« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »

2006年10月

2006年10月30日 (月)

BLに対するOFLの優越性

ブ推連(ブサイク推進委員会)を組織してから随分と時が経つ。

言葉は悪いかも知れないが、私はブサイク(以下ブサイク→面白フェイス)な顔の女性が好きだ。理由は後述する。

そもそも私もブサイクの部類に入る。伊集院光先生が会長を務める全ブ連(全日本ブサイク連盟)の会員歴は、もはや10年を超える。私がブサイクである事を誇るばかりでなく、面白フェイスな女性の方々をも愛でようという趣旨で、私はブ推連を立ち上げたのだ。現在会長は私、会員は私一人である。随時会員募集中であり、入会希望者は私に御一報頂ければ、詳細をお伝えする。ちなみに近々海外進出を狙っており、その際にはJBL(Japan Busaiku Lovers)という通称で慣れ親しんで頂く予定だ。

さて、面白フェイスレイディ(以下OFL)の方々の、何がかくも魅力的であるか、ここからは熱弁をふるおう。

OFLの最も魅力的な点は、その武士道精神にある。

武士道とは死ぬ事と見つけたり、というのは誰の言葉だったろうか。即ち武士道とは決死の覚悟である、と考えて良い。この武士道精神を、つまり決死の覚悟を、OFLは有している事が非常に多いのだ。

具体的にどういう事かを説明していこう。

美人レイディ(以下BL)には、留保や保身の態度こそ見られども、決死の覚悟というものはなかなか見出せない。ごく稀にBLにして決死の覚悟を持った特異な女性がいるが、それはあくまで例外的存在に過ぎない。BLには、そもそも決死の覚悟を決め込む必要性がないのだ。放っておいても周囲がBLをちやほやする。そしてこの「いつでも自分が他人から好意的に受け入れられる事が可能である」という事実は、BL達の感覚を鈍化させていく。それは感性の鈍化であると同時に、想像力の鈍化でもある。つまり眼前の相手が何を欲し、そして感じているかを、BL達は見逃す事が多い。そして決死の覚悟。こういった物を持たずとも、BLは他者から受け入れられる。少なくとも表面上は。

対してOFLは、自らの刹那々々が勝負である。一時の油断は死を招く。研ぎ澄まされた鋭利な刃物の如き感覚と、一歩も二歩も先を読む千里眼をもって、地雷源の如き戦場を軽やかに、そして鮮やかに進んでいく。一歩間違えればOFLはその面白いフェイスゆえに、他人から拒否されるかも知れぬという状況に日々置かれているのだ。一つのギャグを同時に言わせてみたとしても、BLとOFLとでは切れ味が全く違う。OFLの放つギャグは常に命懸けであり、実際に体を張ったものが多い。BLの放つギャグなど屁の突っ張りにもならない。BLとギャグセンスを比べるのはOFLに対して失礼かも知れないが、これはもう雲泥の差である。

色々と下らない言辞を弄んだが、実は一番言いたい事は、私は「性格的に歪んだ、面白い女性が好き」という事。美人だろうが面白フェイスだろうがどちらでもいいのだ。色んな劣等感を抱えた方々へ。「マニアは、いる」という言葉を胸に頑張って生きていきましょう。

もうすぐ11月です。誕生日が近付いて来ているのにまだ免許証の更新に行っていません。早く行かなくては。公安に金を払うのが死ぬほど不愉快な秋の夜長です。

| | コメント (2)

ライブスケジュール、11月、12月。

まだ若干の追加が予想されますが、とりあえず現時点で決まっている11月と12月のライブスケジュールをアップ。一生懸命やってますので、お越し下さい。自分で言うのも何ですが、結構楽しいですよ・・・

2006年11月

11月4日(土)木屋町menomosso tel 075-211-8626
http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/
pf:福島剛
月イチ恒例、ソロピアノ。最近はバラードが好きでよくやってます。
21:00~start music charge:カンパ制

11月10日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

11月11日(土)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
vo:岩井繭子 pf:福島剛
昼間のグリニッジハウス、二回目。今度はボーカルと。
15:00~start  music charge:カンパ制

11月14日(火)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
毎月第2火曜は何があろうとmojowestで、このメンバーでやってます。若さ溢れる激しい演奏です。
20:00~start  music charge:1500円with1drink

11月23日(木)深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:岩井繭子 b:鶴賀信高 pf:福島剛
かの伝説のドラマー「ケン坊」さんこと村上健三郎さんのお店です。10月に引き続き。延長戦のセッションは今回もあるのでしょうか?楽しみです。
19:30~start music charge:1500円

11月24日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

2006年12月

12月8日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

12月11日(月)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
毎月第2火曜は何があろうとmojowestで、このメンバーでやってます。と、言いたい所ですが、この日だけ第2月曜です。お詫びの気持ちをこめて、チャージはカンパ制です。お気軽にどうぞ。
20:00~start  music charge:カンパ制

12月15日(金)高槻JKカフェ
tel 0726-71-1231
http://www6.ocn.ne.jp/~officejk/cafe/jkcafe.html
三ヶ月に一回ぐらいのペースで出させてもらっています、JKカフェ。サックス黒田雅之と。
19:00~start  music charge:カンパ制

12月22日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

12月23日(土)藤ノ森カフェ・ド・ゴスペル
tel 075-643-7346
http://www.gospel-26.kyoto.walkerplus.com/
sax:黒田雅之 b:三木海斗 ds:田中健 pf:福島剛
伏見区藤ノ森にある広々としたカフェで、落ち着いたスタンダード・ジャズを。地下鉄沿線の方も京阪沿線の方も是非。
19:00~start  music charge:1000円

12月30日(土)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
vo:須和龍一 sax:黒田雅之 pf:福島剛
今年の締めくくりは、こってり濃厚ブルースで。カツ丼の後にとんこつラーメンで締める、そんな気持ちでお越し下さい。
20:00~start  music charge:カンパ制

| | コメント (0)

2006年10月28日 (土)

