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2006年8月

2006年8月29日 (火)

北紀行 最終章

何回かに分けて書いてきた今回の旅行記だったが、これで最後にしようと思う。最後のまとめです。

もう北海道を後にしてから一週間以上が過ぎ去っていることに、いささか奇妙な感覚を抱く。一週間前には私はあの北の大地にいたのだな、と思うとあまり現実感が無い。今、私は京都にいる。そして無為の日々を過ごしている。旅の期間を「非日常」と考える事は私はあまり好きではないのだが、しかし、実際にそれは「非日常」であったのかも知れない。そして、この京都に戻ってきた日々が「日常」か。うむ、それはあながち間違いではない。

Tと旭川で別れてから、私は再び鈍行列車に乗り青森を目指した。旭川から小樽、小樽から長万部、長万部から函館、函館から木古内、木古内から蟹田、蟹田から青森。

乗換えが上手くいけば、何とかぎりぎり一日で着く距離である。乗換えが上手くいけば、そしてノーミスでいければ、である。

当然私には無理な話である。小樽でラーメンを啜ったり、長万部で街中を彷徨いたり、そうこうしている間にその日の間に辿り着けるのは、北海道の南西端近く、木古内までだという事が判明した。仕方あるまい。函館の手前、五稜郭駅で電車を乗り換えて、終点の木古内まで寝てしまおう、と眠りに着く。

終点。

木古内か。

木古内ではない。

七飯?どこだそこは。

私は電車を操縦していた中年の車掌に尋ねる。

―木古内ってここから乗り換えですか?

―何言ってんだよ、全然方向逆だよ。

しまった。やってしまった。お得意の逆走だ。私は電車に乗る際に、あまり行き先を確認しない悪癖があるので、ここまでにも何回もこの逆走をやらかしてきている。

そうした時は決して焦ってはいけない。仕方ない、と腹を決める。誰が悪いわけでもない。私が悪いのだ。

反省?もちろんしない。当然の事ながら、学習もしない。

こういう時、私はただ「諦める」ようにしている。七飯の街(村?)並みを見渡す。見事に何も無い。よし、今日の野宿はここかな、何も無い村での野宿は私は決して嫌いではない。そう思っていたら、車掌が私に話しかけた。

―この列車ね、回送で函館まで行くから、特別に乗っけていってあげようか?

私は暫し思案する。頭の中では、この七飯で野宿をする心積もりであったからだ。

しかし、その心積もりは所詮即席のものであり、即席に彼方に消し飛ぶ。

―お願いします。

私は車掌に頭を下げていた。

回送の電車というのも、出発する時間、到着する時間がきっちりと決まっているらしい。私はそんな事は初めて知る。日本の鉄道事情は、私が思っているよりも遥かに緻密なのかもしれない。

回送電車が出発するまでの数十分間、私はその車掌と世間話に興じる。気さくな車掌であれこれと私に喋りかけてくる。私も話し相手に飢えていたし、願ってもない。

―青春18切符かい?

―ええ、そうです。

―どこからだい?

―電車は、東京からです。住んでるのは京都なんですけど、京都から東京までは夜行バスを使ったんで。

―へえ、遠いねえ。これから帰りかい?

―ええ、まあ、ゆっくり帰ろうとは思っていたんですけれど。

幾つかのやり取りを交わす内に、少しずつ私と車掌とも打ち解けてくる。それと同時に、夜中の電車の中で、中年の車掌と貧乏ったらしい格好をした私とが二人で会話をしているという奇妙なシチュエーションに、我ながら楽しくなってきてしまう。

―北海道、すごく楽しかったです。一週間ぐらいしかいれませんでしたけど。

―そうかい、そりゃあ良かった。夏は涼しくて良いよね。

―車掌さんは、ずっとこちらにお住まいですか?

―いや、若い頃は東北にいたけどね。電車に乗るようになってからはずっと北海道だ。もう三十年以上になるよ。

そう言った中年の車掌は少し苦笑いを浮かべた。どうにもならんよ、という事なのだろうか、それとも、様々な意味を含めた自らへの肯定の笑みだったのだろうか。

―オニイチャンな、

ふと車掌がこちらを向き直して言った。

―はい。

―そんな気ままな旅が出来るのは若い内だけかも知れないよ。

―そうかも知れませんね。

私も内心苦笑する。26歳。周囲はもう勤め人として立派にやっているのに、私はまだこんな風転の生活をしているのだから。

―でも、そういう体験は俺は良いと思うけどな。

その言葉は、何だか社交辞令とはまた少し違うニュアンスを持った言葉のように私には響いた。

―そうかも知れませんね。

私も曖昧に言葉を返す。

―ただな、オニイチャン。

―はい。

―電車の行き先だけはきちんと確認しなきゃなんねえよ。ほんの一瞬の注意でミスはなくなるンだから。

―ええ、まったく。

私にはそう言葉を返す以外には、バツの悪い笑みを浮かべるしかなかった。

―あとな。

何か格言染みた事でも言わんとする雰囲気で、車掌は身を乗り出した。

―年がいってから、そんな風にフラフラしてると痛い目見るぜ。

―はあ、何故ですか?

いささか神妙だった面持ちを車掌は一気に綻ばせて言った。

―家族が逃げちまうんだあ。

ああ、そうかと私は笑った。投げやりな笑いではなかった。

―もう行こうか、ぼちぼち時間だ。

そう言うと、車掌は運転席へ戻り、幾つかの機械的な確認の動作を行ってから、電車を走らせた。

私は電車に揺られながら、この数日の事を思い出したり、取り留めの無い空想に浸っていると、電車はあっという間に函館へ着いた。

函館駅で車掌に礼を言って、その列車を後にする。

―気をつけて行くんだよ。

そんな声が後ろから聞こえる。私ももう一度後ろを振り向き、頭を下げる。

しばらく歩きながら、今晩の事を考える。

函館で野宿するか、それとももう一度電車に乗って木古内まで行くか。そう思いながら函館の街に降り立つ。

その時、私の目に深夜急行列車の文字が目に入る。上野行き。23時過ぎの発車だそうだ。

私は財布の中身と相談しながら、恐る恐る駅員にその深夜急行の金額を聞く。

2万3千円。

見事なほどに、ぴったり私の全財産であった。

この切符を買ってしまえば、私の財布は空になる。しかし、私は、ここまでの偶然の一致だ、これはもう上野まで深夜急行に乗ってしまえ、と腹を括って、その切符を購入した。後は野となれ山となれ。いつもこういう場面では、私は後先の事など考えずに思いつきだけで行動してしまう。こういった部分は、きっと死ぬまで直らないのだろうな。仕方ない。

