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2006年10月 9日 (月)

人間の器が小さい(ゆえにクヨクヨしがちだ)

一年に一回ぐらい、神様のご褒美なのか何なのかは知らないけれど、すごく調子の良い日、というのがやって来る。ピアノを弾く上での話だ。

普段思い浮かばないようなアイデアが、演奏中にポツポツと浮かぶ。そのアイデアを具現化しようとすると、指先が鍵盤に吸い付くように動いてくれる。頭でイメージした音と、実際に出て来る音との間には、あまりギャップはない。

リズムによる律動も普段よりもずっと自然に体が感じてくれるから、それを指先から鍵盤へと還元されるのも比較的スムーズに行く。大袈裟に言えば、スーパーマリオでスターを取った状態だ。単に極端な躁状態なだけなのかも知れないが、一年に一回か二回、私にはそういう日がある。

昨日がそうだった。

さぞかし多幸感に包まれてライブをした事だろう、と、ここまで読んだ方はお思いかも知れないが、実際はその逆だった。ある時間までは、私はこめかみの辺りに青筋を立てながらピアノを弾いていたに違いない。極めて機嫌が悪かった。イラついてた、と言ってもいいかも知れない。

幸いな事に、昨日は私の大事なお客さんが(というよりも大事な知り合いが)ライブに来てくれていた。こんな私の音楽でも、気に入ってくれて足を運んでくれる方がいるという事は、何にも代え難い喜びだ。加えて調子が良い。さあ張り切ってまいりましょー!と思っていたら、背後のライブとは無関係に来ていた客がうるせえ……

私は何も、私がピアノを弾いている時に黙っていてくれ、などとは思わない。喋りながら、リラックスして楽しんでくれればそれでいい。そもそも場末の音楽だ。多くは望まない。しかし。

ボリュームというものがあるだろ。客は君たちだけではないのだ。奇特な人達かも知れぬが、私の音楽を聞きにきてくれた人達がいるのだ。全てをかき消すような大声で喋り続けて、君たちはそれで楽しいかも知れないが、他の人達の気持ちというのは少しは考えられないのか。こちらもロックバンドのような大音量ではないのだ。君たちが普段通りの音量で喋っても十分に会話は成立するだろう。

そんな事でイライラしていると、次第に演奏も荒くなる。音色が喧嘩腰になってしまう。そんな音楽では、聴衆の耳を再びこちらに傾かせる事は出来ない。全てが呪われた悪循環のように、悪い方へ悪い方へと転がる。

優等生ぶって謙虚ぶる訳ではないが、それは私に大半の責任がある。店が悪い、客が悪い、などと言って自己完結するのは簡単だが、それではそこで終了。問題は何一つ解決されず、再び同じ事が繰り返される。客に「うるさい、黙れ」と偉そうに言うのも同様。お互いに嫌な気持ちを増幅させ、最悪な結末を迎える。その手の失敗は昔たくさんしたから知っているのだ。

ああ、どうすればいいのだろう、と途方に暮れているが、暫くはその事は忘れずに考え続けよう、と思っている。解決の糸口は必ずどこかにある。

今日はいつになく調子が良かった。しかし、いつになく憂鬱な気分だ。とりあえずは、酒を、飲む。

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コメント

こちらこそお邪魔しました。
実は初めてのお店でしかも学生が・・・と非常に緊張していたのですが福島さんの顔を見てほっとしました。

少しお客さんの雑談のボリュームもびっくりでしたが、そんな音よりピアノの方がしっかり耳に届いていましたよ。

自分勝手に大勢の後輩を引っ張ってきましたが、自己満足ながら大変楽しい夜でした。また聴かせてください☆

投稿: etsu | 2006年10月 9日 (月) 23時19分

etsuさんへ
こちらこそ、改めてありがとうございました。あなた御一行やその他のお客さんの為、書き下ろしの僕の曲もやろうと思っていたのですが、結局不機嫌が原因でやらずじまいでした。まだまだ精神的にも未熟です。次回こそは平静の心で是非!
暖かいコメントも、ありがとうございます。

投稿: ふくしまたけし | 2006年10月10日 (火) 00時30分

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