動く(回る)モンク

月に二度の祇園での深夜の演奏を終えて帰宅。毎度の事ながら、疲れた。

ただ今日のそれは「やりたくない事をやって疲れた疲れ」とは違う。陳腐な言い方になってしまうが、もっと清々しい疲れだ。

セッションの司会兼伴奏をやっていたのだが、ブルースボーカルあり、ジャズボーカルあり、そして何とタップダンスあり、とバラエティ豊かに場は盛り上がった。

↑と、ここまで書いた所で力尽きて寝る。自分でいつ寝たのかも覚えていない。とにかく辺りが既に明るかったのは覚えている。

昨日は祇園に行く前に、一時間ほど空いたのでジャズ喫茶「ラッシュライフ」にチラと寄った。

珍しく店内にノートパソコンあり。先日のアブドゥラーさんのコンサートの時の写真を編集していた模様。当然私も何枚かの写真に写っている。自分の写った写真を見るのはどうしても好きになれない。自意識過剰になってしまう。

しかし愉しかったなあ…

愉しかったですねえ…

マスター達とそんな感慨にふけっていると、おもむろにマスターは奥から何やらDVDを取り出してきた。

それ、何のDVDですか?私が尋ねる。

モンク(セロニアスモンク、ピアニスト)や。途中でランディさん(ランディウェストン、ピアニスト)が喋っとる。特別に見したるわ。マスターは答える。

モンクとランディは私の大好きなピアニストだ。どちらもヒーローの一人だ。見たい。たまらなく見たい。しかしあと五分で祇園に行かねばならない。私は苦渋の決断をした。

最初の20分だけ見ます。行かなくちゃいけないんで。

するとマスターは言った。

何言うてんねん、モンクやったら遅刻やで。

困ったオヤジだ。私はモンクのようなオンリーワンではなく、ありふれた才能のワンオブゼムなのだ。遅刻は許されない。

しかし、その映像はあまりにもエゲツなかった。モンクはやはりすごい。大好きだ。

時間になった。私は後ろ髪をひかれる思いだったが、最後に一言捨て去って祇園へと向かった。原付の限界速度で。

明日1日パソコン置いといて下さい。明日ゆっくり見に来るので。

言い残して祇園に向かった。

という事で今からモンク見てきます。夜はボーカル岩井繭子とのデュオライブです。皆さん宜しく。

| | コメント (0)

2006年10月25日 (水)

別れを想う

18年生まれ育った東京を出て京都にやって来て、もうすぐ9年になる。人生の三分の二をこの街で暮らしている。

厳密に言えば、途中でインドに行ったり東京で少し暮らしたりしたので、丸々九年という訳ではないが、それでも実質八年は暮らしている。なかなかに長い。大体義務教育と同じぐらいの長さだから。

義務教育、つまり小中学校の9年間は、適度に私を人間的に歪ませた。適度に。文学への根源的な欲求が芽生えたのはこの時期だ。私の目に、安吾や太宰や芥川が格好良く映った。賢治の描き出す宇宙に魅了された。ボードレールの詩を覚えたりした。

高校生の頃には漱石やドストエフスキーやサリンジャーが好きになった。我ながら割と普通の文学遍歴だ。

そして京都にやって来てからの9年間、文学への根源的欲求は具体的な行為となり、同時に音楽への根源的欲求が芽生えだした。

精神的にどうなのかは当の本人である私にもわからぬが、少なくとも現実的な私の「生活」は、今現在、音楽に依拠する事で成り立っている。

私は京都にやって来て成長したのだろうか。

わからない。

自分なりに一つ満足しているのは、距離を置くことによって、昔からずっと嫌いだったオフクロの事が心から好きになった。感謝の念を覚えるようになった。

私に「恋」の感情を抱かせるような女にも、一人だけ出会った。

実の父親と同等に大事な男に、出会った。

京都という街を、私は、愛してはいない。

しかし、もうすぐここを去るのかと思うと、そんな事を取り留めもなく思うのである。

先ほど銀閣寺を見た。

こんなものには何の価値もない。

私にとっての京都は、別の所に価値がある。

| | コメント (0)

野犬根性

家に帰って来たのが早めの夕方六時半。やらなければいけない事もまだあったのだが、とりあえず今日のノルマをこなした所で帰宅。家に帰ってテレビをつけると、日ハム−中日の日本シリーズ。寝転がって見る。至福の一時。

たが結局そのまま寝てしまう。一瞬目が覚めた時につけっぱなしのテレビに、お天気キャスターの市川寛子さんが出ていたので気合いを振り絞って天気予報だけ見る。天気は覚えていない。その後に、古館伊知郎が日ハムが勝ったとか何とか言っていた記憶はある。それが本当なら、やっぱり今年の日ハムは勢いがあるねえ。まだ頭が覚醒した状態で見ていた時に、小笠原の見事な二塁打を見た。彼のバッティングセンスも、やはりすごい。

再び起きたのは一時過ぎ。まずいなあ。この展開は、今度は朝まで寝付けないパターンじゃないか?とりあえずブログの更新をしながら眠気の再来を待つ。酒も舐める。

この酒がいけないのだろうか。私は軽く二三杯飲むと、覚醒してしまう傾向がある。今日もまた、酩酊の濁った目で朝日を見つめるのだろうか。

今日は西原理恵子の作品集『サイバラ茸』をペラペラと捲りながら飲む。やはり『恨ミシュラン』は初期サイバラの中ではかなりの傑作の部類に入る。ある意味では出版業界にもたらされた革命といっても良い。しかし『恨ミシュラン』を読みながら感じるのは、サイバラの根性。噛み付いていく野犬根性には舌を巻く。付き合うコータリンもなかなか剛の者だ。ヒットした理由は、ある意味では必然なのかも知れない、と徒然に思う。

まずい、完全に覚醒した。

飲むしかあるまい。

| | コメント (0)

2006年10月23日 (月)

保存方法、教授、求む!

