時は流れて
今日は柔道をしてからジャズ喫茶LUSH LIFEへ。私の中では結構定番の行動パターンだ。相変わらずコーヒーがたまらなく美味い店だ。レコードの質も抜群。今日はついついビールも一本飲んでしまった。幸せだ。何だか先月ぐらいから大分幸せな日が増えた気がする。単に気の持ちようなのかも知れないけれど。
いささか赤裸々な告白をするが、昨日は家で一人で少しだけ泣いた。悲しかった訳でもなかったし、悔しかった訳でもない。何かに深く感動した訳でもなければ、酔っ払っていた訳でもない(お酒は少しだけ飲んでいたけれど)。敢えて言えば懐かしかった、というのが比較的近い言葉かも知れない。何があったかは書かないけれど、えも言われぬ懐かしさ(のようなもの)を感じると、人間は不意に涙がこぼれるほどに感情が高揚する事がありえるのかと、とても不思議に感じた。しかし、「火垂るの墓」やら「となりのトトロ」やらを見ていた時を除けば、微かにとは言え、家で一人で泣いたのは初めての経験かも知れない。そしてそれはやはり私にとっては幸せな出来事であった。良かったのか悪かったのかは別にして、幸せであったのだ。これまた不思議な事に。
昨日のブルーハーツに引き続き、今日は中島みゆきを聞きながら焼酎の水割りを寝る前に一杯。家で一人で酒を飲む時は、ジャズ以外の音楽を聞きたくなる時が結構ある。今日聞いているのは「あ・り・が・と・う」というアルバム。多分今から三十年近く昔に発表されたアルバムだと思うが、とても良い。収録されている歌はどれも良いが、私は特に「ホームにて」という歌と「時は流れて」という歌が好きだ。
そしてあたしは変わってしまった
泳ごうとして泳げなかった
流れの中で
「時は流れて」より
という歌詞があったりもする。少々演歌臭くもあるが、やはり若い頃の中島みゆきの詩の世界には、独特の切なさが滲み出ているなあ、と一人で感心する。
ネオンライトでは燃やせない
ふるさと行きの乗車券
「ホームにて」より
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