切符を買ったのが午後9時過ぎ。電車の発車までには二時間以上があった。私は最早歩き疲れていたので、函館の路上で漫然としていた。(数回前の「箸休め的な更新」だか何だかを参照頂きたい)これから、本州に帰る、という気持ちと、やはりこれから「日常」に帰る、という気持ちが入り混じって、何とも寂しい気持ちになる。函館駅の、不自然に華美なイルミネーションを眺めながらぼんやりとする。ああ、もう終わりだ。

今回の旅で私が得たもの。

無論、何もなし。

今回の旅で私が失ったもの。

不思議なことに、何もなし。

私は停滞している。

列車が出る。ドアが閉まる。私は、北海道を後にした。

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2006年8月28日 (月)

帯広〜旭川。極悪の男。

さて、北海道バカ紀行、帯広〜旭川編。勿論、これまで同様、曖昧な記憶を思い起こしながらの記述である。全てが事実な訳がない。そもそも、しつこいようだが私にとっては「事実」には何の意味もないのだ。その辺りは御了承頂きたい。

愉しくも後悔にまみれた釧路の夜を過ごした私とTは、二日酔いの気持ち悪さと戦いながら、朝の十時前に釧路の地を後にした。次の目的地は帯広。釧路からの進路は西に向いた。

帯広での目的は豚丼(ぶたどん)なるものであった。名物だという。吉野家の豚丼とはまるで似て非なるものである。要するに、昼飯にその名物を食する為だけに帯広に寄ろう、というもの。食べ物の話は簡単に書く事に決めているが、豚肉がジューシーで柔らかく、とても美味かった。以上。帯広は、京都の街並みのように碁盤の目のように区画されていた。地名の呼び名も、東西南北と数字を組み合わせた無機質なもの(ex:南10西3など)。Tに教えてもらったが、北海道に移住してきた屯田兵達は、見知らぬその地を支配する為に、まずは上記のように機械的に街を区画したのだと言う。札幌に南三条などの地名があるのもその名残だと言う。なるほどね、移民の土地だものね。

少々話がズレるが、北海道では、思想が右寄りか左寄りかを見分けるのに、単純で簡単な方法があるという。それは、右寄りの人間は北方領土の話題を盛んに出すし、左寄りの人間はアイヌの話題を盛んにする、という事。勿論、あくまで目安に過ぎないが、Tから教えてもらったこの見分け方には、納得する部分も多いにあった。アメリカなどではなく、「ロシア」と「内地」が北海道民にとっては大きな存在なのだな、そう感じた。

そんな事を話している内に、車は富良野へ差し掛かった。

富良野。

私にとっては富良野とは、イコールTVドラマ『北の国から』である。

私は昔から『北の国から』が好きであった。そして昔、『北の国から』が好きな女の子の事が好きだった。よく一緒に『北の国から』を見た。最終回の「遺書」は、リアルタイムで一緒に見たな。楽しかったな、と思い出す。彼女の事は、いつまでたっても忘れられないのだが、折に触れて思い出してしまう。いつになったら風化するのか。最早別個の人生を歩いているというのに。

過去ばかり見ていてはならない。

富良野では、有名なラベンダー畑へ。時期を外してしまっていた事もあり、一面満開とはいかなかったが、それなりに綺麗であった。ついつい携帯電話で写真を撮って友人に送ってしまう。私も少しぐらいは北海道に浮かれたいのだ。いいだろう。

富良野を過ぎ、美瑛の丘の景色を眺めながら、私たちは進路を北へ、旭川へと向かった。Tにはなかなか言えなかったが、旭川が私たちの別離の地となる事がわかっていたので、私は旭川が近付くにつれて、一抹の寂しさを覚えていた。この楽しい旅も確実に終焉に近付いている。ずっとこのまま馬鹿な旅を続けられれば良いのに、とすら思ったが、なかなかそうもいかない。無限のものなどない。全ては限りあるからこそ、馬鹿馬鹿しくも輝かしいのだ。

さて、旭川である。実はこの旭川、Tの生まれ故郷である。私の印象は、都会、である。札幌に殆ど寄っていないので何とも言えないが、今回私が訪れた主要都市、函館、小樽、北見、釧路、帯広、富良野、これらの街と比べても、旭川は「都会」であった。勿論私は表面しか見ていない。実情には、なかなか旭川の人口は増えず、そして高齢化にも拍車がかかり、都会だ都会だと言うのはナンセンスかも知れぬが、所詮は余所者の戯れ言だ。こんなものなのだ、余所者というのは。

旭川では、まずはジンギスカンを食おうという事になった。Tがおもむろに誰かに電話をかけ始めた。昔の同級生に電話をかけて、美味いジンギスカンを食わせる店を尋ねていたらしい。

Tが電話をかけたのは、彼の高校の同級生にあたる「まーくん」という男。まーくんは的確にジンギスカンの美味い店を教えてくれた。実際、その後にTと訪れたジンギスカン屋は美味かった。ラム肉独特の臭みはまるでなく、芳醇なコクだけが口の中に広がるような、上質のジンギスカンであった。しかし、そんな事はどうでも良いのだ。大した事ではない。

問題はこの「まーくん」という男。今回の話の核になりうる男である。

Tがまーくんに電話をかけた時、電話を切る間際のやり取りは以下のようなものであったという。

ーわかったー、ありがとう。行ってみるね。まーくんは今何してんの?

ーえーとね、仕事で待機中。

ーえっ、仕事って何してんの?