まずい、もうすぐ10月が終わる。

僕の読みでは、10月が終わるとこのブログの1月分の日記が消える。実際10月に入った時点で昨年の12月分が消えた。

誰か近日中に(出来れば今週中に)、この文章を電子データとして保存する方法を教えて下さい。大した文章ではないのですが、個人的な思い出作りに残しておきたいのです。

誰か、何卒宜しく。

| | コメント (3)

2006年10月22日 (日)

律動と優しさ

地面が律動した。

ドラムセット越しに見る彼の平然たる表情が私の現実感を希薄にさせたが、彼のドラムプレイによって、確かに地面は律動した。

それは息吹であり鼓動であった。

それは躍動であり祝福であった。

単なる地鳴りのような振動とは違う。ドラムに触発を受けて、まるで地面が自ら意志を持ったかのような、それは律動であった。

ドラムの向こうにいたのは、「ケン坊」こと村上健三郎氏。京都が、というよりは日本が世界に誇るドラマーである。美空ひばりや高倉健といった面々からの絶大なる信頼を得たというエピソードは誇張にすらなりえない。ディジーガレスピーが来日した際の共演は、観る者に強烈な印象を残したらしく、その時の事を思い出しながら興奮気味に彼の事を語るジャズファンを私はこれまでに幾人か目のあたりにした。

私はピアノの前に座っていた。右手を向けばケン坊さんがこちらに向かって悪戯っぽく微笑みかけてくれる。どんどん現実感が薄れていく。私は地面の律動に身を委ねながら、「或る日」の事を思い出した。

今年、2006年2月2日。

それは私が初めてケン坊さんと音楽を共にさせて頂いた日であり、奇しくもその場は最愛の師匠市川修の葬儀の場であった。

数多の参列者が押し寄せ、偉大で愛すべきピアニストの死を悼んだ。参列者は千人を数えた。決して小さくはない葬儀場から人が溢れかえり、銘々がそれぞれの想いを胸に師匠との別れを惜しんだ。異例の事であるが、祭壇の横には急遽ステージが設けられ、ミュージシャン達が入れ替わり立ち替わりしながら演奏を捧げた。私は当然の事ながら裏方として会場の整理にあたり、人員の整理誘導に忙殺されていた。演奏の場に私も参加したいという気持ちがなかった訳ではないが、その目まぐるしい忙しさに身を委ねていた方が、奥底から押し寄せる悲しみを紛らわす事が出来て良かった。

けれど誰かが私に言った。

「オマエ、早よう行ってこいや!」

ピアノを弾いて来い、と。

狼狽した。

そして躊躇したが、どこかで突き抜けた。吹っ切れた。私は祭壇の横のステージに向かった。

私が向かったその時に、ステージで弾いていたピアニストが誰だったかは忘れた。私より遥かにキャリアの長い大先輩であったろう事はうっすら覚えている。事もあろうに私はその先輩を退けた。「すいません、代わって下さい」か何かを口にしたのだと思う。なりふり構ってはいられなかった。

ピアノの椅子に座って前を見たら、サックスの登敬三、トロンボーンの冨岡毅史の両氏がいたのをはっきりと覚えている。二人とも私の大好きなミュージシャンであり、音をよく響かせる個性的なホーン奏者として定評が高いが、その日の二人の音色は普段に比べても格段に美しく、そして荒々しくも切なく響いていた。それは彼らなりの哀悼の意だったのだと私は思っている。たかが音楽、されど音楽だ。

デュークエリントンの『Take the A train』を1コーラスほど演奏したその刹那、急に、地面が律動した。

ふとドラムを見た。そこには村上健三郎の姿があった。そう、私の憧れのナンバー1ドラマー、ケン坊さんの姿が。彼もまた、私と同様に「今日はよしておく」と漏らしていたらしいが、旧知の仲であるラッシュライフのマスターが「ケンちゃん、叩かなアカンで」と焚き付けた所、ステージに向かったのだとか。やり切れない悲しみを、底抜けに明るい音楽と激しい地面の律動が優しく包み込む。皆、溢れ出んばかりの市川修に対する愛情と感謝とを、ジャズという音楽を媒介にして現実世界へと還元していた。

2月2日の思い出はそれ以外にもある。私は、市川修の骨を食べた。一緒に骨を食べたMitchさんというトランペッターには、笑いながら、そして泣きながら「食い過ぎやぞ」と諭された。

昨日、たった三曲程度のセッションであったが、ケン坊さんとの共演は私にそれら全ての事を、そして市川修の事を思い出させてくれた。

市川修。彼がいなければ間違い無く私は「ここ」にはいない。私を「私」へと導いたのは、紛れもなく彼の存在である。

私は溢れ出る感謝の念を上手く口に出来ずに、ケン坊さんに「ありがとうございました」と一言口にして彼の店「ざぶざぶ」を出た。

帰りの電車の中で、昨日の共演者、ベースの鶴賀に2月2日の思い出話を少しした。彼もまた、初めてのケン坊さんとの共演に半ば興奮気味であった。

メインボーカルの岩井繭子も帰り際にその共演の愉悦を私に漏らした。

どんな言辞を吐いた所で、彼の実際の演奏の前では全ては陳腐に堕すが、私はこうして言葉を綴らずにはいられない衝動に駆られた。先日のアブドゥラーさんの時のように。

ありきたりな言葉を最後に一つだけ吐かせて頂きたい。

色々考えさせられたケン坊さんとのセッションでしたが、愉しくて仕方がなかったです。ジャズ愉しい。今日もジャズします。

| | コメント (0)

2006年10月21日 (土)

いざ深草

ニフティのココログの管理ページが暫く使えなかった、とは前回書いたが、我が家の近所のスーパー「ナナ」も暫く使えなかった。改装していたらしく、一週間ほど休業していた。

ちらと覗いたら、再開していたので買い物へと赴く。相変わらず全ての品々が安い。特売品で、私のライフラインの一つであるうどんが安売りしていた。当然買い込む。10玉買って280円。安い。

それ以外も安い。サランラップが切れていたので、それも買う。玉子も買う。ついでに珍しく菓子など買ってしまう。このブログのリンクにもある石田ゆうすけさんが自らのブログの中で絶賛していた「サクサクしっとりチョコ」略して「サチコ」。今晩の独り宴会のアテに、と買う。天高く私肥ゆる秋である。

さて本日は深草ざぶざぶにてボーカル岩井繭子とベース鶴賀信高とのライブ。夜間の独り宴会において、美味い酒を飲むのか苦い酒を飲むのかはそこにかかっている。客にミュージシャンの方がいらっしゃる時は奇妙な緊張感を抱きがちだが、本日の店の店主は京都の生ける伝説とも言える天才ドラマー、村上健三郎氏である。私自身も憧れである彼の前での演奏なだけに、気合いの乗りは十分だ。いざ鎌倉、といった心構えである。ちと違うか。

