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2006年6月

2006年6月30日 (金)

偉大なる狂気(長文注意)

私は嘗て甘いものがあまり好きではなかった。酒飲みだから、というのが一番わかりやすい理由かも知れない。ツマミは酒盗か梅干の一つもあれば充分、無ければ塩でも舐めながら、という感じであったのだが、ここの所甘いものがあれば、それをツマミにする事も増えてきた。ウィスキーには意外とチョコレートが合う、という事に気付いたのも極々最近だ。味覚の変化、或いは嗜好の変化なのだろうか、と考える。人間の嗜好は時と共に変化を強いられる事も有り得るのだ。

同様に、嘗て決して好きな作品ではなかったのに、最近読み返してみたら強く心を惹かれた小説がある。『The Great Gatzby』、アメリカの小説家フランシス・スコット・フィッツジェラルドの代表作であり、アメリカ文学史に燦然と輝く不朽の名作の一つだ。今日はこの作品について少し。

17歳か18歳ぐらいの頃、私が初めてこの作品を読んだ時には、何がここまで高い評価を得る要因となっているのかが理解し難かった。つまり端的に言ってしまえば私は「面白くない」と感じたのだ。読後には胸に何かモヤモヤとしたものが残り、そして私は主人公のジェイ・ギャッツビーにも語り手のニック・キャラウェイにも、或いは作中のどの人物にも感情移入は出来なかった。名作と言われている小説だし取り敢えず読んでおこう、という奇妙な使命感みたいなもの(最近こういった使命感も薄れてきている。嫌だなあ)に突き動かされて読んでいたに過ぎない。読書の楽しみをそこで満喫できていたのか、と言われれば、そこには疑問符が付く。『怒りの葡萄』や『ライ麦畑でつかまえて』といった他のアメリカ文学の代表作は夢中になって読んでいただけに、非常に期待を裏切られた気持ちになった。本当に「面白くない」と私は思っていたのだ。old sports、「親友」だと?くそったれが。そんな気持ちでつい最近までいた。

つい最近読み返した『The Great Gatzby』は、嘗て読んだその小説と一言一句違わないにも関わらず、私のこれまでの認識を一変させた。私はいつの間にか、本当に主人公のジェイ・ギャッツビーの事を「偉大」だと思うに至っていたのだ。偉大なるギャッツビー。なるほど、そういう事か、と。

読んだ事の無い方の為に、大まかなあらすじだけ紹介しておく。興味を持った方がいれば、是非一読をお勧めする。

 ジェイ・ギャツビー氏は謎の男であった。ニューヨーク郊外、ロング・アイランドの突端に豪奢な邸宅を持ち、連日のように大勢の有名人を集めて大盤振る舞いのパーティに明け暮れているのだから、大金持ちであるということはすぐに分かる。しかしその客ですら、一人としてその正確な素性を知っている者はいないのである。

禁制の闇酒をカナダから密輸しているブローカーであるとか、人殺しであったに違いないとかいう無責任な噂が次々と湧くこともあるが、もとより何の裏づけも無い与太話ばかりだった。
ニューヨークで仕事をするために中西部からこの地に身を移し、ギャツビー氏の隣家に居を構えたニック・キャラウェイは、この不思議な隣人に興味を抱いた。彼の人となりを知る為にパーティへ赴き、主自身は特に楽しそうでもないという矛盾と、存外に無害そうな青年紳士である事などを見て、なお興味をかきたてられる。
その日から、都会を夢見る青年と、都会の繁栄を象徴したような男の、どこかギクシャクとした交友が始まった。そしてニックは、やがて彼を「偉大なる」と評することになるギャツビー氏の秘密を知る事になる。全ては、ある一つの望みをかなえるための芝居だったのだ。それは――。http://www.m-net.ne.jp/~h-ochi/Critique/Fitzgerald/Great_Gatsby.htmlより引用)

以降ネタバレがあるので、読みたくない人は読み飛ばして下さい。

入江の向こうのイースト・エッグには、ギャツビーがかつて愛し、今もなお愛しているデイジーが、彼女の夫のトムと住む邸宅があった。ギャツビーは5年前にデイジーと知り合い、互いに愛し合っていたが、陸軍中尉だったギャツビーがフランスから復員したとき、彼女は金持ちのトムと結婚していた。デイジーをあきらめられなかったギャツビーは、刻苦して富を築き、デイジーの邸宅が見える対岸に屋敷を建て、派手なパーティーを開き、彼女に再会できる機会を待っていたのだった。ギャツビーは隣に住むデイジーの遠縁にあたる青年ニックに仲介を頼み、5年ぶりで二人は再会した。
 ギャツビーは、富を得て対等の立場でデイジーと再会を果たすという夢が叶(かな)い、二人の間にはかつての愛がよみがえるかにみえたが、彼が毎夜、入り江越しに眺めたデイジーの邸の桟橋に点(とも)る緑の灯のように、その愛は儚(はかな)く、脆(もろ)いものだった。
http://www1.odn.ne.jp/~cci32280/pbFitzgerald.htmより引用)

最終的な結末までは書かないが、つまりこんなストーリーなのだ。デイズィとの再会のみを祈って、世界の裏道を行き、財を成し、それを破滅的に散財させていく。そんな悲劇のストーリーだ。敢えて伏せた結末も悲劇的であるし、またとり方によれば十二分に滑稽ですらある。「アメリカの夢と挫折」といった解釈での読み方もスタンダードな読み方の一つであるが、私はやはり「一人の男の狂気染みたinnocence(無垢)」という所からこの作品を再び読んでしまう。そしてそうやって読んでいった際に私が一つ思い出した別の作品がある。

それは坂口安吾の『桜の森の満開の下』だ。ここにも純粋で狂気染みて美しくて醜い、そして何とも悲しい恋の形が描かれている。

『桜の森の満開の下』も『The Great Gatzby』も、共通するのは「狂気」であり「無垢」であり「破滅」であり、そしてそれらが描かれ出す際の「美しさ」である、と私は考える。不毛な物語にこそ美しさが必要だ。私はギャッツビーを軽蔑する。『桜の森』の山男も軽蔑する。そして軽蔑するからこそ、彼らの事を偉大だと感じる。彼らが体現したのは、紛れも無い「孤独」の一形態であり、そして人間のみが抱く愚かで苛烈な感情であったのだ。