ーああ、デリヘル。最近始めたんだ。

との事である。まーくんは、どうやら無店舗型派遣風俗店、デリバリーヘルス、略してデリヘルのオーナーに最近なったのだという。

もうこの時点で私とTは、「まーくんっちゅうのは悪い男だねー。女の子は自分の好みで選んでるのかねー。どうなんだろうねー。」と興味津々であった。

その後、まーくんと合流して一緒に酒を飲もうという事になった。私たちは路上の簡易ビアガーデンでまーくんを待つ。

現れたまーくんは、私の想像とはかなりかけ離れた、涼しげなインテリ風の男であった。眼鏡の似合うクールガイ、そんな風貌であった。

簡単な挨拶を済ませ、Tがまーくんに「どこかまーくんが普段行くような飲み屋に連れて行ってくれ」と言った所、まーくんは「じゃあ行こうか」と私たちをビアガーデンの向かいの雑居ビルの中へといざなった。

着いた所は所謂キャバクラ。旭川でキャバクラに来てるぜ、何してんだ俺たちは、などと思いながら私たちは席についた。私たちの横には二人の女性が酒のお供に付いた。源氏名は共に失念したのだが、オレンジ色の服を着た女と黒色の服を着た女が付いたので便宜上橙女と黒女と呼ぶ事にする。黒女は、それなりに器量も良く、聞き上手といった感じ。決して面白くはないし、あまり金を払う価値は見いだせなかったが、こんなもんだろうと思う。困ったのは橙女である。自分の事をよく喋るのだが、何一つ面白くない。こちらの下らないジョークは全て無視される。広げろよ、プロならさ!なんて思うのだけれど、お構いなし。いささか一貫性を欠く自分の話に終始する。何だか私もTもウンザリし始めた頃に、まーくんは一旦席を外し、キャバクラのオーナーと何やらごにょごにょ話している。二人とも目つきが悪い。

時間が来て、当然延長などする訳もなく店を後にする。あーあ、何だか面白くなかったねー。旭川の路上で私たちはそんな事を話していたが、まーくんがポロッと言う。

ーあの橙女さー、AV上がりなんだよ。

ーええー!マジでー!

私とTはついつい興奮してしまう。まーくんは続ける。

ーそんでさ、分かったと思うけど、あの女、喋るの全然ダメじゃん?あの店のオーナーから、ウチのデリヘルで雇ってやってくれないか、って言われててさ。喋れないんだったらカラダで稼いでもらわないとね。

なるほど、まーくんはキャバクラに遊びに行ってた訳ではなくて、人身売買をしに行ってたのね。こいつはトコトン悪いな。あまりに悪すぎて私も楽しくなってしまう。まーくんは更に言う。

ーでも、あの女、ちょっと精神を病んでるっぽいよね。まあ、隔離病棟に入らない程度に頑張ってもらおうかなー。

もうバッチリです。基本的人権は無視して、あの女を買ってしまって下さい。人権屋さんの言うことは、一通り無視しましょう。さっきキャバクラの店員と極悪な顔つきで喋っていたのは、そんな内容だったのですね。でも適材適所っていう言葉もあるもの。あの橙女の居場所は、多分キャバクラじゃないよ。まーくんは、そんなに間違ってない気がするよ。それは一種の優しさだよ。

そんな事を思ったり言ったりしながら、次に向かったのは何故か安居酒屋「笑々」。最も安いワインを注文し、三人で七本だか八本だか空ける。当然、この辺りからの記憶はない。

気がつけば、私は旭川から小樽に向かう始発列車に乗っていた。再び独りになって。

随分と長くなってしまいましたが、北海道旅行の様子は、次回、少しだけエピローグを書いて終わりにします。全部読んでくれている方、ありがとうございます。

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2006年8月23日 (水)

釧路の夜を記憶から抹殺するために

東京の実家からである。明日の昼から、また鈍行列車に揺られて、えっちらおっちらと京都まで帰るのだが、その前に、ほぼ中途で終わってしまっていた旅の日記をきちんと完成させようと思うに至った。けじめだ、けじめ。まずは釧路編。

何日間が既に経過しているため、思い出し乍ら書く。勿論、メモなどを取っていた筈もない。なので、全ては私の朧ろげな記憶が頼りなのだが、私の記憶力は人一倍悪い。ならば、思い出せない部分は、さもそれが実際に起こっていた事であるかのように、嘘を書こう。

この文章を読んでくれている皆さん、普段からそうですが、私はいつもここに真実ばかりを書いている訳ではありませんよ。面白く書くためには、嘘だって書きます。そもそも、真実なんてないんだ、というのが私の思考の出発点なんです。。虚構の中に、真実らしきものを見せる事こそ表現者の使命なんだと、私は思っております。

閑話休題。北海道の事を。

Tの運転する車が釧路の街に着いたのは、夕方の5時ぐらいであった。

釧路に向かうまでの道すがら、Tの車の中で、私たちは一青窈(ひととよう)という人のCDを聴いた。Tの車にあったのだ。彼と私の音楽の好みは、ジャズにおいては非常に近しい所があるのだが、それ以外のジャンルの音楽となると、その趣味は大きく食い違う。ジャズ以外ならば、私はクラシックやフォークソングが好きだ。Tは、ハードロックやパンクロックが好きだ。かみ合う部分は、極めて少ない。そんな私たちの音楽的嗜好が珍しく一致したのが、一青窈であった。

Tは、彼女の声が好きだし、彼女の顔が好きだ、と言った。

私は、彼女の言葉のセンスが好きだし、彼女の顔が好きだ、と言った。

一青窈の顔は、どうやら私にもTにも共通の、「好きな顔」であったらしい。そうだ、女の好みは似ていなくもなかったのだ、と思い出す。少し、クセのある美人がお互い好きだったな。

聴いていたのは、「月天心」というアルバム。初期のアルバムであろう。彼の車のCDチェンジャーは、何度もおなじCDを繰り返しかけるため、結局三日間で20回ほどこのCDを聴いた。ええいああ、という独特の歌い回しが、しばらくは頭にこびり付いて離れなかった。

釧路についてから、私とTの目的は、秋刀魚であった。秋の魚を八月に、という事にはいささかの違和感もあったが、そう言えばここは北海道だと気付く。秋の到来も私の感覚よりも早くて然るべきなのだ。

いくつかの居酒屋を様子見た後、一番秋刀魚の美味そうな店に入る。2、30分待たなくてはならない、と言われるが、Tと二人で何を食おうか、何を飲もうか、と相談しているうちに待ち時間となる。

秋刀魚は美味かった。酒も美味かった。以上。

必要以上に簡単に書いたのには訳がある。釧路の夜はここからが本番であったのだ。

二軒目に向かう途中、地域の祭で路上演奏をするファンキーなジャズバンドに出会う。彼らの特徴は、演奏が下手だ、というのが一点だ。映画『スィングガールズ』を御覧になった方はいるだろうか。少女たちのジャズバンドが練習を重ね、徐々に上達していく、という話なのだが、その未だ未熟な時期、その演奏を髣髴とさせるほどの下手さであった。にも関わらず、である。私たちはかぶりつきで見入ってしまった。

