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2006年10月17日 (火)

私の私の彼は

先週末、北海道から友人がやって来た。このブログにも何度か登場しているTという男。嬉しくなってキャッキャとハイテンションで共に遊ぶ。彼の恋人であるMも仕事が終わってから合流し、楽しく明け方まで過ごす。北海道と大阪という、それなりの遠距離恋愛であるにも関わらず、久々の逢瀬を全力で邪魔をした格好。TとMのご両人、すまなかった。遊んでくれてありがとうございます。

さて、そのTの来訪が原因という訳ではまるでないのだが、ブログの更新を数日サボってしまう。私は私なりに、日々ピアノを弾いたり相対性理論を学んだりテレビを見たり酒を飲んだりと忙しいのだ。多少は勘弁頂きたい。久しぶりに何を書こうかと思ってじっと手を見た。

左手を見た。

そう、私は左利き、サウスポーであるのだ。今日の駄文は「左利きについて」。

左利きには、ハードな左利きとソフトな左利きがあるが、私はかなりハードな左利きだ。書く、投げる、切る、打つ、食べる、蹴る、コく、全て左手によって行われる。これをハードな左利きと呼ぶ。全て、となると、ハードの中でもエクストラハード、という分類になる。ちなみにピアノは当然現行の物を使用するのが常だが、ピアノという楽器自体は左利き用に作られている、という私の持論がある。根拠はエロールガーナーというピアニスト。彼の左手から繰り出される音色は、我々聴衆を彼方へと導く。

対してソフトな左利きは、後天的な矯正の結果、幾つかの(或いは全ての)動作を右利きの人間と同様に右手で行うことが可能だ。俗に言う両利きというやつだ。ちなみに前述の友人Tは、ソフトな左利きである。ソフトな左利きには器用な人間が多い。

私の場合、幼少期、左利きなどの前に矯正するべき部分が多々あったという理由と、矯正しようとすると泣き喚いたというような理由とから、一切矯正はなされなかったと以前親から聞いた事がある。故にエクストラハードな左利きである訳だ。

私が自らの左利きである事を省みた時に、野球というスポーツの事がふと頭をよぎった。

実は私は小さい頃、町内会の「西小岩中央シャークス」という少年野球チームで、2〜3年野球をやった経験がある。やめた原因は、チームメイトとすぐに殴り合いの喧嘩を始めるから、という困った理由と、また常に外野ばかり守らされて面白くなかったから、という二つの理由が挙げられる。やめた後は柔道を始めた。これはその後十年以上に渡って続く事になるのだが、その話はまた後日。

私は今日まで、自分には野球の才能が微塵もない、と常に思っていた。理由は常にライトを守っていたからだ。少年野球におけるライトというポジションは、「出来ない子」が守るポジションなのだ。

だが待てよ、と私は考えた。

冷静に考えてみれば、左利きの人間には内野を守るのは、野球というスポーツのルール上、構造的に困難であるのだ。辛うじてファーストは可能にしても、それ以外は明らかに困難だ。

という事は、私がライトというポジションをあてがわれたのは、心底私に野球の才能がなかったからという理由の他に、私が左利きだったから、という事があったのではなかろうか。つまり、その事に「あーあ、面白くねー」と試合中に江戸川河川敷の草をいじったりしながら腐っておらずにそのまま野球を続けていたならば、或いは今現在のシアトルマリナーズのライトのポジションは、私が勝ち得ていたのではなかろうか、と私はふと考えるのだ。レーザービームは私の専売特許になっていたのでは。五年連続二百本安打の偉業は、私の名誉になっていたのではなかろうか。うむ、惜しいことをした。

とは言え、その後に始めた柔道でも私は大成しなかった。という事は、野球を続けていた所で、まあ高校野球の東東京都予選のベスト8が良い所だろう。シアトルマリナーズは遠い夢物語に違いない。

そうか、左利きのせいではなかった訳だ。

安堵した。安堵した所で、寝る。

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