That kills me. 完全にやられてしまった。偉大なるギャッツビー。

私は今日久々にこの小説を一日かけて読了したことにより、随分と興奮し、そしてその興奮冷めやらぬままにその感想をこのブログにこうして綴っている。嘗て私が駄作だと感じ、一笑に付したその作品は、数年の時を経て私をノックアウトした。今の私には、ギャッツビーの気持ちが痛いほどによく「わかる」。

久々に本腰入れて、ブックレビューを書いてみました。そこそこの長文になりましたが、最後まで読んでくれた方、本当にありがとうございます。そしてお疲れ様でした。

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書きかけたもの

水曜日に観た映画の事を書こうと思って、少し書き始めていた。けれど途中で書けなくなった。井戸が枯れるみたいに言葉が枯れた。湧き出る時はいくらでも湧き出るのに、出ない時は逆さに振っても出ない。手紙も書きかけたままに止まってしまう事がよくある。実際今も一通書きかけの手紙がある。別段急いで出さなくても良い手紙だ。私が手紙を出さなかったからといって、太陽が東に沈む訳ではないのだ。出さないなら出さないで、誰も傷つかなければ誰も迷惑しない。気にするなかれ、と独り言をぶつ。

けれど、何か欠損の感覚がある。

蚊取り線香の香りが私に夏の始まりを告げる。

そうだ、明日は蛍を見ながらビールを飲みに行こう。

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2006年6月28日 (水)

訪問者

このブログを書き始めて半年と少し経つ。すぐ飽きるかと思いきや、私のなかなか良いオモチャとして今も活躍中だ。たまに「ブログ読んでるよ」なんて人に言われる事があるが、何ともこそばゆいような気持ちになりながら「ありがとう」と私は応える。書く事がずっと好きで、でも今はそれを生業にしようという気持ちはない。ただ、私が書いた言葉の一つ一つを誰かが読んでくれて、たまには何かしらの反応があって、そして(勿論不愉快な気持ちになる人も中にはいるだろうけれど)何か少しでも幸せな気持ちを与えることがあるのかと思うと、嬉し恥ずかしい。朝帰りではない。何のこっちゃ。

こんな事を書いているのには理由があって、実は6月27日の時点でこのブログの訪問者が10000人を超えたのだ。延べ人数であるために、10000人が私の文章を読んでくれた訳ではないが、とても嬉しい。毎日読んでくれている人もいるみたいで、そういう人たちに支えられての10000ヒットなのだ。具体的に言うと、どうやら27日火曜日の夜10時台に読んでいてくれた人が記念すべき10000人目みたいだ。別に名乗り出てくれなくて構わないし、名乗り出てくれた所で何かお礼の粗品がある訳でもない。ただね、嬉しかったので。皆様ありがとうございます。これからも頑張らずに書き続けます。また宜しければ見てやっておくんなせえ。

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2006年6月27日 (火)

気分ではないので

色々書きたい事があったような気もする。でも書かない。面倒くさいから。今日はそんな気分ではないから。また今度。
人生の目的があったような気がする。でもわからない。腐った人間だから。私の人生は暇潰しのようなものだから。また来世。

ライブ情報を少し更新しました。
それではまた地獄で会いましょう。インシャラー。

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2006年6月25日 (日)

アフリカ人の喜び

サッカーワールド杯、日本代表が予選で負けた事で、報道などの熱は幾分冷めてきたかなとも思い、ここまでの私の感想を。

いや~、アフリカのチームは良い!何だか楽しそうだ。失礼な言い方になってしまうかもしれないが、あまり深い事を考えずにサッカーをやっている印象を受ける。走る、蹴る、喜ぶ、落ち込む、みたいなそんなサッカー。そしてそれが滑稽に堕さないというのが何より素晴らしい。むしろ美しい。私は昔からアフリカのサッカーチームが好きだ。一時期はナイジェリア、カメルーンなんかが強かったのだけれど、今はガーナが強いらしい。頑張ってもらいたい。南米のサッカーチームも明るい雰囲気があるのだけれど、アフリカのチームの明るさはやはり独特だ。底抜けに明るい感じがある。何だか応援したくなってしまう。彼らがシュートを決めた時に見せる「やったようー!ボク、シュート決めたようー!」というような、あのストレートな感情表現がまた見たい。頑張れガーナ!確か決勝トーナメントの初戦はブラジルだった気がするけれど…

私も明日(日付的には今日か)はついに西部講堂でのライブだ。よっし、しゃかりき頑張ろう!

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2006年6月24日 (土)

ジョニーインブルー

祇園での深夜の演奏を終えて帰宅。今日はジャズ以外の曲をたくさんやったなあという印象。たまにはこういうのも悪くない。もちろん私はジャズを最も愛しているが、昔からよく聞いていたという意味での私の音楽的なルーツは、クラシックであったりロックであったりジャパニーズポップスであったりもする訳だ。中にはジャズだけを聞いて育ちました、という人もいるだろうが、私はそうではない。中島みゆきの「かもめはかもめ」の伴奏をしていて、つくづく、そして心底から「良い曲だな」と感じるのは、私の心の極めて正直な部分なのだ。好きなものは仕方がない。ジャズミュージシャン同士での会話の中で「好きなミュージシャンは誰?」みたいな会話になった時に、中島みゆきと答えたら格好悪いと考えて「ビルエヴァンスです」などと嘘を吐くのは愚の骨頂。正直に行こう。私は中島みゆきも吉田拓郎も大好きだぜ。最近の人で言えば、Coccoという人やエレファントカシマシというバンドなんかも好きだ。日本のポップスが格好悪いなどとは微塵も思わない。好きなものは好き、嫌いなものは嫌い、そして時に起こるそのコペルニクス的転回、以上だ。

さあ、いよいよやって来た。ジョニー大倉ウエストライブツアーの集大成、西部講堂でのライブだ。今日の昼間に前日の通しリハーサルがあって、明日の本番という流れだが、私は今から鼻息荒めだ。

今回のバンドリーダー(バンマス、なんて言ったりします)である日本を代表する名ギタリスト丹波博幸氏が以前打ち上げの席でこんな事を仰っていた。「一緒に共演してバックアップしていくミュージシャンの事を、好きになれなきゃダメだ」と。そりゃそうだな、絶対にそっちの方が良いな、と思いながら話を聞いていた。私が丹波さんに「もしその人の事がどうしても好きになれない場合はどうするんですか?」と質問をすると、笑いながら「そんな仕事は初めから受けないし、仮にそうだったら降りる」と即答された。