演奏とは無関係に踊り狂う意味不明なホスト風の男。そして、客席で強烈なテンションで踊るかなり太った女性。肉が揺れる。リズムに合わせて。そんじょそこらのお笑いライブを見るよりもよっぽど面白かった。ゲラゲラと笑いながら、小一時間ほどを過ごす。私もTも満足した。

その後、なぜか北海道、釧路であるにも関わらず、阪神タイガースファンの経営する「虎や」という店で飲み、さあ、どうしようか、とTと思案に暮れながら釧路の街を彷徨った。

そう、ここからが本番なのだ。

見つけてしまったのは「赤ちょうちん横丁」という、多分釧路でも最底辺の飲み屋街。喧騒と混沌の言葉がよく似合う飲み屋街を訪れてしまってからが私たちのワンダーランドの始まりであった。

暖簾をくぐった先には、3畳ほどのスペースにぎゅうぎゅうに詰め込まれた客・客・客。そして店主は若干日本語の不自由な美人の女性。周りの客が教えてくれる。

「ああ、この子ね、カイちゃんといって、ハーフだから少し日本語は苦手だけど許してね」

ほう、まあ、そんな事はどうでも良かったのだが、会話の流れで聞いてみる。

「どことどこのハーフですか?」

カイちゃんは答える。

「中国人と中国人よー」

そういうのはハーフとは言わない。むしろ純血と言う。

とりあえず、酒を頼もう。焼酎を下さい。はい、ええ、ロックで。

出てきたのはボトル。鏡月グリーン。目の前に、どん。

「たくさん飲んで下さいねー」

もう何でもアリだな。

隣に座ったオバちゃんと意気投合する。フィギュアスケートの先生だと言う。おお、何だか北海道っぽい。釧路っぽい。

オバちゃん、飲む。オバちゃん、酔っ払う。

私、飲む。私、ますます酔っ払う。

Tがふとこちらを見たら、抱き合いながら私とオバちゃんがディープキスをしていたらしい。記憶には、ない。いや、若干ある。出来れば抹殺したい記憶である。もう、私は何をしているんだろうねえ。

結局、その後、オバちゃんとTと三人で怪しげなスナックに行った辺りで私の記憶は完全に飛んでいる。スナックからの帰り道、私とオバちゃんが二人で暗がりに行くのを見て、Tは

「ああ、ホテルにでも行くのかな」とウンザリしたらしいが、その五分後ぐらいに「恐かったよう・・・」と私が逃げてきた、との事。

うーん、釧路に行っても馬鹿は、馬鹿、である。

次は帯広、富良野、旭川編です。

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2006年8月21日 (月)

箸休め的に更新します

この数日間、とても毎日楽しくて、ブログどころではありませんでした。ので、全然更新しませんでしたが、ほったらかしになるのもアレなので、明日か明後日にまとめて更新します。今は、函館で夜行電車を待っているので、その合間の簡単な更新でした。

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2006年8月18日 (金)

不安定精神再生工場

北見から少し西に離れた所、常呂郡という所に私はいる。表では昨日の夜半から降り続く雨のせいで、周囲の畑が田圃のように変化していっている。着いた時には感じなかったが、今日は少し肌寒い。あくまで、快適である、というレベルを超えない程度の肌寒さだ。灼熱の京都からはるばるやって来た私からすれば、これぐらいの肌寒さは避暑というレベルでは大分心地良い。

という所まで書いた所で、今私が居候している家の主人、Tが帰って来た。今日はこれから二人で温泉に行く予定だ。文章は一度中断する。

再開。温泉はとても気持ち良かった。
北海道に入って三日目になる。満足か不満足かで言えば、満足している。

ふとある事に気がついた。私はピアニストであるにも関わらず、この一週間ほど、まともにピアノの鍵盤に触れていない。なかなかに珍しい、というか、本格的にピアノを弾くようになってから、初めての出来事かもしれない。しかし、ここが重要な点だ。しつこいようだが、私は満足している。

ピアノというのは難儀な楽器で、日々の修練を必要とする「楽器道」の中でも、殊更に日々の努力を必要とする楽器なのである。
一日練習を休めば、その一日を取り返すのに一週間はかかる。
ピアノの世界でよく言われる事である。嘘ではないと思う。事実、たまに練習を一日ぐらいはサボる事があったが、やはりそれを取り返すのには、一週間近くかかった。そういうのが面倒くさくて、ならば毎日練習しよう、という部分もあったし、何より楽器の前に座る事は、私にとって日常茶飯事となっていたので、ここまでピアノに触れない日々に、不安がないか、と言われれば嘘になる。

でも、良い。
本ばかり読み、感想文を逐一書き、北海道で美味いものを食する生活。
今の私に必要なのはこれらの生活だったのであり、ピアノを弾く事ではなかったのかもしれない、そんな事を考える。もともと期待されるようなピアニストでは、私はない。私が上手くなろうと下手になろうと、その事は世間の大勢に影響を及ぼす事は皆無に近い。それよりも、少々不安定だった精神状態を、これらの日々によって麻痺させる事が、私には何より大事な事に思われた。
日々、様々な事を考える。愚にもつかないような事ばかりだが。
私は、きっと京都に帰ったら、前よりも下手かもしれないが、前よりもずっと良いピアノを弾けるような気がする。
嘘だと思った人、私の「プロフィール」の欄にあるスケジュールを参照にして、来週の土曜日に木屋町のメノモッソというお店に私のピアノソロを聞きに来てご覧なさい。もし、つまらなかったり、退屈だったら、私の後頭部に激し目のローリングソバットでも入れて帰って下さい。その日の機嫌によっては、やり返すかもしれませんが、必ず、良いものをお見せします。

さて、明日はTと二人で釧路です。いやあ、この遊び呆けっぷり。死ねば良いのに。

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2006年8月16日 (水)

本州脱出目前

午後三時、青森駅着。随分と有意義な寄り道をしながら、という自覚はあるが、のんびり進んで、東京を出てから既に二日目になる。

途中、盛岡から八戸までは、いわて銀河鉄道とやらの電車に乗らなければ、秋田を経由する相当に遠回りな経路になる事が判明し、いささか憮然としながらその区間の運賃約三千円を払う。私は時間はあるが金はないのだよ。心中独白なぞしていたら、八戸に着く直前に居眠りをしてしまい、起きた時には銀河鉄道は既に逆走を始めており、一時間強の時間を無為にする。仕方あるまい。

