ほんたうの考へとうその考へ
あなたにとっての文学的原初体験となった作品は何ですか?と聞かれたら、私はきっと宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を挙げると思う。小学校に入るか入らないかといった時期に、両親が絵本版の簡略化された「銀河鉄道の夜」を私に買い与えてくれたのだ。未だにはっきりと思い出す事が出来るが、それは影絵を取り入れた絵本であった。
「銀河鉄道の夜」という作品は、かなり深遠なテーマを取り扱った作品である為、当然幼い私にはその中で描かれた人々の心の機微はおろか、話の筋すらも十分に理解出来なかった。当たり前である。ガキが読んでわかるような半端な作品ではないのだ。
しかし、その絵本に私は不思議なほどに魅了された。それは漆黒と様々な原色の織り成す幻想的な影絵の世界、つまり視覚的な楽しみから惹かれていったのだろうと思う。幾度となくその絵本のページをめくり、まるで宇宙をさまようかのような錯覚を私は楽しんでいた。子供の感覚などそんなものだ。もちろん今はそういった読み方は出来ない。それが進歩なのか退化なのかはわからないが。
三つ子の魂百まで、とはよく言うが、私の理想とする文学の一つの典型的な例として、「銀河鉄道の夜」は未だに私の心中で強烈な存在感を主張し続けている。文学を考える時に、「何が書いてあるか」という部分―whatの部分と、「いかに書いてあるか」という部分―howの部分の両面を考えなければならないとはよく言うが、そのどちらにもおいて「銀河鉄道の夜」は高い水準を示している。或る意味では非常に前衛的だし、或る意味ではとても古典的だ。今から百年後にもなお読まれ続ける作品というのは少ないと思うが、「銀河鉄道の夜」と夏目漱石の「こころ」はきっと読まれ続けているだろう。(私の個人的な希望を言うと、坂口安吾の「桜の森の満開の下」も読まれ続けていてほしい)時代性すらも超越する、それほどまでの普遍性と圧倒的な存在感を持っているのが「銀河鉄道の夜」という作品ではないだろうか。
もしこの私の駄文を読んでくれている方々の中で「銀河鉄道の夜」を読んだ事のない方がいれば、是非一読をお勧めする。興味をそそる材料になればいいが、最後に私の好きなフレーズの一つを紹介しよう。「銀河鉄道の夜」の遺稿にあった(改訂版には載っていない)ブルカニロ博士のセリフだ。
ほんたうの考へとうその考へとをわけてしまへば その実験の方法さへ決まれば
賢治、ファンキーだなあ。
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