氏が仰った事は、多分そんなに「当たり前の事」ではない、と私は思う。決して好きではないミュージシャンともきちんと仕事をこなしていく、それがプロだという考え方にも私には納得出来る部分はある。そういう考え方に基づけば、丹波さんの発言はいささか「異質」だ。しかし、ひたすらに「良い音楽」を作るのがプロだ、と考えた時、氏の発言は根本的な部分から的を射ていると私は思う。もちろん酒の席での事であるし、丹波さんはそんなに深い意味を込めて仰っていた訳ではないのかもしれないが、氏の根底にあるのは良い音楽を作りたい、という強い気持ちなのだろうな、と私は感じた。

私はジョニー大倉さんの事が好きだ。可愛がって頂いているし、彼の人間性も好きだ。丹波さんを始めとするバンドメンバーやスタッフの方々も、好きだし尊敬している。そして、やはりそう思うからこそ、精一杯の演奏を明日の西部講堂で見せたいと強く願う。入魂のロックライブです。このブログを読んで下さっている方の中で、御覧になりたいという方がいらっしゃれば、私まで一報を。チケットも少しですが持っていますので。私も「もうこれ以上は無理!」という所よりも更に少し頑張って演奏します。

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2006年6月23日 (金)

実写版キャプテン翼

スーパーサイヤ人こと、私です。何の事かは直接私に会えばすぐわかります。戦闘力は高めです。人間力は低めです。

e's styleというお店での演奏が終わって帰って来たのが午前1時過ぎ。明日も朝は早いし夜は遅いからさっさと寝るべ、と焼酎の水割りをチビチビと飲っていると、今日に限って眠くならない。まずいな、寝ておかないと明日はしんどいぞコリャ、と思っていると、始まってしまったのがサッカーの日本ーブラジル戦。ああこれであと二時間は寝れねえじゃねえかと舌打ちをしながら、三杯目の焼酎を注ぎ、ツマミのソーセージを焼く。いつの間にか観戦する気満々だ。

これを書いている現在は、前半を20分ばかり過ぎた所。なかなか面白い。キーパーの川口が今日も良い。彼は「キャプテン翼」の若林君に似ているといつも思う。SGGK川口能活だ。ロベルトカルロスは日向小次郎に似ている気がするし、ロナウジーニョはやはり翼くんに似ている。顔じゃなくて、何とない雰囲気が。

書いてる間にも良いプレー連発なので、観る方に専念します。

オラ、ワクワクしてきたぞ。

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2006年6月20日 (火)

今私がどこ

今私がどこにいるかと言えば、賀茂川のど真ん中にいる。比喩的な意味ではなく、実際的な意味で。とても風景が綺麗だが、皆さまにお伝えできないのがいささか残念だ。

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誰に悪いわけでもないが、全体的にごめんなさい

「ああ、もうオレ、死ねよ」という独り言と共に目を覚ましてからしばらく、やるべき事から逃げるかのように家で動けない状態が続いた。そう、大体30分~1時間ほど。よく覚えていない。我が家の向かいにある自動販売機にビールを買いに行ったのが、本日初めての外界との接触だ。我が家でビールを飲みながら少しずつ意識を覚醒させる。今日はやらなくてはいけない事がたくさんあった筈ではないのか?朝からビールって、終わってるとは思わないのか?そもそもビール、美味いか?

私は自問自答する。そして簡単な結論が導き出される。

ビールは、美味い。

ああ、もう死んだらいいのに。

全国の生きている事に価値の無いボーイズ&ガールズ、こんにちは。ミスター無価値(或いは‘ミスター・ムカティ’)こと私です。

今日は、その後、散歩に出た。勿論、無目的に。その散歩の様子をしばらく書いてみたい。

普段は原付でさっさと通り過ぎるような我が家の近所の風景も、本日の私の牛歩戦術のごとき遅き歩みをもってすれば、隅々まで見えてしまうのだ。街角の張り紙広告、全国体道選手権。ほう、そんなものがあるのか。やはり、出場者はみな屈強な男達なのだろうか。そもそも体道という格闘技を私が知らないため、イメージはあまりわかない。勿論片手にはビールだ。ビール大好き、私です。

その後、自転車屋の前にさしかかる。店の外に陳列された自転車を端から眺めていく私。安いやつから高いやつまで。私が見た最高金額は18万円だった。私は仮に18万円持っていても自転車は買わぬ。手前に見えた1万円前後の自転車で良い物があった。そこから一気に妄想が広がる。自転車の二人乗り。中学生的なデート。河原でビールなぞを飲みながら、梶井基次郎良いよねー、最近の芥川賞はイマイチなの多いよねー、とか何とか言いながら。別れ際には私はいささか緊張しながら「また、誘っても良いですか?」などと尋ねるのだ。ううむ、悪くない。楽しいであろう。しかし、自転車屋の店主が中から登場して「何かお探しですか?」などと私に尋ねるものだから、その幸せな空想は終わりを告げてしまった。「いえ、見てただけです」そんな事をバツも悪そうに言う私。仕方ない、夢想家は生きる事を許されないのだ。『ライ麦畑』をポケットに入れた男が私を殺してしまうかもしれない。

パープルヒルズというアパートの前を通り過ぎた。蘇る記憶。ここはどこだ。ここは紫野だ。「俺らの車」はもう無いのだな。何を考えているのだ、私は。ああ、今では私もスヌーピーが好きなのだ。人間には変化がある。私がスヌーピーが大好きになったのは、何とも奇妙な「変化」だ。

パソコンを触らなくてはいけなかった。チラシを作るんだという。私の写真を送らなくてはいけない。携帯電話からではどうやったらいいのか分からないので、パソコンを触らなくてはならなかった。I go to ネットカフェ with ビアー。写真はここで断ってしまおう、明さんという方に撮って頂いた写真を、勝手に氏のホームページから拝借した。明さん、これを読んでいたら許して下さい。ありがとうございます。