青森駅を降りてすぐに小便がしたくなり、便所を借りるべく駅ビルを彷徨く。エスカレーターに乗っていると私のすぐ前方に、夏の暑さなどお構いなしと言わんばかりにちちくりあうカップルあり。死ねば良いのにと本気で思う。これまた仕方あるまい。自ら選択した独りなのだから。

開き直って青森駅構内のドトールに入り、ここまでの経緯を一度文章に直すべく、携帯電話を手にする。周囲では当然のように青森弁が話されている。青森のイントネーションは英語に似ているように私には聞こえる。BGMの『イパネマの娘』が何となく癪に障る。

本日の目的地は北海道の森駅という所。どうやら五時前の青森発の列車に乗れば良い事がわかり、安堵する。出発の時には、上野駅を出て旭川駅に辿り着く事しか決めていなかった為、全てが行き当たりばったりだ。

長時間の車内での楽しみは、読書と脳内会話。後者に関しては多少説明が必要だ。私の近隣に座った人間と脳内でのみコミュニケーションを取る、という遊びだ。八戸から青森までの行程では、隣りに童貞臭そうな鉄道マニアと思しき青年と、正面には常に気だるそうな表情を浮かべる美女、というシュールな組み合わせ。お陰で読書も手につかなくなる。青年は持参したデジカメで窓外の風景を撮影したり、車内を物珍しそうに眺めたりと落ち着きがない。美女は途中で足が怠くなったのか、靴を脱いで足を椅子の上に乗せM字開脚のポーズ。スカートではないので下着こそ見えないが、ここの所ずっと禁欲的な生活をしている私には刺激が強過ぎる。やめてくれ。いや、やめないでくれ。どっちなんだ。

彼らと私の脳内で言葉という媒介なしに会話した結果、幾つかの事がわかる。青年の名はヒロシ、18歳、大学に入って初めての夏休みを使って東北を旅行している最中との事。東北ならではの電車や風景を写真に収めるのが目的らしい。勝手にしてくれ。美女は、サキ、29歳。青森に住む八年間付き合っている彼氏に会いに行く所との事。2ヶ月ぶりに会うのだそうだが、久々の再会も、まずは惰性に堕したセックスからコミュニケーションが始まるのがいつものお決まりのパターン。いい加減ウンザリしているから、久々の逢瀬に向かう道中であるにも関わらず浮かない顔をしているそうだ。私もそれに対して「ならばその問題点について真摯に話し合う事が必要なのでは」などと適当な事を言って(無論、脳内で)お茶を濁す始末。青森駅に列車が到着すると、それぞれがお互いに「それでは元気で」と言い合って(しつこいようだが、脳内で)刹那の出会いに終止符を打つ。再び私は独りになる。

昨晩、仙台では私には悪気がなかったのだが、人を一人(或いは二人)不愉快な気持ちにさせてしまった。生きているだけで他人に迷惑をかけるという事は重々承知の上であったが、気分は重い。

さて、本州を後にしよう。

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2006年8月15日 (火)

出発

朝、実家で目を覚ましたのが7時。まだ家族の誰もが起きていない。誰かの目覚めを待つような生活に馴れていないので、若干の違和感がある。

暫く居間でニュースを見ていると、陰毛パーマのような髪型をした総理大臣が、どこぞの神社に行くの行かないので大々的な報道がなされている。そういえば今日は終戦記念日だったと思うに至り、ぼんやりとニュースを眺めていると階上から目を覚ました親父が降りてくる。

何だか8月15日という日が終戦記念日とは別の意味合いを持った日になりつつあるね。我々日本人にとっては、もう60年も経ったという感覚だけれども、中国や韓国の人間達からしたらまだ60年しか経っていないという感覚なんだろうね。

朝っぱらの、しかも起き抜けから親父と二人でそんな事を喋る。

親父が、コーヒーを飲むか、と私に訊ねる。飲む、と私は答える。親父がコーヒーを淹れてくれる。タバコを一本もらい、コーヒーを飲みながらタバコを喫む。韓国の連中や私達日本人とが、戦後に対して共通の認識を抱く事は、究極的には無理なのかも知れないけれど、お互いもう少し歩み寄る姿勢を持てれば良いのにね。少し日本人も戦争の事を風化させ過ぎかも知れない。昭和はまだ過去の事ではないよ。

親父とそんな言葉を交わしながら、時折私が左翼的な発言をしてしまうのはきっとこの親父の影響なのだな、と改めて感じる。吉本隆明の著作群を私が読むようになった事などは、明らかにこの親父の影響だもの。

暫くして親父が仕事に行く、と言う。そうか、と私が言うと、行きたくないな、と即座に続ける。労働嫌いもこの親父譲りなのだろうか。

次はいつ帰る、と親父が私に聞く。

わからない、と答える。

そうか、と親父が言う。

親父はそのまま仕事へ向かった。

私が家を出たのは、結局9時よりも少し前。早めに出発しなければ。今日中にどこまで行けるかわからないのだから。

上野駅の案内所で、仙台や盛岡の方面に鈍行列車で向かいたいのだが、どういう経路で行けばいいのだろうか、と尋ねると、宇都宮を通って本州の中心線を行く方法と、一度茨城の方まで出て、太平洋沿いに行く方法がある、と教えられる。海が見たかったので、後者を選択する。駅の案内所の係員というのは大体無愛想と相場が決まっているが、その係員は愛想良く教えてくれた。他愛もない事だが、そんな事で気分が良い。

今日はどこまで北上出来るかわからない。沢山進めれば良いなと思う一方で、別にそれほど進めなくてもいいじゃないか、とも思う。

時間がとても緩い。

私が今乗っている常磐線の終点、高萩まではまだ二時間以上を要するという。しかしそれもすぐだろう。こうして携帯電話から文章を書いたり、持参した小説を読んだり、居眠りをしたり。そんな事をしている間にすぐに着くに違いない。

窓外の風景に、徐々に緑の色彩が濃くなってくる。私は段々と東京を離れている。

携帯電話で文章を打つと、きちんと推敲が出来ないのが厄介だ。出来れば今日の晩にでも、どこかのネットカフェからきちんと推敲し直したいが、どうなるかもわからない。

もうじき海が見える。

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2006年8月13日 (日)

