表現してくれた。白眉はオカンの遺影を抱きながら嗚咽と共に漏らす台詞、「……ええ女やったっ……!」。家庭を省みないヤクザな男のふと見せる限りない愛情である。
つくづく、私はこのテのドラマが好きだ。「北の国から」も大好きであるし、家族ドラマというのが私の好みなのだ。
家族とは、果たして何なのだろうか。
「東京タワー」を観た事により、私はその事を再び考えた。
とても良いドラマであった。
仕方ない、白状する。
落涙した。
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