ネットカフェでは、パソコンをいじりながら、ついさっき三本目のビールを注文した。二本目は別に嫌がられなかったのだが、さすがに三本目は露骨に店員が嫌そうな顔をする。安心したまえ、私は今日は全く酔ってはおらぬ。ペースがゆったりなので、今日は大丈夫なのだよ。

それでは、私は今から、賀茂川に行こうと思います。何をするかというと、何もしに行かないのです。敢えて言えば、気持ちを落ち着かせに行くのです。もうビールはやめておこうかな、と思います。次はチューハイあたりです。

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2006年6月19日 (月)

選ばれて在ることの

今日は何の日でしょうか。

生まれてきてごめんなさい、桜桃忌です。太宰治の命日です。

僕は高校生の三年間、毎年学校をサボって三鷹の禅林寺に行ってました。

太宰治が好きなのか、と人に聞かれたら「大嫌いだ」と答えます。

でもこれだけは言っておきます。彼の小説の主人公のモデルは、多分僕です。

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2006年6月18日 (日)

厳選の飲み屋

私は外で(つまり飲み屋などで)酒を飲むのが好きだ。どちらかと言えば好き、とかいうレベルではない。たまらなく好きだ。理由はたくさんあるので面倒だから書かないが、どこかに酒を飲みに行く時、取り分けまだ酒が入っておらずに酔っ払っていない事もあって、一件目に向かう時はとてもワクワクとする。滅多には行かないが、そんなに気の進まない人達と飲みに行く時だって、飲み屋へ向かう道すがらワクワクする。まずはビールかな。いきなりウイスキーでも良いし、焼酎でも良いな。たまにはカクテルなんかも悪くない。実際私はマティーニだのギムレットだのは結構好きなのだ。何にしようかな。そんな事を考えていたら、飲み屋まではいつもあっという間に到着してしまう。着いたら着いたでまた楽しい。私は大体同じ店に通う習性があるので、目新しさは毎回はないが、好きな飲み屋の雰囲気を心から堪能しながら時間を豪気に無駄に使う。店主に愚痴をこぼす時もあれば、一緒に行った人とのお喋りを堪能する事もある。一年に一回ぐらいは、ほとんど誰とも喋らずに一人でひたすら無言で飲み続ける事もある。人生いろいろ、飲み方いろいろ、だ。

飲み屋には様々なタイプがあるが、私が好む飲み屋のタイプはかなり限定される。読んでる人には相当にどうでもいい事だと思うが、以下私がどんなタイプの飲み屋が好きか紹介したい。余興だ、余興。

・いわゆるバー。だが、あまりオシャレ過ぎない所。あまり綺麗過ぎても嫌だ。そして、かかっている音楽は何でも良いが、レコードがベスト。優良可で言えばレコードは優、CD、カセットテープは良。有線は不可。音楽バー、みたいなのが理想。私が一番好きなタイプ。→具体例、京都上賀茂プラグドニッケル、京都四条ジャズinろくでなし、四条きさらぎ、東京小岩バー62。

・大衆居酒屋。酒の質にはこの際あまりこだわらない。出てくる食べ物が美味くて安い、というのが身上の店が良い。隣に座ったオヤジが頼んでもいないのに勝手に喋りかけて来たりするが、それがまた良い。→具体例、小岩大竹、小岩さくら

・店主が強力(いろんな意味で)な店。私のような若輩者の人生相談の場になってくれたりもする店。そんなにたくさんは知らなくて良い。→具体例、京都出町柳ラッシュライフ、四条ぎやまん、小岩シュガーケイン(←諸事情で閉店してしまった)

もちろん他にも好きな店はたくさんある。が、大きく言えばこんな所だ。京都と小岩しかないのは御愛嬌だ。私の行動範囲は狭い。

クラブとかキャバクラみたいな所はあまり好きではない。オネエチャンとお酒を飲むこと自体は好きなのだが、あの手の店に行くと変にこっちが気を使ってしまうので、あんまり楽しくないのだ。優等生発言みたいになってしまって何かイヤだなあ。

さて、ここまで書いて、こんなにも飲み屋の大好きな私が、最近は家で一人で飲むことがかなり増えてきた。原因は貧乏だ。金がないので家でちびちびと焼酎を舐めるような日が増えてきたという訳なのだ。わびしいなあ…と落ち込むかと思ったら、そうでもない。家で一人で酒を飲むのはだいぶ楽しい。誰にも見られていないのだ。急に大きな声で歌を歌っても良いし、声を出しながら本を朗読しても良い。もちろん急に踊り狂っていいのだ。踊りながら机の角に足の指をぶつけても自己責任。恥ずかし告白をするが、今日は西原理恵子の「ぼくんち」を大声で朗読した。中島みゆきの「親愛なるものへ」というアルバムに合わせてシンギングアンドダンシング。私は間違いなく気持ち悪い人だが、それでも構わない。何故なら一人だから。

そして酒の途中でこのブログを書いてましたが、私は急に眠くなりました。寝ます。おやすみなさい。

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2006年6月17日 (土)

きちんとした休日

久しぶりの「何も予定のない日」。昼前に起きて、起き抜けのビールを飲みながら洗濯をして、トイレ掃除と風呂掃除と洗面台の掃除をした。沖田総司。部屋の掃除は3割ぐらいやった所で挫折。これはまたの機会にしよう。私は今日はよく頑張ったのだ。空白の時間の使い道は、私は大抵の場合、

1.ピアノを弾く

2.本を読むかテレビを見る(大体はお酒を飲みながら)

3.喫茶店に行く(大体は出町柳のLUSHLIFE)

の三通りしかないので、掃除をする、とか買い物に行く、という事をたまに少ししただけで、一日がとても充実しているかのような錯覚に陥るのだ。うむ、本日の私は「きちんと」しておるな。そんな事をついつい呟いてしまう。たかだか掃除をしたぐらいで得意がっている時点で「きちんと」はしていないのだろうが。

さて、本日はもう一仕事。来週からのジョニー大倉ウィークに備えて、少し予習をしなくてはならない。ぼちぼち現実逃避は終わりにしよう。

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2006年6月16日 (金)

ブルームズデイにピアノソロ

6月16日、ブルームズデイである。今日までに『ユリシーズ』を読破する事を目標にしていた。『ユリシーズ』という小説は、この6月16日のダブリンでの出来事を描いた小説なのだ。だからこそ、と思っていたが、結局全四巻、18挿話の内16挿話までしか読めていない。もう少しだったのに、残念であった。

