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2006年10月25日 (水)

別れを想う

18年生まれ育った東京を出て京都にやって来て、もうすぐ9年になる。人生の三分の二をこの街で暮らしている。

厳密に言えば、途中でインドに行ったり東京で少し暮らしたりしたので、丸々九年という訳ではないが、それでも実質八年は暮らしている。なかなかに長い。大体義務教育と同じぐらいの長さだから。

義務教育、つまり小中学校の9年間は、適度に私を人間的に歪ませた。適度に。文学への根源的な欲求が芽生えたのはこの時期だ。私の目に、安吾や太宰や芥川が格好良く映った。賢治の描き出す宇宙に魅了された。ボードレールの詩を覚えたりした。

高校生の頃には漱石やドストエフスキーやサリンジャーが好きになった。我ながら割と普通の文学遍歴だ。

そして京都にやって来てからの9年間、文学への根源的欲求は具体的な行為となり、同時に音楽への根源的欲求が芽生えだした。

精神的にどうなのかは当の本人である私にもわからぬが、少なくとも現実的な私の「生活」は、今現在、音楽に依拠する事で成り立っている。

私は京都にやって来て成長したのだろうか。

わからない。

自分なりに一つ満足しているのは、距離を置くことによって、昔からずっと嫌いだったオフクロの事が心から好きになった。感謝の念を覚えるようになった。

私に「恋」の感情を抱かせるような女にも、一人だけ出会った。

実の父親と同等に大事な男に、出会った。

京都という街を、私は、愛してはいない。

しかし、もうすぐここを去るのかと思うと、そんな事を取り留めもなく思うのである。

先ほど銀閣寺を見た。

こんなものには何の価値もない。

私にとっての京都は、別の所に価値がある。

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