蕎麦という文化
月にむら雲花に風。世の中の好事にはとかく障害が多い。
立ち食い蕎麦屋に行くと、私は大抵月見そばを頼むが、月見そばを食べる時はこの言葉が頭をよぎる。ホラ、汁の上で卵の白身がほんのり白くなっている様子が何か雲のようにも見えるじゃないですか。
蕎麦という食べ物が好きだ。何か好きなものを食べていい、馳走してやる、と言われたら、私は多分カレーかラーメンか蕎麦、と言うだろう。小学生のような味覚。仕方あるまい、好きなんだもの。最近は何につけても金が無いので、とんと外食から遠のいているが、私は本来外食が好きなのだ。金があるならば、毎日外食したい。そしてホテル暮らしがしたい。余談だがホテルなるものも好きなのだ。白いシーツ、無機質な部屋、折り目正しい従業員の挨拶。
話が逸れた。今日は蕎麦の話をしようと思っていたのだ。
私が蕎麦を食べる時には、食べる店のタイプは、二つに分けられる。
一つは所謂「立ち食い」蕎麦屋。月見そばが三百円もしない。水は大抵がセルフサービスだ。嘘みたいな本当の話だが、立ち食い蕎麦屋にはクォリティにかなりのバラつきがあり、たまに「当たり」の店に入った時などは、「この値段でこの美味さ、本当に良いのか?」と我が目を疑いたくなる。
もう一つは、蕎麦湯の出て来るような「正統派の」蕎麦屋。ザルは一枚六百円前後。中島みゆきの歌詞にもあるのだが、風が暖簾をバタバタ鳴かせて、ラジオは知ったかぶりの大相撲中継をしてるような店が良い。
ちなみに、世間にはたかだか蕎麦如きで一杯千円二千円もの金額をせしめる不届きな店もあるが、それは蕎麦屋の風上にもおけぬ、と、今回はその存在を無視する事にする。蕎麦は高級料理ではないのだよ。勘違いするな、馬鹿者が。
という事で、蕎麦屋のタイプは以上二つである。これら二つのタイプの蕎麦屋に対して、「どうせ蕎麦屋なんだから一緒だろ」と高を括るようなスタンスでいると、蕎麦の世界は楽しめない。あくまで参考までに、という事なのだが、私なりの楽しみ方をそれぞれ紹介しよう。安価にして奥深き蕎麦の世界へようこそ。
まず、立ち食い蕎麦屋の楽しみ方である。これは、いかに刹那の関わりを楽しめるかという、大袈裟に言えば「人間力」が試される場だ、と思って頂いて結構だ。
つまり、端的に言えば、立ち食い蕎麦屋においては、我々はウエットな人間関係を求めてはならない、という事だ。
暖簾をくぐる。さっと店内を見回したら、直ぐに注文をしよう。昨今は、自動販売機による食券制の店が増えてきたが、直接に口頭で注文をする店も未だにいくらでもある。間違っても「今日のオススメは何ですか」などの質問をしてはいけない。愚の骨頂だ。私の場合は、殆どが月見そばであるが、気分によっては天ぷらそばを注文する。勿論、立ち食い蕎麦屋の天ぷらそばとは、かき揚げの乗った蕎麦の事だ。海老の天ぷらが乗ってない、などと怒らないように。
注文した品がやって来たら、七味唐辛子を好みでふりかけて、無駄口を叩かずにさっさと食べる。美味くても不味くても、表情に出してはいけない。啜る際に音が立つ事など気にしてはならない。一心不乱に蕎麦を啜るのだ。それは純粋な「行為」である事を知るべし。
食べ終えたら、「ごっそさん」ぐらいの一言で店を出る。美味かっただの不味かっただの、余計な愛想は不要。そんな事を口にする暇があるならば、爪楊枝で歯間の葱でもほじっていれば良い。長居は無用。寧ろ無粋だと思って頂きたい。くどいようだが、立ち食い蕎麦屋というのは、「蕎麦を食す」という「行為」を純粋に楽しむ所なのだ。それ以外の楽しみは、「正統派の」蕎麦屋で楽しめば良い。それは、以下に記す。
「正統派の」、テーブルと椅子に腰掛けて食べるような蕎麦屋。こういった店の楽しみ方は、立ち食い蕎麦屋とは大きく異なると思って頂きたい。もう少し、のんびりと行きたいものだ。
暖簾をくぐる。席に着く。店員が茶とおしぼりを運んで来る。これは私の経験からだが、蕎麦屋の店員というのは必要以上に媚びず、場合によれば無愛想にも見える事が多々あるが、そこはそんなものだ、と思っておいた方が良い。実際、そんなものなのだ。
茶を一口啜ってから、「お品書き」にざっと目を通す。あまり時間をかけるのも無粋である。この手の店の場合、私は殆どはざるそばを頼むが、これもやはり気分によっては、たぬきそばを頼む事もある。今は、仮にざるそばを注文したとして話を進めよう。
注文の品がやって来るまで、多少時間がかかる。その間、独りならば新聞を読んだりテレビの相撲中継を見たりして時間を潰すが、誰かと一緒の場合は、会話に興じる。
−あいつ、この間こんな失敗やらかしたらしいぜ。
−あいつもバカだな。昔っからそういう所あるよな。
−お前も人の事言えた義理かよ。
−ちげえねえ。
イメージとしてはこんな会話だ。そんな非生産的な会話を交わしていると、ざるそばがやって来る。お待ちどうさま。
薬味は葱と山葵と海苔か。漬け汁の中に程良く薬味を入れて(私は全入れ、という邪道な拘りを持っている)蕎麦を啜る。この際にも、あまり大袈裟な会話は慎みたい。
−おいおい、山葵入れすぎじゃねえか?体に悪いぜ。
とか、その程度で良い。
蕎麦がなくなれば蕎麦湯を頼み、漬け汁に注いでそれを味わう。
食べ終えたら、私は大抵ビールを頼む。蕎麦屋でビール。これがたまらなく好きなのだ。気分が良いと、そこに板わさの一つも頼みたくなる。蕎麦屋。眼前には板わさと瓶ビール。何の生産性もない、停滞した時間がそこにはある。ゆっくりと、ゆっくりと時間だけが流れていく。
という事で、極私的な蕎麦の楽しみ方を書いてみました。
書いていたら蕎麦が食いたくなってきた。朝一の立ち食い蕎麦屋にでも、ちょっくら行って参りやす。
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