さて、今日はピアノソロのライブである。以前はあまりピアノソロというのが好きではなかった。一人でやるよりも誰か共演者がいた方が圧倒的に楽しかった。それが、最近では大分ピアノソロの楽しさもわかって来た。事実、今日も楽しみにしている。有り余る空間と余白をどうやって使おうか。無音の音という時間を作り出し易いのもソロの特徴だ。場所は木屋町のmeno-mosso、河原町通りの「あじびる」を木屋町に向かって東にいった途中の南側にある。これを読んでくれている京都の方は、ご都合さえ宜しければ、是非寄って頂けると嬉しい。参考までにお店のホームページのURLを。

http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/

時間は8時30分ぐらいからです。どうぞ宜しく。

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幸せな帰り道

私は今とても幸せだ。トランペッターMITCH、彼は本当に偉大なミュージシャンだ。彼のステージを見終わって、家路につく。こんな幸せな気分を味あわせてくれるミュージシャンは他にそうそういない。共演者達の演奏も、筆舌に尽くしがたいほどに素晴らしかった。どこが良かった、これこれの曲が良かった、そんな細かい話をする気分ではないので、今いかに私が幸せな気分であるかを綴りたいのだ。何度でも言おう、私は今とても幸せだ。人生は決して悪いことばかりではない。ジャズというあの厄介な音楽は、時として私をこんなにもハッピーにさせる。

MITCHさんの演奏は、私の胸の一番奥の部分をぐっと熱くさせる。様々な感情が湧き上がり、彼の音楽はそれを全て優しく包み込む。どんなに難しい言葉をもってしても、彼の演奏を形容する事は出来ない。私の言葉はかくも無力で無意味だ。

彼のように、聴衆の心を動かし、ネジをキィーっと巻くような、そんな演奏を私もいつかしてみたい。うん、いつか、必ず。

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2006年6月15日 (木)

たまにはお出かけ

ライブに行こうと思ってバスに乗っている。目的地は木屋町RAG。今日は私の大好きなトランペッターMITCHさんのライブ。何だかここの所うまくいかない事も多かったが、こういう時は楽しいライブでスッキリするに限る。行ってまいります。

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2006年6月14日 (水)

感情的になると汗をかくわけで

モジョウエストでの充実したライブが終わり家に帰ってテレビをつけると、NHKで佐野史郎がかぐや姫の「神田川」をモチーフにしたファンキーな番組をやっていた。NHKはたまに意味がわからないくらいにシュールな番組を放送するな。こういう時だけは受信料を払ってあげようかな、という気になる。あとは「プロジェクトX」を見ている時。一時期あの番組はヤラセがどうのこうのと話題になったが、それはどうでもいい。そもそもテレビなんて多かれ少なかれヤラセだろ、とも思っているし。好き嫌いの問題として、私は比較的「プロジェクトX」が好きなのだ。以前にも書いた事があると思うが、嘘自体は悪い事ではないのだ。悪いのはその裏に潜む虚栄心であったり、嘘によって人を傷付けようとする醜悪な魂胆だ。人を楽しませる為の嘘は必ずしも悪くはない。第一、どこぞの三兄弟ではないが、公明正大を謳うスポーツの場ですら平然とヤラセがまかり通るような昨今だ。「プロジェクトX」のヤラセなんて(実際にあったとしても)随分と可愛らしいものだ。かぜのなかーのすーばるー。あの歌はあまり好きではないが。中島みゆきに関してはちょっと私はうるさいの だよ。

この文章の初めにも書いたが、本日のライブは充実のライブであった。ここの所静かな演奏を要求される事が多く、それはそれで楽しみもあるのだが、やはり二週間に一回ぐらいは汗だくになりながらのライブがしたい。これでもかとばかりに感情的な演奏を披露したい。以前からそういう気持ちはあったのだが、特に今月のアタマ、素晴らしいトロンボーンプレイヤーであるTommyさんと共演させて頂いてから、これまで以上にその気持ちが強くなった。気付かされた訳だ。本当に優れたミュージシャンは、自分が素晴らしい演奏をするだけでなく、聴き手や共演者に様々な事を気付かさせる。脱帽だ。うん、すごい。

そういった気付かされた事を、今日は少し実践出来た。もちろんまだまだな部分はあるが、私は私なりにバンドの仲間に助けられつつも進化している。少しずつやるしかないんだね、仕方ない、階段は二段飛ばしでは昇れないのだから。

今日はジャズにさして明るくないお客さんが何組か来て頂いていたのも嬉しかった。ジャズファンの為だけにジャズが存在するのだとしたら、ジャズは多分つまらない音楽になると思う。演歌しか知らないオッチャンでも、ロックが大好きなあんちゃんでも、ジャニーズファンのオネエチャンでも楽しめないと嫌だなあ、と私は心中勝手に思っている。だからこそ、ジャズに詳しくないお客さんがいる時は、また少し別の部分でやる気になる。ジャズは芸術ではなく、生活であればいいなと、ここの所考える。メシを食うのも、クソをするのも、女にフラれるのもジャズになればいいなと。

付けっぱなしにしていたNHKの画面では、矢鱈とノスタルジックな東京の下町の映像をバックに大貫妙子の音楽がかかっている。深夜のNHKは大貫妙子とか矢野顕子とか好きだなあ。

最後に言い訳を一発かましますが、当然今晩も酔っ払っております。さっき友人からメールで「休肝日をもうけた方がいいぞ」と言われましたが、全くもってその通り。最近また飲み過ぎで胃が痛い。でも、色々と日々が幸せなせいもあって、酒が美味いんだよなあ…もう一杯だけ焼酎を飲んで寝る事にします。皆様、永遠にさようなら。

それが、この夏の出来事だった。

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2006年6月13日 (火)

惨敗もやむを得ないっ……!

サッカーを死ぬ気でやった事があるのかい?試合に負けて、自分の不甲斐なさに涙した事はあるのかい?

我々は決して12番目の選手じゃない。所詮は他人の祭りだ。黒沢先生、ありがとうございます。

今日は道端で高校生カップルを三組見かけたので、三回「死ねっ…」って言いました。同様に、テレビに映る日本代表のレプリカユニフォームを来た奴らにも「死ね」って言いました。

いいかい、欲するのは、俺の、俺による、俺のための感動なんだ、くぁwせdrftgyふじこlp!