いずれにせよ、出来る事をするだけだ。肩の力を抜いて、そしてハートは熱く。

やって参ります。お暇な方は是非、ご覧においで下さい。

| | コメント (0)

2006年10月19日 (木)

怒涛の3日間の幕開け

ニフティがこのココログをメンテナンスしていたせいで、なかなか更新できませんでした。相対性理論の事とか色々書きたい事はあったのに。

やっと復旧したらしいので、記事の更新ですが、今日は事もあろうに宣伝です。

明日、20日金曜日からライブ三連戦です。お客さんが来てくれたら嬉しいなあ、という下心から、その3日間の詳細を以下に書きます。興味のある方は是非おいで下さい。

10月20日(金)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
ds:田中久仁彦 b:鶴賀信高 pf:福島剛
やろうかと前から言っていた後輩のドラムス、田中久仁彦くんのトリオ、第一弾です。今回のテーマは「アグレッシブ」にいく事。僕が最年長となる若いバンドです。ピアノトリオというフォーマットが嫌いなピアニストなどいるのでしょうか。無論、僕も大好きなフォーマットです。バド・パウエル、レイ・ブライアント、オスカー・ピーターソンといった、ピアノトリオというフォーマットを用いて素晴らしい音楽を作り出した先人への敬意を込めて、そして若者の熱い志を表現出来るように。コルトレーンもやっちゃおうかな。
20:00~start  music charge:カンパ制

10月21日(土)深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:岩井繭子 b:鶴賀信高 pf:福島剛
かの伝説のドラマー「ケン坊」さんこと村上健三郎さんのお店です。ヴォーカルの繭子ちゃんの縁で初出演となりました。ある意味では京都で一番(出演することに)憧れていたライブハウスかも知れません。ブルースあり、バラードあり、そしてジャズの名曲あり、とバラエティ豊かにお届けいたします。味わい深いヴォーカルを、最近よく一緒にやっている若手のホープ鶴賀くんと共に盛り上げます。京阪深草駅からすぐ、と交通の便も良く、京都南方にお住まいの方には特にオススメです。ご飯も美味しいです。お腹を空かしていらっしゃって下さい。
19:30~start music charge:1500円

10月22日(日)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
ds:副島正一郎 b:椿原栄弘 pf:福島剛
ロック+ブルース+ジャズ=ニューオーリンズ(???)。御馴染みNEZOEです。これまた大好きなピアノトリオというフォーマット。けれど「ネ副」は一味違うんです。普通のピアノトリオではないのです。一番特徴的なのは、ニューオーリンズ・ジャズを演奏する、という点でしょうか。ブルースもたっぷりやります。ドラムスの副島さんのロックテイストとジャズのエッセンスが融合したパワフルながらも繊細なドラム、ベースの椿原さんの良く歌う、まさにバンドを支える核(ベース)となるサウンド、そしてアホアホピアニストの僕。元気一杯にやっています。どうぞ一聴を。
20:00~start  music charge:カンパ制

という事で、明日から3日間、頑張ります。いらっしゃった方に後悔はさせません。楽しい一時を約束します。

更に詳細が知りたい方は

whatdisay@hotmail.co.jp

までご連絡いただければ、教えます。全て予約制ではありませんが、無理やり予約にします。という事でお互いに Have a nice weekend!

| | コメント (0)

2006年10月17日 (火)

私の私の彼は

先週末、北海道から友人がやって来た。このブログにも何度か登場しているTという男。嬉しくなってキャッキャとハイテンションで共に遊ぶ。彼の恋人であるMも仕事が終わってから合流し、楽しく明け方まで過ごす。北海道と大阪という、それなりの遠距離恋愛であるにも関わらず、久々の逢瀬を全力で邪魔をした格好。TとMのご両人、すまなかった。遊んでくれてありがとうございます。

さて、そのTの来訪が原因という訳ではまるでないのだが、ブログの更新を数日サボってしまう。私は私なりに、日々ピアノを弾いたり相対性理論を学んだりテレビを見たり酒を飲んだりと忙しいのだ。多少は勘弁頂きたい。久しぶりに何を書こうかと思ってじっと手を見た。

左手を見た。

そう、私は左利き、サウスポーであるのだ。今日の駄文は「左利きについて」。

左利きには、ハードな左利きとソフトな左利きがあるが、私はかなりハードな左利きだ。書く、投げる、切る、打つ、食べる、蹴る、コく、全て左手によって行われる。これをハードな左利きと呼ぶ。全て、となると、ハードの中でもエクストラハード、という分類になる。ちなみにピアノは当然現行の物を使用するのが常だが、ピアノという楽器自体は左利き用に作られている、という私の持論がある。根拠はエロールガーナーというピアニスト。彼の左手から繰り出される音色は、我々聴衆を彼方へと導く。

対してソフトな左利きは、後天的な矯正の結果、幾つかの(或いは全ての)動作を右利きの人間と同様に右手で行うことが可能だ。俗に言う両利きというやつだ。ちなみに前述の友人Tは、ソフトな左利きである。ソフトな左利きには器用な人間が多い。

私の場合、幼少期、左利きなどの前に矯正するべき部分が多々あったという理由と、矯正しようとすると泣き喚いたというような理由とから、一切矯正はなされなかったと以前親から聞いた事がある。故にエクストラハードな左利きである訳だ。

私が自らの左利きである事を省みた時に、野球というスポーツの事がふと頭をよぎった。

実は私は小さい頃、町内会の「西小岩中央シャークス」という少年野球チームで、2〜3年野球をやった経験がある。やめた原因は、チームメイトとすぐに殴り合いの喧嘩を始めるから、という困った理由と、また常に外野ばかり守らされて面白くなかったから、という二つの理由が挙げられる。やめた後は柔道を始めた。これはその後十年以上に渡って続く事になるのだが、その話はまた後日。

私は今日まで、自分には野球の才能が微塵もない、と常に思っていた。理由は常にライトを守っていたからだ。少年野球におけるライトというポジションは、「出来ない子」が守るポジションなのだ。

だが待てよ、と私は考えた。

冷静に考えてみれば、左利きの人間には内野を守るのは、野球というスポーツのルール上、構造的に困難であるのだ。辛うじてファーストは可能にしても、それ以外は明らかに困難だ。