故郷への入り口

重い瞼をそっと開けてみると、東からの明るい日差しが車内に差し込んで来ていた。バスが神奈川に差し掛かっていた事は、車外の風景に高いビルが多く混在し始めていたことでわかった。東京に近づくに連れてその都市風景はさらに密度を増す。反対車線に目を遣ると、大層な渋滞模様。お盆の時期を利用して、みな東京を離れるのだろうか。

以前インドを中心に旅行をしていた時、日本に帰国する前にタイに寄り道をした。バンコクのドン・ムアン空港に降り立ってからタクシーに乗って街の中心部を目指していた時に、バンコクの街並みのその都会ぶり、無数の高層ビルや、その上に如何にもといった雰囲気で掲げられた企業の大きな看板を見た時に、辟易すると同時に何とも言えない安堵を覚えた事を思い出した。私は都会に来ると辟易すると同時に安堵する。我ながら何とも奇妙な感覚だと思ったことがあるが、その理由に今日、何となく気付いた。

都市の風景は、私にとって故郷への入り口であったのだ。無機質な建造物群。自然を装った人工的で不自然な木々。無表情な顔で通勤する人々の群れ。それら全てを通り抜けて、私は常に故郷に辿り着く。そして、私は故郷が近付くに連れ、いつまでも停滞する街に辟易しつつも、安堵する。

雑誌でよく目にする、「自然に帰る」というニュアンスのコピーに常に懐疑を抱くのは、私が都市を決して嫌っていないからだ。それが良い事だとも悪い事だとも思わないが、事実として私は東京という街で生まれ、東京という街で育った。小岩という、ネオンと喧騒に包まれた街で最も多感な18年を過ごした。過去を偽る事は出来ない。そうして育ってきたのだ。

何だかタイソウに書いてしまいましたが、故郷に帰ると、とても精神的に落ち着きます。今日も小岩駅に着いた時、朝の8時だというのにホームで寝ているバカタレがいました。多分酔い潰れていたのだと思います。日本の中では治安は決して良い街だとは言えないかも知れませんが、私は小岩という街を憎み、愛しているのだと再確認する事になりました。

今は、何故か杉並区にいます。これから江戸川区に戻ります。さあ、立ち飲み屋にでも行こうかな。

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2006年8月10日 (木)

駐車場にて

あまりに気が沈んでいたので散歩に赴く。きちんと白日の下を歩くのだ。そんな事を考えながら。

スニーカーを履いて家を出る。暑い。しばらくして、私の精神と体を形作るものは、全て正しくないものであるかのような錯覚に陥る。少し歩いただけなのに息が切れる。何かが間違っているのだろうか。全てが間違っているのだろうか。わからない。

暫く歩いた後、駐車場にいる猫と目が合う。いささか太った猫だ。日陰になっている部分に座った彼は、私をじっと見る。彼は私から目をそらさない。私も彼から目をそらさない。私は彼に話があったので、近付いていく。彼は微動だにしない。私の姿を見据え続ける。私が彼の眼前まで来ると彼はそっと瞼を閉じた。

私は彼の傍らにしゃがみ込んだ。

彼はゆっくり瞼を開けると、虚空を見つめるようなうつろな表情で口を開いた。

「何か話があるんだろ。何だね。」

私は確かに彼に話があったが、真正面からそのように聞かれると、狼狽し、何を話すべきだったかを失念してしまった。正直にそれを白状する。

「確かについさっきまではあったが、たった今失念した。すまない。」

彼はやはり動じた様子もなく

「そんなのはよくある事だ。気にするな。かく言う俺も記憶力は決して良くはない。」と言った。「ただし、」と彼は続けた。

「必ず覚えておかなくてはならない事というのはある。覚えておかなくてはならない事とそうでない事とを、一度頭の中で分けておくと良い。それだけでも随分と変わる。」

私は彼のその言葉を一度反芻してから答えた。

「しかし、そのように分けていった場合、僕などは殆どが覚えておくべき記憶ではない、という事になるかも知れない。覚えておかなくてはならない事が、今の所ぱっと思い浮かばないのだが、君の場合は何だい。」

彼は気怠そうに一言「にゃあ」と答えた。肝心な所はそう簡単には教えない、という事なのだろう。私は少し苦笑したが、彼は表情を変えなかった。

「ところで」彼が口を開いた。

「お前は北極に行った事があるか。」唐突に尋ねられた。

「ない。突然何故だい。」

「こうまで毎日暑いと、氷の世界の事ばかり考えてしまうのだよ。北極でかき氷でも食べていたい。それだけだ。」

「そうか。君は猫舌かい。」

「当然だ。猫舌でない猫がいるものか。熱いものはダメだ。冷たいものが食べたいのだよ。」

そうか。と私は頷いた。

「俺には飼い主がいてな」と彼は再び話し始めた。

「つい先日の事なんだが、俺に向かってこう言うんだな。お前のつらそうな顔は見た事がない、と。それには少し俺もカチンと来た。俺は俺なりにつらい事に耐えながら猫の生活を全うしている。そのつもりでいるからな。猫には猫の生活があり、つらさがある。人間もそうだろう。比べてはいけないんだ。わかるだろう。」

わかる気がする、と私は答えた。

「猫というのは孤独かい。」と私は尋ねてみた。

「そこは大体人間と同じぐらいだ。何とも言えん。」と彼は答えた。

そうか、と私が言う。

そんなもんだ、と彼が言う。

「そろそろ行くよ。ありがとう、君と話せて楽しかった。」私は言いながら立ち上がった。

彼もうーん、と背筋を伸ばしてから「俺も楽しかった。また会おう。」と言った。

私は「じゃあ」と言った。

彼は「にゃあ」と言った。

そして、駐車場の壁をヒョイと飛び越えて、どこかへ行ってしまった。私も、家へと足を向けていた。

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2006年8月 8日 (火)

流石だね、雨男

今日はこれからモジョウエストでライブ。サックス、ベース、ドラムの入ったカルテット。同じメンバーでもう四〜五ヵ月ぐらいやってるけど、少しずつサウンドも思い描くものに近付いて来たから、やっていても楽しい。今日、お客さんいっぱい来たら良いな、なんて思っていたら、今日は台風だって。スゴいね、この雨男っぷり。嫌ンなっちゃうよ。

今日はライブまで何も無かったから、家で映画を一本見てから、ずっとピアノの練習。ブルースを色んなキーでやる練習っていうのをやってるんだけれども、DbとかGbとかは流石に難しい。地道にやらないとね。

ちゅう事で、今日お暇な上に雨に濡れても構わないという方は、モジョウエストへどうぞ。今日来てくれた方には、もれなく賀茂川で一日お絵描きをさせてあげます。

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2006年8月 7日 (月)

