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2006年7月 4日 (火)

『アマンドラ!希望の歌』

先週に書きかけていた映画の感想を書き直してみようと意気込んでいる。今回はきちんと最後まで書けるのだろうか。

見た映画は、『アマンドラ!希望の歌』という映画。南アフリカ共和国の人種隔離政策‘アパルトヘイト’にまつわる映画であった。

まず私がアパルトヘイトについて抱いていた誤認識を一つ。私はアパルトヘイトと言えば白人と黒人を住居地域、労働区域、経済区域の様々な面において分離し、そして白人を上部構造とするヒエラルキーを形成するシステムのような物だと思っていた。確かにこの私の認識は大筋では間違っていないが、厳密にはアパルトヘイトは、

“白人”、“カラード”、“インド人”、“黒人”と人種を4種類に分け、異人種間の結婚、恋愛を禁止したほか、レストラン、電車など公共施設の使用を“白人”と“白人以外”に分離するなどの制限を化したもの http://www.movienet.co.jp/movie/opus01/amandora/index.html より引用)

であった。上にURLを記したホームページには、その内容がわかりやすく簡潔にまとまっていたので、その中から更に抜粋したい。

その中でももっとも大きな施策は、国の中に“黒人”専用の新たな地域(ホームランド、タウンシップなどと呼ばれる)を創設し、そこに黒人を囲い込むということであった。その目的は差別する側からは表面上は“民族の分離発展のため”と語られたが、実際は人口で圧倒的な多数を占める“黒人”を安価な労働力とすること、無力化することにあった。1948年に制定されたこの法律は様々な制約を加えながら、1994年(全人種参加の選挙が実施)まで40年以上にわたり続いていくことになる。その間も南アフリカ国内ではソウェト蜂起など様々な反アパルトヘイトの暴動や地下での抵抗運動、国外でも大きな反対運動が続いていく。その際に、U2などによる訴え、ピーター・ガブリエルの「ビコ」、スペシャルAKAの「フリー・ネルソン・マンデラ」など数多くの歌が大きな役割を果たしたことは確かである。 (同上より引用)

こうした世界でも類を見ないほどに強烈な人種隔離政策であったが、この政策が制度として完全に撤廃されたのは1994年。1990年に解放されたネルソン・マンデラ氏が大統領に就任したことによる。この撤廃への経緯もまた、世界では類を見ない、極めて稀有な革命によってなされている。

「南アフリカの革命は唯一音楽で実現した革命だ。他に類を見ない」(アブドゥラー・イブラヒム/ジャズ・ピアニスト)

これは決して誇張でなければ、比喩的な意味でもない。南アフリカ共和国で起こったその革命は、本当に音楽によって達成された革命であったのだ。理想的な御伽噺のような話であるばかりではない。現実問題として、貧困層であった黒人たちには、武器を持つ経済力さえなかったのだ。期せずして、その貧困がこのような美しい革命の一因を担った。

妊娠中に警察に逮捕された運動家のタンディ・モディセはこう語る。

「私は警察本部に拘留された。尋問され拷問を受け、胸をつかまれ裸にされた。監房には監視カメラ。私の動きを全て監視する為よ。お腹を殴られた。尋問の最中に破水したら、監房に返され、そのままほったらかし。殺されるって思った。それで決心したの。自殺しようと。監房のトイレのそばへ行って考えた。頑張ればここで溺死出来るかもってね。でも、便器に顔を突っ込む瞬間、子供がお腹を蹴ったの。お腹を蹴られて、私の考えは変わった。“殺したいなら殺せ”。“自殺して連中に手を貸す必要はない”と。彼らは唄が嫌いだから私は歌った。まともに闘ったら勝てない。手当たり次第に歌ってやったわ。何でもね。その夜の九時頃、娘が産まれたわ」(タンディ・モディセ)

彼らの武器は、一貫して歌うことであり踊ることであった。彼らが銃や戦車などの武器を持たないことに、或いは支配層の連中は安堵していたのかも知れないが、それが結果として革命の成功をもたらす事となったのだ。

ここからは私の私見だ。読みたくない人は飛ばして読んで頂きたい。

私は音楽が「意味」を持つことにいささかの疑問を感じる。「意味」を持ってしまった音楽は、「純然たる行為」としての側面を損なうからだ。そしてそうなっていった時に、音楽が持つ「生活の匂い」は薄れ、押し付けがましいイデオロギーだけが私たちの前に提示される事もある。私はそんな音楽を目の前にすると、しばしばうんざりするのだ。

音楽は生活を営む為の「手段」であり、或いは生活から派生した「行為」の一つに過ぎない、そうであれば良い、と私は考えている。つまり、「生活」から地続きになっているものであれば良いな、と。ブルーズが歌われだした背景には、貧困と重労働があった。そして、それを「みっともない歌」にして歌ってしまおうという、原始ブルーズマン達のユーモアがそこにあったに違いない。ブルーズが単に悲しい歌なのだったら、ここまで私の心を打っただろうか、これほどまでではきっとなかったろう、と思う。それはいささか滑稽であり、そしてみっともなくもあり、けれど突き抜けるような明るさもそこには存在し、そして美しく悲しかったからだ、と私は思う。ブルーズは生活の歌だ。だからこそ私はブルーズに魅かれてやまない。

ジャズもまた同様である。あまりに複雑化したジャズが、私は決して好きではない。学術的・芸術的な一面ばかりがそこでは強調され、生活の声が聞こえてこないようなジャズを聴くと、怒りこそ込み上げないものの、あくびが込み上げる。一見して複雑な音楽を奏でていたと思われがちなセロニアス・モンクの音楽からは、きちんと彼の「声」が聴こえてくる。彼の独特のユーモアには彼の生身の声が溢れており、彼の生活が溢れている。ルイ・アームストロングにとって、「生きること」と「歌うこと」は同義であったに違いない。生き生きとした艶やかなトランペットの音色にも、ユーモアと生活臭と、そしてやり切れない悲しさと底抜けの明るさが溢れている。

南アフリカの革命で歌われた一連の音楽は、「革命に利用された音楽」だったのだろうか。私はそうは思わない。イデオロギーの為に歌われた音楽が果たして人の心を打つのか、私は打たないような気がする。それは「祈り」だったのではないか、と私は思うのだ。純然たる行為としての「祈り」、それが自然発生的に表層化されたのが彼らの歌う音楽だったのではないか、と。音楽に意味があったのではない、まず初めに音楽があったのだ。

絞首台に昇ってまで歌を歌い続ける黒人に、白人は恐怖さえ覚えた。そうなのだ。それは決して「意味のある音楽」ではなかったから。絞首台の上の彼は、音楽と共に生まれ、音楽と共に死んでいったのだ。それは彼の全てだったのだから。

この映画、『アマンドラ!希望の歌』で数々の貴重なコメントを残してくれたピアニスト、アブドゥラー・イブラヒム氏が今年の秋に日本にやって来る。彼のピアノもまた、純然たる「祈り」を具現化する素晴らしいピアノだ。私も近くで見れる事を今から非常に楽しみにしている。

この映画、とにかく興味深い映画でした。音楽に興味が無い人が見ても面白いと思います。もし何かの機会がありましたら、是非一度ご覧になることをオススメします。

やった。最後まで書き上がった。

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