という事は、私がライトというポジションをあてがわれたのは、心底私に野球の才能がなかったからという理由の他に、私が左利きだったから、という事があったのではなかろうか。つまり、その事に「あーあ、面白くねー」と試合中に江戸川河川敷の草をいじったりしながら腐っておらずにそのまま野球を続けていたならば、或いは今現在のシアトルマリナーズのライトのポジションは、私が勝ち得ていたのではなかろうか、と私はふと考えるのだ。レーザービームは私の専売特許になっていたのでは。五年連続二百本安打の偉業は、私の名誉になっていたのではなかろうか。うむ、惜しいことをした。

とは言え、その後に始めた柔道でも私は大成しなかった。という事は、野球を続けていた所で、まあ高校野球の東東京都予選のベスト8が良い所だろう。シアトルマリナーズは遠い夢物語に違いない。

そうか、左利きのせいではなかった訳だ。

安堵した。安堵した所で、寝る。

| | コメント (0)

2006年10月11日 (水)

魔法の伝承者

ライブが幾つか続いて、少々金が入って来たので、近所のスーパー「ナナ」に食材を買いに行く。

うどん八玉

カット若布

卵10個

そして因縁の青葱2束

しめて600円ちょっと。これで4日はいけるだろう。

前回、青葱なぞもう二度と買わないという宣言をしたが、再び買った。人事でもそうであるが、たった一度のミスで見捨てていては、物事の良い面を見落としてしまう。青葱の気合いの足りなさというマイナス面をカバーする、何かしらのプラス面を発見する為に、私は再び青葱を買ったのだ。

そして私が青葱に再度のチャンスを与えたのにはもう一つの理由がある。むしろこちらが大きいか。

前回の私が青葱の存在を酷評した文章を読んだ知人が、ライブに来てくれた。

休憩中に談笑していたならば、教えて頂いたのは以下の事だ。

・青葱は、買ったらすぐに、その日の内に全てを細かくカットする事。

・すぐに、ビニールパックか何かに移して冷凍保存する事。

・以上の事により、多少味は落ちるが、長期間の保存が可能になり、そして何より使用時の手間が格段に減る。

という事であった。なるほど、納得である。これら、まるで魔法のごとき「青葱保存法」を実践に移すべく、もう一度青葱を買ってみたのだ。

さて、実際にやってみたのだが、これが目覚ましいほどの効果を発揮する。もっぱら私の主食となっている、若布入り月見うどんを作る際のストレスは、驚くほどに軽減された。冷凍された青葱の断片を、煮えたぎるうどんスープの中にパラパラと散らす。熱により青葱は解凍され、月見うどんの白と黄色のコントラストに鮮やかな緑色が加わり、そして葱の香りがほんのりと漂う。うむ、悪くない。私はまるで自分が料理が上達したかのように得意気になる。自然と笑みも漏れる。いや、待てよ。私は実際に上達しているのではないだろうか。一子相伝の秘技である「青葱保存法」を知る者は、世界に20人といないであろう。つまり私は、既に世界トップクラスの料理人の仲間入りを果たしているのかも知れないのだ。これは大変だ。

私はピアニストであるにも関わらず、料理の奥義を会得してしまったが為に、人から料理の教授を請われるかも知れぬのだ。音楽の奥義を会得するよりも先に、料理の奥義を会得してしまった。サッカー修行でイタリアに留学したにも関わらず、パスタ作りを学んで帰って来てしまったがごとき本末転倒ぶりである。

あまりに上出来な月見うどんに舌鼓を打ってばかりもいられない。あまり料理に凝るのはよそう、と私は決意した。私に料理のいろはを学びたい方も、これら上述の理由で御遠慮願いたい。

青葱の一番のプラス面は、その手軽さにある、と私は気が付いたのだ。

しかし、こんな保存法を開発するとは、知人のYさんは天才ではなかろうか。いやはや、恐ろしいものである。

| | コメント (0)

2006年10月10日 (火)

セーフティな日本人の傲慢な論理

北朝鮮の核実験が始まった。

酔っ払っているので私の本音を簡潔に書こう。イラクの時もそうだが、日本の腐れ右翼的な報道、世論はどうにかならんのか。

すぐに悪者を作りたがる。極めて単純で低脳な二元論。善と悪。この国は白痴の国か!?皆、早く気付け、思考操作が裏側にある事を。きちんと自らの頭で考えるのだ。間違えたって良いのだ。自分の頭で考えろよ、犬どもが。

日本に足りないのは想像力だ。他人の気持ちを思いやる事だ。

アメリカには最早微塵も期待できない。抜き差しならなくなった北朝鮮を批判し続けるならば、第三次世界大戦は目前だ。

もう、いい加減にしろ、とうんざりする。強者の論理、大多数の論理。反吐が出るほどにスバラシイね。

殺すぞ、貴様ら。

| | コメント (1)

2006年10月 9日 (月)

人間の器が小さい(ゆえにクヨクヨしがちだ)

一年に一回ぐらい、神様のご褒美なのか何なのかは知らないけれど、すごく調子の良い日、というのがやって来る。ピアノを弾く上での話だ。

普段思い浮かばないようなアイデアが、演奏中にポツポツと浮かぶ。そのアイデアを具現化しようとすると、指先が鍵盤に吸い付くように動いてくれる。頭でイメージした音と、実際に出て来る音との間には、あまりギャップはない。

リズムによる律動も普段よりもずっと自然に体が感じてくれるから、それを指先から鍵盤へと還元されるのも比較的スムーズに行く。大袈裟に言えば、スーパーマリオでスターを取った状態だ。単に極端な躁状態なだけなのかも知れないが、一年に一回か二回、私にはそういう日がある。

昨日がそうだった。

さぞかし多幸感に包まれてライブをした事だろう、と、ここまで読んだ方はお思いかも知れないが、実際はその逆だった。ある時間までは、私はこめかみの辺りに青筋を立てながらピアノを弾いていたに違いない。極めて機嫌が悪かった。イラついてた、と言ってもいいかも知れない。

幸いな事に、昨日は私の大事なお客さんが(というよりも大事な知り合いが)ライブに来てくれていた。こんな私の音楽でも、気に入ってくれて足を運んでくれる方がいるという事は、何にも代え難い喜びだ。加えて調子が良い。さあ張り切ってまいりましょー!と思っていたら、背後のライブとは無関係に来ていた客がうるせえ……