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2006年6月12日 (月)

還暦に寄せて

読んで下さっている方々には全然関係のない事なので申し訳ないのですが、本日6月12日は私の親父様の誕生日です。親父様は昭和21年生まれなので、今日で六十歳、還暦でございます。親父殿、おめでとうございます。これからもインテリヤクザのようなそのままの形で長生きして下さい。よそでケンカして帰って来るのはいいのですが、ケガだけはしないで下さい。

ちゅう事なんですが、皆様どうなんでしょうか、両親からの影響というのは。私は明らかに親父様からの影響を受けてここまで育っています。ろくでもない大人になりました。親父様は、所謂昔の文学青年。音楽家(トロンボーンをずっと吹いていたらしいです。クラシックの)か小説家になりたかったらしいです。本人が言うには、家庭の切迫した経済事情と怠け者の性格(即ちそれが才能の無さだ、と言っておりました)が災いして、どちらも諦めたと言ってましたが、綺麗に私もそのコースをなぞっていった訳ですな。文学と音楽と。そんなものに夢中になってしまった私に、親父様はどうやら正面切って「駄目だ!」とは言えないようです。オフクロは最初の内はブーブー言っておりました。「ジャズミュージシャンってみんな麻薬をやってるんでしょう?ダメよ、剛、そんな世界」オフクロ、いつの時代の話だそりゃ…それに対して親父様は「ああ、お前もか…」とうなだれていた訳ですな。お気の毒に。

私が吉本隆明なんぞを好んで読むのは親父様のせいです。無宗教にも関わらず親鸞が好きなのもそうです。聖書を読むのは半ばオフクロのせいですが。ドストエフスキーも親父様の影響ですな。坂口安吾もレイチャールズも中島みゆきも親父様の影響です。私の思考も嗜好も(ダジャレじゃない、言葉遊びだ!)かなり大きな割合で親父様に支配されているような気がします。決して悪い気はしません。そんなもんでしょう、我々凡人は。

吉田拓郎の唄に「おやじの唄」というのがあります。これが好きなので、一節を紹介します。親父殿、ちゃんちゃんこは着なくてもいいですぜ。

おやじが全てだなんて言いませんよ

僕一人でやった事だって沢山ありましたよ

一つだけ言ってみたいのは

おやじが生きるということを教えてくれたこと

おやじはやるせないくらいに精一杯でしたよ

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2006年6月11日 (日)

6月12日以降

はい、6月以降の暫定スケジュール(ほぼ確定版ですが)更新しました。載せておきます。よろしければ、ライブに来てやって、いや、来まくって下さい。

6月12日(月)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。6月は4回もやらせてもらいます。2回目。
19:30~start  music charge:カンパ制

6月13日(火)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
毎月第2火曜は何があろうとmojowestで、このメンバーでやってます。
20:00~start  music charge:1500円with1drink

6月16日(金)木屋町menomosso tel 075-211-8626
http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/
ピアノ・ソロ
ブルームズ・デイにピアノソロ。ダブリンの事を思いながら弾きます。ビールを飲みに来て下さい。
21:00~start music charge:カンパ制

6月19日(月)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
ジョニー大倉バンド
シークレットライブなんだそうです。という事で、詳細は秘密。

6月21日(水)名古屋JBスタジオ
ジョニー大倉バンド
詳細未定

6月22日(木)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。6月は4回もやらせてもらいます。3回目。
19:30~start  music charge:カンパ制

6月23日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

6月25日(日)京大西部講堂
http://www.seibukodo.net/
ジョニー大倉ツアー5日目は京大西部講堂で。ロックンロールします。シェケナベイベー。

6月27日(火)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。6月は4回もやらせてもらいます。4回目。
19:30~start  music charge:カンパ制

6月29日(木)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
vo:岩井繭子 pf:福島剛
諸事情により、急遽決まりました。
19:30~start  music charge:カンパ制

2006年7月

7月2日(日)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
b:椿原栄弘 ds:副島正一郎 pf:福島剛
初夏の「ネ副(NEZOE)」です。段々暑くなって来た所で、さらに熱くいきます。
20:00~start  music charge:カンパ制

7月6日(木)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。
19:30~start  music charge:カンパ制

7月7日(金)木屋町menomosso tel 075-211-8626
http://www.geocities.jp/bar_meno_mosso/
vo:岩井繭子  pf:福島剛
七夕に、岩井繭子デビュー!
21:00~start music charge:カンパ制

7月10日(月)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。
19:30~start  music charge:カンパ制

7月11日(火)北山 mojowest  tel 075-706-8869
http://www.mojo-west.com/
sax:黒田雅之 b:鶴賀信高 ds:古賀俊輝 pf:福島剛
毎月第2火曜は何があろうとmojowestで、このメンバーでやってます。
20:00~start  music charge:1500円with1drink

7月13日(木)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。
19:30~start  music charge:カンパ制

7月14日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

7月15日(土)出町柳MAAM tel 075-771-3190
http://www.kyotozanmai.com/user/maam/maam/
gt:箕作元総 b:椿原栄弘 pf:福島剛
ついに念願の箕作(きさく)さんとの共演です。言う事は何も無い、最高のギタリストです。この日は皆さん、スケジュールを空けておくようにして下さいね。
19:30~start  music charge:2000円with1drink

7月20日(木)三条春日通り e's style
tel 075-316-1111
http://www.cudetion.com/es-style/index.html
sax:黒田雅之 pf:福島剛
三条春日通のレストラン。
19:30~start  music charge:カンパ制

7月23日(日)四条河原町GreenwichHouse
tel 075-212-5041
http://www.greenwich-house.com/
今井秀加津氏との対談。ジャズについてお喋りします。何だそのスケジュールは、と我ながらツッコミたくなりますが、何やら面白そうです。詳細未定。

7月25日(火)高槻JKカフェ
tel 0726-71-1231
http://www6.ocn.ne.jp/~officejk/cafe/jkcafe.html
三ヶ月に一回ぐらいのペースで出させてもらっています、JKカフェ。黒田雅之氏と。
19:00~start  music charge:カンパ制

