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2006年10月22日 (日)

律動と優しさ

地面が律動した。

ドラムセット越しに見る彼の平然たる表情が私の現実感を希薄にさせたが、彼のドラムプレイによって、確かに地面は律動した。

それは息吹であり鼓動であった。

それは躍動であり祝福であった。

単なる地鳴りのような振動とは違う。ドラムに触発を受けて、まるで地面が自ら意志を持ったかのような、それは律動であった。

ドラムの向こうにいたのは、「ケン坊」こと村上健三郎氏。京都が、というよりは日本が世界に誇るドラマーである。美空ひばりや高倉健といった面々からの絶大なる信頼を得たというエピソードは誇張にすらなりえない。ディジーガレスピーが来日した際の共演は、観る者に強烈な印象を残したらしく、その時の事を思い出しながら興奮気味に彼の事を語るジャズファンを私はこれまでに幾人か目のあたりにした。

私はピアノの前に座っていた。右手を向けばケン坊さんがこちらに向かって悪戯っぽく微笑みかけてくれる。どんどん現実感が薄れていく。私は地面の律動に身を委ねながら、「或る日」の事を思い出した。

今年、2006年2月2日。

それは私が初めてケン坊さんと音楽を共にさせて頂いた日であり、奇しくもその場は最愛の師匠市川修の葬儀の場であった。

数多の参列者が押し寄せ、偉大で愛すべきピアニストの死を悼んだ。参列者は千人を数えた。決して小さくはない葬儀場から人が溢れかえり、銘々がそれぞれの想いを胸に師匠との別れを惜しんだ。異例の事であるが、祭壇の横には急遽ステージが設けられ、ミュージシャン達が入れ替わり立ち替わりしながら演奏を捧げた。私は当然の事ながら裏方として会場の整理にあたり、人員の整理誘導に忙殺されていた。演奏の場に私も参加したいという気持ちがなかった訳ではないが、その目まぐるしい忙しさに身を委ねていた方が、奥底から押し寄せる悲しみを紛らわす事が出来て良かった。

けれど誰かが私に言った。

「オマエ、早よう行ってこいや!」

ピアノを弾いて来い、と。

狼狽した。

そして躊躇したが、どこかで突き抜けた。吹っ切れた。私は祭壇の横のステージに向かった。

私が向かったその時に、ステージで弾いていたピアニストが誰だったかは忘れた。私より遥かにキャリアの長い大先輩であったろう事はうっすら覚えている。事もあろうに私はその先輩を退けた。「すいません、代わって下さい」か何かを口にしたのだと思う。なりふり構ってはいられなかった。

ピアノの椅子に座って前を見たら、サックスの登敬三、トロンボーンの冨岡毅史の両氏がいたのをはっきりと覚えている。二人とも私の大好きなミュージシャンであり、音をよく響かせる個性的なホーン奏者として定評が高いが、その日の二人の音色は普段に比べても格段に美しく、そして荒々しくも切なく響いていた。それは彼らなりの哀悼の意だったのだと私は思っている。たかが音楽、されど音楽だ。

デュークエリントンの『Take the A train』を1コーラスほど演奏したその刹那、急に、地面が律動した。

ふとドラムを見た。そこには村上健三郎の姿があった。そう、私の憧れのナンバー1ドラマー、ケン坊さんの姿が。彼もまた、私と同様に「今日はよしておく」と漏らしていたらしいが、旧知の仲であるラッシュライフのマスターが「ケンちゃん、叩かなアカンで」と焚き付けた所、ステージに向かったのだとか。やり切れない悲しみを、底抜けに明るい音楽と激しい地面の律動が優しく包み込む。皆、溢れ出んばかりの市川修に対する愛情と感謝とを、ジャズという音楽を媒介にして現実世界へと還元していた。

2月2日の思い出はそれ以外にもある。私は、市川修の骨を食べた。一緒に骨を食べたMitchさんというトランペッターには、笑いながら、そして泣きながら「食い過ぎやぞ」と諭された。

昨日、たった三曲程度のセッションであったが、ケン坊さんとの共演は私にそれら全ての事を、そして市川修の事を思い出させてくれた。

市川修。彼がいなければ間違い無く私は「ここ」にはいない。私を「私」へと導いたのは、紛れもなく彼の存在である。

私は溢れ出る感謝の念を上手く口に出来ずに、ケン坊さんに「ありがとうございました」と一言口にして彼の店「ざぶざぶ」を出た。

帰りの電車の中で、昨日の共演者、ベースの鶴賀に2月2日の思い出話を少しした。彼もまた、初めてのケン坊さんとの共演に半ば興奮気味であった。

メインボーカルの岩井繭子も帰り際にその共演の愉悦を私に漏らした。

どんな言辞を吐いた所で、彼の実際の演奏の前では全ては陳腐に堕すが、私はこうして言葉を綴らずにはいられない衝動に駆られた。先日のアブドゥラーさんの時のように。

ありきたりな言葉を最後に一つだけ吐かせて頂きたい。

色々考えさせられたケン坊さんとのセッションでしたが、愉しくて仕方がなかったです。ジャズ愉しい。今日もジャズします。

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