私は何も、私がピアノを弾いている時に黙っていてくれ、などとは思わない。喋りながら、リラックスして楽しんでくれればそれでいい。そもそも場末の音楽だ。多くは望まない。しかし。

ボリュームというものがあるだろ。客は君たちだけではないのだ。奇特な人達かも知れぬが、私の音楽を聞きにきてくれた人達がいるのだ。全てをかき消すような大声で喋り続けて、君たちはそれで楽しいかも知れないが、他の人達の気持ちというのは少しは考えられないのか。こちらもロックバンドのような大音量ではないのだ。君たちが普段通りの音量で喋っても十分に会話は成立するだろう。

そんな事でイライラしていると、次第に演奏も荒くなる。音色が喧嘩腰になってしまう。そんな音楽では、聴衆の耳を再びこちらに傾かせる事は出来ない。全てが呪われた悪循環のように、悪い方へ悪い方へと転がる。

優等生ぶって謙虚ぶる訳ではないが、それは私に大半の責任がある。店が悪い、客が悪い、などと言って自己完結するのは簡単だが、それではそこで終了。問題は何一つ解決されず、再び同じ事が繰り返される。客に「うるさい、黙れ」と偉そうに言うのも同様。お互いに嫌な気持ちを増幅させ、最悪な結末を迎える。その手の失敗は昔たくさんしたから知っているのだ。

ああ、どうすればいいのだろう、と途方に暮れているが、暫くはその事は忘れずに考え続けよう、と思っている。解決の糸口は必ずどこかにある。

今日はいつになく調子が良かった。しかし、いつになく憂鬱な気分だ。とりあえずは、酒を、飲む。

| | コメント (2)

2006年10月 7日 (土)

和と伊の融合

昨日に引き続き食べ物の話を。

数日前に米がなくなった、と書いた。途方に暮れていたが、近所のスーパー「ナナ」に寄ったらうどんが一玉30円で売っていたので7玉買った。1日に2食以上食べる事はないので、最低4日はこれで耐えられる、と思い安堵していたが、そのうどんも今日、底をついた。

別れを惜しむかのように月見うどんを大切に啜った。花に嵐のたとえもあるぞ、さよならだけが人生だ。そんな事を思いながら。

さて、明日から何を食って生きよう。私は人なので、霞を食っては生きていけない。かと言って金はない。家をくまなく探してみたら、思いがけない宝を発見した。

スパゲティだ。400g入りのスパゲティが半分ぐらい残っている。これは素晴らしい。

私は料理が苦手であるので、凝った料理はしない。正確には「出来ない」。しかし、その料理の才能の無さは、思いもよらない名料理を生み出す事もある。本来ならば、一子相伝の秘技であり、門外不出の料理であったが、私の発明した料理を今日は紹介しよう。その名も「和風スパゲティ」だ。メモの用意は宜しいだろうか。

まず、パスタを茹でる。茹で加減は所謂「アルデンテ」。若干硬めなくらいが丁度良い。そしてこの時に大切な事なのだが、それはイタリア人の気持ちになりきって茹でる事だ、ボンジョルノ。つまり茹でている最中に女性に会ったら、それが誰であろうと口説かなくてはならない。それが礼儀だ。セニョリータ、君は僕の太陽だ、などと良いながら。戦場の兵士がいつ何時も誰かに襲われる事を想定しながら生活するように、パスタを茹でている時は、いつ何時も女性を口説き落とす事を想定しながら茹でなくてはならない。そこは言い換えれば戦場なのだ。油断は死に繋がる。

さて、茹で上がったらもう日本人に戻って頂いて構わない。秘すれば花、の精神を思い出すのだ。つまりチラリズムを。何の事だ。

茹で上がったならば、湯を切って、少々のオリーブオイルを用いてフライパンで炒める。その際に、上からポン酢を垂らす。これによって、イタリア風のスパゲティに、和の心が加わる訳だ。第二次世界大戦の負け組同士のコラボレーションだ。ここにドイツの食材が加われば、負け三国同盟スパゲティ、となる所なのだが。

ポン酢が均等に麺に絡まったら、それを皿によそる。何も具のない蕎麦を「掛け蕎麦」と言うように、これは一見すれば「掛けスパゲティ」である。

ここで登場する極上のスパイスは、「想像力」である。イマジネーションだ。食す前には、そこに茄子とアサリが彩られている、と自らに念じる。強く念じるのだ。テレビを付けて、料理番組が放送中ならばそれを見ながら、というのも良いだろう。そして一番のキーポイントだが、食べる前には必ず「おお、美味そ…」と言う。必ず。声に出して。

一口食したならば「ああ、うめえ…」と感嘆のため息を一つ。必ず。声に出して。

そうする事で、それは実際に美味くなる。つまり私の紹介した料理の正式名称は「ポン酢風味の和風スパゲティ、イマジネーション和え」だ。多分もうじき空前絶後のブームがやってくるに違いない。

という事で、私は明日から上記の「ポン酢風味の和風スパゲティ、イマジネーション和え」を日々食する事にする。いずれ私はセリエAで活躍するかも知れないが、その際にはチームメイトのイタリア人にこの和と伊の融合を教授しようと考えている。

| | コメント (4)

2006年10月 6日 (金)

味覚の地域差と野菜の気合い

生まれは葛飾区、育ちは江戸川区、どちらも東京である。下町だ。

江戸っ子は宵越しの銭は持たない、というが、それは私の貧乏とはあまり関係はない。確かにあればあるだけ使ってしまうが、それは気っ風が良いからではなく、単に計画性がないだけだ。私が冒頭で東京育ちだと宣言した理由は、「味覚」の話をする為だ。

インドやタイに行った時に、現地人達が食事中に、沢庵を食べるかのような感覚で青唐辛子をむしゃむしゃと食べるのを見て「バカじゃねえのか、コイツラ」と思う反面、「ああ、やはり育ちによって味覚の感覚って変わるんだな」とも感じた。インド人達があまりに美味そうに青唐辛子を食べるので、試しに一つ食べてみた所、半日間はずっと口の中が痛かった。再び「アイツラはバカだ」と思った。少なくとも味覚に関しては。

