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2006年7月 7日 (金)

今日の日記は大分恥ずかしい

七夕、である。

牽牛星と織女星とが、天の川を隔てて年に一度だけ相会するというこの伝説が、自分でも意外な事に好きだ。

どうやら起源は中国の伝説らしい。日本の万葉集にも「たなばたつめ」という機を織る女の存在があるが、それらが融合して近代の七夕の形になったのかも知れない。よく知らないのだ、細かい所までは。

十代の頃、私の淡くイタい恋の思い出だが、ほんのりと好きな女の子がいた。所謂片思いというヤツだ。便宜上「A」としておこう。彼女(A)は私には興味はなかったようだが、私はAに興味があったので、彼女に会うことを度々欲した。でも、私は何となくAが私に無関心な事も知っていたので、「ねえ、遊びに行こうよ」と言う事が出来なかった。時間だけが流れ、私とAはお互いに随分と離れた場所で生活する事になった。私が京都に住むようになったのだ。それでも不思議な事に、私は折に触れて彼女に会いたいなと思うことがあった。

勇気を出して、というよりも何かのモノの弾みで、ある日私はAを遊びに誘った。いいよ、と言われ、嬉しくなった事は何となく覚えている。隅田川を二人で散歩して、とても楽しかった。何を話したかまでは忘れてしまったが。

私はその時に再確認したが、Aはやはり私の事にはさして興味はないのだな、と改めて実感した。それははっきりと覚えている。こういうのって頑張ればどうなるとかいう問題じゃねえよな。私の中では、Aと恋仲になる事に対しての絶対的な諦観があったが、私はその後数年間、何故かAに対する片思いの感情を抱き続けた。そして、私は一年に一度、Aと食事をしたり遊びに行ったり、という事を続けた。

その後は勿論疎遠になった。私にも本当に好きな恋人が出来てしまったりして、Aに対する憧れにも似た好意や興味が薄れていったのだ。

私はAときちんとした恋愛をした訳ではない。未成熟な、十代の恋愛を引きずったままの何か淡くも恥ずかしいそのAとの事を思い出す時、私は七夕みたいだ、と思う。無論、織姫と彦星の伝説のように美しくもなく、単に滑稽なだけなのだが、一年に一度の逢瀬に、私はその太古の中国の伝説を重ねていた。イタいなあ…

Aはその後、風の噂で結婚したと聞いたが、その真偽の程も知る由もない。ごくまれに彼女の事を思い出すが、元気でいればいいな、と思う。

今日の日記はかなりイタいぞ、こりゃ。

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