一瞬だけ浮上。そしてまた低空飛行。

昨夜は二本の映画を見てから酔いつぶれて寝た。

起きてすぐに、酒を片手に再び映画鑑賞に耽りたい欲求に駆られたが、じっと耐える。近くのスーパーへ行き、買い物をしてから烏龍茶を沸かす。そして、その傍らで料理。

うーん、何だか少しだけ人間の生活に近付いてきたな、と思って酒を舐める。振り出しに戻る。

今から見る映画は『菊次郎の夏』。もうこの映画を見るのも通算で10回目ぐらいだろうか。私は気に入った映画や本は、何度も繰り返し見る方だが、この『菊次郎の夏』は大のお気に入り映画の一つなのだ。

さあ、泥濘の中に沈み込みます。

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2006年8月 6日 (日)

映画ウィーク

我が家が汚い。尋常ではない散らかりっぷりだ。片付けをせねばならぬ。早急に。

にも関わらず私はビデオ屋で映画を六本も借りてきて、酒など舐めつつ映画鑑賞に勤しんでいる。救いがたい。

本日の一本目は『白痴』。坂口安吾原作の小説が元になった映画である。主演は浅野忠信。いきなり首を吊って自殺せんとするシーンから始まる。同居人に何食わぬ顔で見過ごされるのだが。

そう言えば安吾の部屋も大層汚かったと聞く。ならば私も暫く掃除はしない。

そして今夜も酒を飲む。

抗えぬ無価値。

こうして人はクズになってゆくのだ。

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永遠も半ば過ぎて

もう一週間ぐらい過ぎてしまったんだけど、7月26日は私の大好きな作家、中島らも氏の命日。もう丸二年もたちましたか。本当に、良い人達はさっさと死にやがって、私みたいな下らない人間ばかりがのうのうと長生きしちゃったりしてね、嫌だ嫌だ。

らも氏の死因は脳挫傷。酔っ払って階段かどこかでコケてしまったらしい。

最近自分が死ぬ時の事をよく考えますが、酔っ払ってコケて死ぬっていうのは、私の中ではかなり理想的な死に方の一つだ。もう一つ、膝までぐらいの深さの川で溺れ死ぬっていうのも良いなあと思っておりますが。

無駄に死にたい、っていうのが昔からあります。無駄に生きてるんだし、死ぬ時も無駄に。

おお、いかん!何やら暗い話になりつつある!そんな話を書くつもりはなかったのだけれど。

中島らも氏は歌も歌ったりしていて(全然上手ではないのだけれど)、結構良い歌もいくつか書いている。その中の一つ、取り分け私が好きな「いいんだぜ」という歌の歌詞を紹介します。以下、心して読みなさい。沁みますぜ。

いいんだぜ

いいんだぜ

いいんだぜ

いいんだぜ

君がドメクラでも

ドチンバでも

小児マヒでも

どんなカタワでも

いいんだぜ

君が鬱病で

分裂で

脅迫観念症で

どんなキチガイでも

いいんだぜ

君がクラミジアで

ヘルペスで

梅毒で

エイズでも

おれはやってやるぜ

なでてあげる

なめてあげる

ブチ込んでやるぜ

君がいいヤツで

だからダメなヤツで

自分が何をしたいのか

全然わからなくても

いいんだぜ

君が黒んぼでも

北朝鮮でも

イラク人でも

宇宙人でも

いいんだぜ

おれはいいんだぜ

Hey, brother & sister

君はどうだい

いいんだぜ

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2006年8月 4日 (金)

ノザワとサイバラ

家に帰ってテレビをつけたら野沢直子が出ていた。いやあ、やっぱり面白いな。好きだなあ。

西原理恵子が好きな理由ともちょっと似てるんだけど、野沢直子も本質的に上品なんだと思う。上品だからこそ、普通にしてたら下品にならないから、過剰にエゲつなく下品に振る舞う。本質的に下品な人達よりも遥かに過剰に。何だかその偽悪ぶりと言ったらいいんだろうか、そういう様子にグッと来てしまう。結構、女性としては私のストライクゾーンど真ん中だ。サイバラ、ノザワ。うーん、ちょっと嗜好は変わってるかも知れない。

今日の晩メシはモヤシ。鶏肉とシメジと一緒に炒めた。大体材料費は100円前後。それを食らいながら久し振りにビールもどき(発泡酒)を飲む。いやあ、贅沢。

CMに松嶋菜々子が登場。うーん、やっぱり野沢直子の方が好きだなあと思う私は、女の趣味が良いのだろうか、悪いのだろうか。

一つだけ言えるのは、女運は無茶苦茶に悪い。まあ、これまでに私とお付き合いした女性も、自分は男運が悪いとお思いの事とは思うが。

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2006年8月 3日 (木)

冷や奴には少しだけゴマ油を垂らしたい

ここの所、ほぼ毎日酔いつぶれるまで酒を飲んでいる。それも独りで。何だか寂しいなあ。

当然今日も。何だか食欲は全然湧かないのに、酒は飲みたい。もしや、アル中!?いやいや、まだそこまでいってないぞ。

あまり固形の所謂「メシ」は最近食べる事も少なくなった。外食しようにも金がないし、自炊しようにも面倒くさい。確かにダイエットはしたいが、あまり食べなさすぎるのも良くないと思って、今日は冷や奴を肴にして一杯二杯三杯四杯。冷や奴みたいな食べ物が美味しい季節になって来ましたね。

しかしね、やっぱり人生っていうのは上手くいかない事の方が多い。逆に何でもかんでも上手くいってしまうと面白くないかもね。

何でもかんでも上手くいかせたいんだったら、テレビ局をバックに付けたり、ヤクザと手を結んだり、審判買収したりしながらボクシングでもすりゃあいいんだろうな。

いや、すいません。

でもちょっと酔ってるし、勢いで書いとこうかな。

いやあ、亀田くん、やっぱりキミすげえわ。この調子だったら全階級制覇も夢じゃねえよな。TBSと手ぇ組んでりゃ何でも出来るって。金の力を見せつけて頂きました。どうもありがとうございます。感謝します。

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2006年8月 2日 (水)