7月26日(火)上賀茂MKボウリング
ジョニー大倉バンド
詳細未定

7月28日(金)祇園 pick up  tel 075-525-0595
http://www.gion-pickup.com/
第二・四金曜日の深夜はジャムセッションやってます。
00:00~start  music charge:2000円

7月29日(土)神戸須磨
ジョニー大倉バンド
詳細未定

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2006年6月 9日 (金)

日本晩酌妄想大賞受賞

ばんばんしゃくしゃくばんしゃくしゃく。確か高見盛を起用して「相撲は高見盛、お酒は日本盛」みたいなCMをちょっと前にやっていたな。あのCMは割に好きだった。日本酒はあまり好きではないが。

何か嫌な事があったとしても、寝る前に軽く晩酌を楽しむ事が出来た日は、私にとって「勝ち負けで言えば勝ちの日」という日になる。晩酌は私の一日の中では比較的大事なイベントなのだ。最近は意識的に深酒を避けるようにしているので、寝る前にロックグラスに焼酎を一杯か二杯、これが私に一日の終わりを告げる儀式になっている。今日はむぎ焼酎二階堂の水割り。つまみはスーパーで100円で買った鱚の骨せんべい。贅沢と言えば贅沢だし、強烈に貧乏くさいと言えば貧乏くさい。そんな事はどうでもいいのだよ。私が楽しく呑んでいるのだから。皆様も眠れぬ夜などがある時には是非一人晩酌を。めくるめく妄想のワンダーランド。伊集院さん、僕は大丈夫なんでしょうか?と心中で独白した時には、太った人の声が空から聞こえてくるような気がする。「大丈夫じゃないけど……大丈夫なんです!」何のこっちゃわかりませんね、伊集院光のネタなんです。適当にスルー、という事で。

今日はスーパーに行った。買ってきたのは米10kgとティッシュペーパーと食器洗い用の洗剤とサランラップと麺つゆと鱚の骨せんべいと焼酎。しめて5000円ほど。生活感丸出しだ。あまりにリアルなものは醜悪に堕す可能性も高いし、気をつけなくては。昨日、我が家で久しぶりに小さなゴキブリを発見したので、バルサンが欲しかったのだがそれは置いていなかった。明日辺りまた別のスーパーにでも見に行こう。

ああ、もうすぐ夏だ。私は夏はあまり好きではないが、夏が好きな女の子が好きだ。今年の夏は行きたい所もたくさんあるし、したい事もある。殆どが「一人で」なのだが。

最近の日記にも書いたが、とりあえずはビールを持って一人で蛍を見に行こう。

お父さん、ホタは悪い子です。

↑これは違うか。

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2006年6月 8日 (木)

時は流れて

今日は柔道をしてからジャズ喫茶LUSH LIFEへ。私の中では結構定番の行動パターンだ。相変わらずコーヒーがたまらなく美味い店だ。レコードの質も抜群。今日はついついビールも一本飲んでしまった。幸せだ。何だか先月ぐらいから大分幸せな日が増えた気がする。単に気の持ちようなのかも知れないけれど。

いささか赤裸々な告白をするが、昨日は家で一人で少しだけ泣いた。悲しかった訳でもなかったし、悔しかった訳でもない。何かに深く感動した訳でもなければ、酔っ払っていた訳でもない(お酒は少しだけ飲んでいたけれど)。敢えて言えば懐かしかった、というのが比較的近い言葉かも知れない。何があったかは書かないけれど、えも言われぬ懐かしさ(のようなもの)を感じると、人間は不意に涙がこぼれるほどに感情が高揚する事がありえるのかと、とても不思議に感じた。しかし、「火垂るの墓」やら「となりのトトロ」やらを見ていた時を除けば、微かにとは言え、家で一人で泣いたのは初めての経験かも知れない。そしてそれはやはり私にとっては幸せな出来事であった。良かったのか悪かったのかは別にして、幸せであったのだ。これまた不思議な事に。

昨日のブルーハーツに引き続き、今日は中島みゆきを聞きながら焼酎の水割りを寝る前に一杯。家で一人で酒を飲む時は、ジャズ以外の音楽を聞きたくなる時が結構ある。今日聞いているのは「あ・り・が・と・う」というアルバム。多分今から三十年近く昔に発表されたアルバムだと思うが、とても良い。収録されている歌はどれも良いが、私は特に「ホームにて」という歌と「時は流れて」という歌が好きだ。

そしてあたしは変わってしまった

泳ごうとして泳げなかった

流れの中で

「時は流れて」より

という歌詞があったりもする。少々演歌臭くもあるが、やはり若い頃の中島みゆきの詩の世界には、独特の切なさが滲み出ているなあ、と一人で感心する。

ネオンライトでは燃やせない

ふるさと行きの乗車券

「ホームにて」より

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2006年6月 7日 (水)

ジャン・コクトーの有名な詩にこんな詩がある。私もとても好きだ。

私の耳は貝の殻

海の響きを懐かしむ

この詩を昔一度だけ、手紙に添えて女の子に送った事がある。カッコ悪いなぁ…その人は今はきっとこの詩の事なんて覚えてないだろう、いや、私が恥ずかしいから忘れてくれてたら嬉しいな。今日はまた家を少し掃除していたので、コクトーの詩集なぞが見つかってしまい、同時に私が忘れかけていたその記憶も蘇ってしまった訳だ。

今は深夜なので大きい音では聞けないが、ブルーハーツの「ラブレター」を聞きながらお酒を飲みます。永遠にさよなら。

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2006年6月 6日 (火)

ほんたうの考へとうその考へ

あなたにとっての文学的原初体験となった作品は何ですか?と聞かれたら、私はきっと宮澤賢治の「銀河鉄道の夜」を挙げると思う。小学校に入るか入らないかといった時期に、両親が絵本版の簡略化された「銀河鉄道の夜」を私に買い与えてくれたのだ。未だにはっきりと思い出す事が出来るが、それは影絵を取り入れた絵本であった。

「銀河鉄道の夜」という作品は、かなり深遠なテーマを取り扱った作品である為、当然幼い私にはその中で描かれた人々の心の機微はおろか、話の筋すらも十分に理解出来なかった。当たり前である。ガキが読んでわかるような半端な作品ではないのだ。