そうなのだ、育った土地によって、味覚は変わる。個人的な嗜好を誤差の範囲だとすると、大まかな地域的傾向というのは確かに存在する。地域ごとの食に対するイメージは、得てして偏見ではないのだ。

インド人はカレーばかり食べている。(←本当。正確には、全てがカレー味)

タイ料理は辛い。(←半端ではない。パじゃねえよっ、て言ってしまう)

ドイツ人は芋とソーセージとビールが好き。(←ドイツに行った事はないが、多分本当。だからデブが多い)

他にも色々あるだろう。フランス人のカフェオレとクロワッサン、みたいな「シャラくさいコンボ」。アイルランドのフィッシュアンドチップスとギネスビール(←大好きです)。アメリカ人はいつもガムを噛みながらコーラを飲んでいる(←差別)。などなど。

ともあれ、確実に地域差は存在する。それは国を跨がずとも、日本国内ですらあるのだ。

本日の話の主眼はココ。関西人と関東人の味覚の違い、だ。やっと本題か。前置きが長いな。

私は京都で暮らし始めてもう10年近くになるが、味覚は育ちの関東人のままである。かなり典型的な関東人の味覚だ。ソース味より断然醤油味が好きだ。納豆が好きだ。うどんより蕎麦が好きだ。お好み焼きを食べながらの米飯はちょっと遠慮したい。そして何より、

葱は白葱だ!

そう、関西では嫌いな人も多い白葱、私はあの葱が大好きなのだ。

少し火で炙って醤油を垂らして。最高の酒の肴だ。味噌汁やラーメンに入れてもいい。あの鼻をつく独特の香り、たまらない。

その、大の白葱党である私が、先日、生まれて初めて自分の金で青葱を買った。原因はスーパーで特売がなされており、白葱と青葱とでは値段が倍ぐらい違った為だ。不本意だ、しかし貧乏の前では、信念も時には曲がる。仕方あるまい。そんな事を考えながら青葱を購入して家に帰り、うどんに刻んで入れてみる。刻んだ青葱の入ったうどん、今思い返せば、典型的な関西メシだな。

食べてみると、これが意外と美味い。

白葱ほどの強烈な香りはないが、程良い歯触りと香り。値段を考えれば悪くない。そう思っていた。

ところが、である。

青葱、気合いが全く足りていない。

買って2日で何本かが腐り始めた。シャキシャキの葉先が萎びていき、黒く変色している。何だコレは、貴様はモヤシか!

味、値段以上に、気合いの面で、青葱は気に入らない。二度と買うまい、と気持ちを新たにした。

うむ、やはり葱と言えば白葱だ。

| | コメント (0)

2006年10月 5日 (木)

10月ライブスケジュール

ライブスケジュール、10月はほぼ確定したので、更新しておきます。若干の変更はありえるかも知れませんが、そこは御了承下さい。前もって御連絡頂ければ、詳細をお知らせします。問い合わせ先は、プロフィールの所の「メール送信」から、お気軽にどうぞ。

2006年10月

10月7日(土)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
sax:黒田雅之 pf:福島剛
グリニッジハウス、初めて昼間にやってみます。今回は、黒田さん主体の選曲です。マイナー(短調)の曲が好きなんだなあ、という印象。
15:00~start  music charge:カンパ制

10月8日(日)木屋町menomosso tel 075-211-8626
http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/
pf:福島剛
月イチ恒例、ソロピアノ。楽しくいきます。僕の大好きなニューオーリンズ・ナンバーをやったり、ブルーズをやったり。気分によっては僕のオリジナル曲も披露したり。
21:00~start music charge:カンパ制

10月10日(火)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
毎月第2火曜は何があろうとmojowestで、このメンバーでやってます。それが仮に体育の日であっても。今回はコルトレーン・ナンバーを中心に。
20:00~start  music charge:1500円with1drink

10月13日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。ボーカル、楽器、大歓迎。
00:00~start  music charge:2000円

10月15日(日)岡崎 ZAC BARAN
tel 075-751-9748
http://www.secondhouse.co.jp/
ts:福代亮樹 b:鶴賀信高 pf:福島剛
普段は比較的クールな福代・鶴賀両名が「アホ」になる日です。福代君、今回は恋の歌に挑戦します。恋がしたい、と漏らしておりました。
19:00~start  music charge:カンパ制

10月20日(金)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
ds:田中久仁彦 b:鶴賀信高 pf:福島剛
やろうかと前から言っていた後輩の田中久仁彦くんのトリオ、やっと始動します。アグレッシブなジャズをやります。
20:00~start  music charge:カンパ制

10月21日(土)深草ざぶざぶ
tel 075-642-6348
http://www7a.biglobe.ne.jp/~zabuzabu/
vo:岩井繭子 b:鶴賀信高 pf:福島剛
かの伝説のドラマー「ケン坊」さんこと村上健三郎さんのお店です。料理も飲み物もリーズナブルで美味しい、とても雰囲気の良いお店。京阪深草駅の目の前です。
19:30~start music charge:1500円

10月22日(日)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
ds:副島正一郎 b:椿原栄弘 pf:福島剛
ロック+ブルース+ジャズ=ニューオーリンズ(???)。御馴染みNEZOEです。僕が一番本領を発揮できるバンドかも知れません。
20:00~start  music charge:カンパ制

10月27日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。ボーカル、楽器、大歓迎。
00:00~start  music charge:2000円

10月28日(土)木屋町menomosso
tel 075-211-8626
http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/
vo:岩井繭子  pf:福島剛
10月締めくくりはボーカルデュオ。マユちゃん、ステージを重ねるに従って苦手だったMCも少しずつ上達してきました。
21:00~start music charge:カンパ制

| | コメント (0)

2006年10月 4日 (水)

久々の大掃除

一日かけて我が家の大掃除をした。お陰で我が家は見違えた。

私は掃除が苦手だ。加えて炊事、洗濯。家事は全て苦手だが、掃除は特に苦手だ。散らかった部屋が、さほども居心地が悪くない、というのもあるが、掃除自体が苦手なのだ。掃除が苦手な一番の原因は「物を捨てるのが下手だ」という事だと思っている。