計画倒れよりは遥かにマシだろ

ほぼ決定事項として只今計画のなされている私の八月の北海道旅行。昨日急遽決まった。メインの目的は、友人のタナカツネキくんと三日三晩ひたすらに食べて飲んで喋る事。彼に唆された私は、もう既に心が北海道に飛んでいる。だが北海道に着いたらどこかに行こうみたいな予定はまるでない。多分彼の家から滅多に外に出ないんじゃないかと思うのだけれど、どうなのであろうか。富良野ワインという有名なワインがあるらしく、そんな物を嗜むのも楽しみの一つ。さあここは一つ計画的に、と言ってみたいものだが、いかんせん人並み外れて計画性がない。

はっきりと分かっていることは二つ。13日の朝には東京にいるという事。そして25日の夜には京都に戻っていなくてはいけないという事。そして以上の予定がほぼ全容。まあゆっくり行きゃあいいかな。元気ならたくさん移動して。元気がなかったらゆっくりして。みたいな予定。予定や計画と呼べるかどうかは甚だ疑問である。

当然、宿泊先など決まっている訳もない。野宿ですよ、野宿。駅でもいいし、路上でもいいし。ビバ男の子、だ。出来ればシュラフを新調したいなと思っているが、それも叶うかどうかはわからない。

持っていく荷物で決まっているものは、金、下着、本、ギター。まあこんなもんか。暇つぶしが出来ればいいのだ。

ということで今私の一番ほしいものは、キャリーカー。ゴロゴロ引っ張れるやつ。誰かいらないキャリーカーがあれば下さい。

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2006年8月 1日 (火)

半年が過ぎて

12時を廻って日付が変わって、8月に入った。暦の上でも気候の上でも夏に本格的な始まりが告げられる。蝉の鳴く声。照りつける太陽(ついついムルソーが、なんて言いたくなるが、今日は言わない)。少し日焼けしてヒリつく両腕。日本には四季がある事を私は改めて実感する。

2006年1月31日。決して忘れ得ぬあの日から半年が経った。随分と早かったような気もするし、途轍もなく長かったような気もする。昨日の事のようにも思えるし、何十年も昔の事のように思い出す事も出来る。

ここ最近、何も言葉が湧いて来ずに「しばらくブログは書かない」と宣言したばかりだが、今日は半年前に私の前から忽然と姿を消した、あなたの事だけを考えて暫く言葉を紡いでみます。

あなたがいなくなってから、私は毎日あなたの事を考えていた訳ではありませんでした。時には下らない小さな悩み事にクヨクヨしてみたり、金という生活を圧迫する現実的な問題の事を考えてみたり、あなたの事が意識からふとこぼれるような事も多々ありました。独りの時にも、あなたの事以外を考える時は勿論ありました。

けれどやはり、何かとても悲しい事や悔しい事があった時、そしてトビキリに嬉しい事があった時、私はいつもあなたの事を思います。あなたの太陽のような底抜けに明るい笑顔を思い出す度に、私は何とかやっていけるような気にさせられます。最近では、いつか私に子供が出来たら、是非あなたに見てもらいたかったな、とよく思います。きっと私に似て聞き分けの悪い子供なのでしょうが、あなたは可愛がってくれただろうな、と思います。あなたが聞き分けの悪い、生意気で、そして出来の悪い私を愛してくれたように、私も自分の子供を愛せれば良いな、とここの所よく思うのです。

あなたが私にくれたいくつかの大事な贈り物は、大事にしています。取り分けあなたが若い時分に着ていたという背広の上下は、私の一番の宝物です。最近では一回着たら必ずクリーニングに出すようにして、私も一生あの背広を大事に着続けようと思っています。あなたが私にあの背広をくれた時に、「年を取ってから太ってしまって入らなくなった」と言っていましたが、恥ずかしながら私も最近少しずつ太って来ました。まだ、かの背広が着れないほどに太ってしまった訳ではないので、それをずっと着続ける為にも最近は腹筋や腕立て伏せを寝る前にしています。あなたは私を見るといつも「痩せすぎだ、メシを食え」と言っていましたが、最近の私は少し食事も減らすようにしています。よくあなたと一緒にラーメンを食べに行きましたが、あれはすごいカロリーなんですね。最近は控えています。けれど、たまに入ったラーメン屋が美味しかったりすると、あなたに教えたくなります。我が家の近所にも美味しいラーメン屋がつい先日出来ました。ちょっとアッサリした味なので、あなたが気に入るかどうかはわかりませんが、あなたに伝えたかったです。

私はあなたに伝えたかったのです。

私にはもっとたくさんあなたに伝えたい事がありました。何者になれるのか、と不安に怯えていた私の人生を変えてくれてありがとうございます。格好悪い事は、最高に格好良い事なんだと教えてくれてありがとうございます。私を愛してくれて、本当にありがとうございます。

私は何一つあなたにきちんと伝えられなかった気がします。あなたと過ごす時間が何よりも楽しかった事も、あなたからたまに誉められる事がどれだけ嬉しかったかという事も。

あなたはとても頭の良い人だから、そんな事は全てお見通しだったかも知れませんが、私はやはりきちんと口で伝えたかったです。口で伝える事、その事には何の意味もないのかも知れません。けれど、私はあなたに伝える事が出来なかった事が何だか悔しくて仕様がないのです。

あなたが一生懸命私に伝えようとしてくれた事を、私はまだまだ身に付けられていません。あなたのように優しい人間にはまだまだなれずにいます。ピアノの腕前もまだまだです。あなたのような素晴らしいピアニストには遠く及びません。私はあなたのような素晴らしいピアニストになりたいですし、何よりもあなたのような優しい人間になれたら良いなと思います。遠い遠い目標である事はわかっていますが、良ければ応援していて下さい。私は、少しでもあなたに近付きたいのです。

今日はお酒を飲みながら、家であなたのCDを聴きつつこの文章を書いています。あなたがニューヨークで録音してきたCDです。ベンライリーのドラムもバスターウィリアムスのベースも本当に素晴らしいと思いますが、やはりあなたのピアノは最高ですね。聴いているだけで自然と笑みがこぼれます。私は特に『This is no laughing matter』と『Please send me someone to love』がお気に入りです。ピアノを弾いている時のあなたの楽しそうな顔が目に浮かぶようです。まだまだあなたのピアノが聴きたかった、あなたがますます進化していく姿を見ていたかったと心から思います。

あまり長くなってもいけません。あなたも随分と話は長い方でしたが。私は今日はこの辺にしておこうと思います。

鬱陶しいガキですが、見守っていて下さい。私もあなたの事を、ずっと想っております。

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