また使うかも知れない。思い出にとっておこう。

そんな事を考えていると、なかなか捨てられない。大体は、捨てることを迷うような物というのは、再び使うような事はないのだが。

もう一つ、私は本が捨てられない。読んだら捨てる、ぐらいしていかないと本棚に入り切らなくなって困るのだが、また読むかもしれない、となかなか手放せない。今日は、本棚をしっかりと整理した。細かなスペースに文庫本を詰め込み、ハードカバーや大判の本は空いたスペースに。お陰でカチカチに詰め込んで、はみ出ていた本も綺麗に収納された。ただし、もう余裕はない。気張って残り五冊、という所だろうか。小さい本棚買おうかな。

綺麗になった我が家は気分が良いが、何となく落ち着かない。とりあえず、夕飯のうどんを食ってから酒を飲む。

今日は気分良く寝れるかも知れない。

| | コメント (0)

オシムとベケット

サッカー日本代表オシム監督、明日のガーナ戦に向けた記者会見で「ガーナ戦の先発メンバーは?」と聞かれ、答える。

「知っていればここで発表しているよ」と。

ベケットファンである私は、ベケットが嘗てインタビューで「『ゴドーを待ちながら』に描かれるゴドーとは何者か?」と聞かれた時に

「知っていれば作品中に描いている」と答えたのを思い出す。

オシム監督の手腕がどうなのか、私にはまだわからない。と言うよりも、まだ現時点ではしっかりとした評価を下せるほどの材料がないのだから、誰もその真価はまだ知らないのではないか、と思う。

しかし、少なくとも毎回の記者会見は興味深い。そのユーモラスな言葉は、何かを期待させる。

オシムとベケットに類似点があったとは、驚きである。

| | コメント (0)

2006年10月 2日 (月)

10月1日、上賀茂神社にて

静寂の中、黒白のピアノの鍵盤が叩かれた。

心憎いまでの絶妙な調律を施されたスタインウェイのフルコンサート・グランドピアノから、透き通るように透明な音が、一つ、また一つと虚空に刻み込まれていく。それまで空間に漂っていたはち切れんばかりの緊張感は、ネジを一つずつ緩められていくかのように解れ出し、それと同時に時間の流れは途端に遅くなる。ピアノに向かって当てられた唯一のライトだけが、暗闇の中で一層光り輝き、渦中のその男の姿はますます明確に浮かび上がっていく。

今ここで、何か大変な事が起きている。私は直感的にそう感じた。

固唾を飲む。

その十本の指は、男の脳、そして男の心の完全な奴隷となり、青く光る静かな炎の如き彼の精神を、88つの鍵盤を媒介にして現実世界に還元させる。

私はそっと瞼を閉じる。目には暗闇だけが映る。そして聞こえてくるのは、これは果たして本当にピアノの音なんだろうか、と疑いたくなるほどに美しいピアノの音色。まるで私は銀河の中を独りで彷徨っているかのような錯覚に陥る。第三次空間から第四次空間へ。鋭くも暖かい音が私を包む。

再び目を開け、視線を男に向ける。

私の視線の先にいるのはMr.アブドゥラー・イブラヒム。南アフリカが生んだ不世出のジャズピアニスト。

奇跡である。

私はそう考えずにはいられなかった。

Mr.アブドゥラー・イブラヒムがピアノという楽器に出会い、ジャズという音楽に出会い、そして今こうして眼前でピアノを奏でている。素晴らしい、などという言葉が陳腐に響きそうなほどに、その演奏は素晴らしかった。形容するべき言葉がない。まるで、この現実世界の出来事ではない、奇跡であるかのようにすら感じられたのだ。

しかし、それは眼前で「実際に」起こっている事であった。絵に描いた餅でもなければ、空想でもない。紛う事無き現実であり、私はそれが何かの幸運な奇跡のように思えて仕方が無かった。

Mr.アブドゥラー・イブラヒムは私たちに音楽を「聞かせない」。それは、「聞かせる」という行為とはいささか異なる、「置いてくる」という行為に近いように私には思えた。彼は私たちの心に音楽を「置いていく」。置かれた音楽はまるで燈籠のようだ。ぼんやりと、しかし確かに明るく私たちの心を照らす。古い瑕疵を暖かく包み、全てを赦すような、暖かな光である。

偶然私の傍らでその音楽に耳を傾けていた女性の、頬に一筋、涙が伝った。それは彼の音楽が女性の心の中に置いてこられた事によって、女性の心の中で新しい扉が開かれたしるしだった。美しい涙だ。私はそう思った。

私はぼんやりと、「ある男」の事を想った。私にMr.アブドゥラー・イブラヒムの存在を教え、そしてジャズという音楽の素晴らしさを必死で伝えようとしていた「ある男」の事である。

三年前にMr.アブドゥラー・イブラヒムが来日した折に、彼は私に言った。

「素晴らしいピアニストがやって来る」と。とても嬉しそうに。

三年前、そのコンサートの会場で私は彼に会った。彼は興奮気味に、私にMr.アブドゥラー・イブラヒムの素晴らしさを改めて語った。

昨日の会場に、彼の姿は無かった。あれほどまでにジャズを愛した男の姿が、ジャズの奇跡が成された場所に、無かった。

こっちでは今、凄い事になってます。そっちはどうですか。負けじと凄い事になっていますか。

私は心の中で彼に尋ねた。

彼はきちんと、優しく答えを返してくれた。

私は、小さく頷いた。

ピアノの最後の一音の余韻が止み、再び会場を一瞬の静寂が支配し、そしてそこから鳴り響くかのごとき激しい拍手がMr.アブドゥラー・イブラヒムに送られた。300人にも及ぶ人々の両の掌から叩き出される、音、音、音。どの音が誰の出した音かを特定するのは不可能だ。

けれど、私は知っていた。

歓喜によって紡ぎ出された無数の音の中に、確かに彼の出した拍手の音のある事を。彼もまた、この会場のどこかで、満面の笑みを湛えながらMr.アブドゥラー・イブラヒムの演奏に耳を傾けていた事を。

昨日私が上賀茂神社の地で目撃したのは、音楽という物の持つ、底知れぬ可能性だった。そして、私は今日なら言える気がする。そこにあったのは、或いは愛だったのかも知れない。

| | コメント (0)

2006年10月 1日 (日)

ニュースで見ました

イスラエル軍撤退完了だってさ。遅えよ、バカ。

| | コメント (0)

« 2006年9月 | トップページ | 2006年11月 »