しかし、その絵本に私は不思議なほどに魅了された。それは漆黒と様々な原色の織り成す幻想的な影絵の世界、つまり視覚的な楽しみから惹かれていったのだろうと思う。幾度となくその絵本のページをめくり、まるで宇宙をさまようかのような錯覚を私は楽しんでいた。子供の感覚などそんなものだ。もちろん今はそういった読み方は出来ない。それが進歩なのか退化なのかはわからないが。

三つ子の魂百まで、とはよく言うが、私の理想とする文学の一つの典型的な例として、「銀河鉄道の夜」は未だに私の心中で強烈な存在感を主張し続けている。文学を考える時に、「何が書いてあるか」という部分―whatの部分と、「いかに書いてあるか」という部分―howの部分の両面を考えなければならないとはよく言うが、そのどちらにもおいて「銀河鉄道の夜」は高い水準を示している。或る意味では非常に前衛的だし、或る意味ではとても古典的だ。今から百年後にもなお読まれ続ける作品というのは少ないと思うが、「銀河鉄道の夜」と夏目漱石の「こころ」はきっと読まれ続けているだろう。(私の個人的な希望を言うと、坂口安吾の「桜の森の満開の下」も読まれ続けていてほしい)時代性すらも超越する、それほどまでの普遍性と圧倒的な存在感を持っているのが「銀河鉄道の夜」という作品ではないだろうか。

もしこの私の駄文を読んでくれている方々の中で「銀河鉄道の夜」を読んだ事のない方がいれば、是非一読をお勧めする。興味をそそる材料になればいいが、最後に私の好きなフレーズの一つを紹介しよう。「銀河鉄道の夜」の遺稿にあった(改訂版には載っていない)ブルカニロ博士のセリフだ。

ほんたうの考へとうその考へとをわけてしまへば その実験の方法さへ決まれば

賢治、ファンキーだなあ。

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2006年6月 4日 (日)

自らを慰める

ここの所、何だか頻繁にこのブログを更新したくなってしまう。別に誰かに何かを言わなくてはいけない訳でもなければ、私の中に何か言うべきものが溢れ返っている訳でもない。不連続なイメージの反復を、言葉という媒介を使って現実へと還元したくなるだけなのだ。私は言葉の使い方に関してはとても不注意な部分もあるし、その事で誰かに迷惑をかけてしまう事も少なくない訳で、なるべくならば口を閉ざしていた方が良いのだが、それでも言葉を発してしまう。発した言葉は虚空に消えて二度とは元に戻らない。如才なく気をつけられたら良いのに。

多分、今日は誰とも喋っていない。家で明日のライブの予習をして(前回の日記参照)、読みかけの小説を少し読み進めて、洗濯をして、少しだけ部屋の掃除をした。nothing happens,nobody comes.どうにもならん。「毎日」はさしてドラマチックではないのだ。

明日は朝から早いので、12時前には床に着いたのに、気付けば午前1時だ。今夜は眠気の代わりに、取り留めもない無数の想念が私を襲う。高尚なものは何一つない。無意味で滑稽なものばかりだ。例えば「次に米を買うときは、5kgではなく10kgで買おう」とふと考えたかと思えば、その一方では「月曜日にゴミを出さなくてはな」と思い、それと同時に「Mr.PCという曲の練習をして、モード的なアプローチを学ぼう」と全く無関係な事を考える。

遠雷の音を夢想する。眠れない夜に、何処かで遠雷の音が聞こえる時、私の心はひどく穏やかになる。しかし、耳に入ってくるのは外を通り過ぎる車の音と、我が家の冷蔵庫の不吉な音ばかりだ。

インドに行きたい。

なるべく支離滅裂な文章を書こうと思って書き始めてみたが、結局小じんまりとまとまったつまらない文章になってしまった。「逸脱」しきれない自分のスケールの小ささを再確認。身構えながら話しているのだ、結局の所。

インドに行きたい。

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2006年6月 3日 (土)

新町のロックスター

何だかね、家で一人。部屋の中で体育座りを決め込んでいると、ぽつんと世界の隅っこに取り残されたような気分になる時がある訳ですよ。ウイスキーをちびちびと舐めながら、中島みゆきでも聞いて、こういう遊びの事を「一人ごっこ」って言うんですがね、そんな遊びの一つや二つ、してみたくもなる訳ですよ。別に「シニカルごっこ」でもいいですな、あれはあれで楽しい。ちなみに我が家で定期的に開かれている「一人冷笑選手権」においては、私は初回からずっと王者の地位を守り続けていますからね。もちろん、参加者は常に私一人ですがね。

けれど今日はそんな真似はしません。寂しくなったら大声で「ファンキーモンキーベイビー」を歌うのです。そうです、明日は名古屋でのジョニー大倉さんのライブなのです。私も徐々にテンションを上げていかなければなりません。うじうじとしていてはいけないので、大声で歌う訳ですよ、「あーいーさーれてーるーいつもー、さてぃすふぁーい」とね。時には振り付けと共に、時にはギターを弾きながら。すると、次第に覚醒剤でラリっている人のようなテンションになる訳ですな。よし、明日はバッチリだ!全然バッチリではないのに、何故だかそう思ってしまう訳です。怖いですな。窓は全開にしていますので、私の家の前、新町通りには私が大声で歌うキャロル・ナンバーやジョニー大倉ナンバーが響き渡っています。当然私はロックンローラーになりきっている訳ですから、語尾には全て「ヨロシク」が付きますんで、そこんとこヨロシク。

それでは再び新町通りに向かって歌い続けようと思います。「いーくつと聞いたらおどろきーさー、ロックンロール、ロックンロール」です。今、通行人と目が合ってしまいました。

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アメリとスヌーピーとスーパードライ

1日のライブは楽しかった。もちろん、私自身まだまだ未熟な部分も多かったし百点の出来では決してなかったが、色々な事を発見し、再確認する事が出来た。それらを気付かせてくれたトロンボーンのTommyさんには感謝だな。感謝。そしてそのライブ後にクダを巻きに訪れたバー「プラグドニッケル」、私のしょうもない話に付き合って頂いたマスターのM田さんにも感謝。ついついM田さんには色々愚痴ったりしてしまう。感謝。

昔とても好きだった女の子がいて、彼女が「アメリ」というフランス映画の事を私に熱っぽく語ってくれた事がある。主人公のアメリという女の子が、あちらこちらで少しずつ人を幸せにする話だ、と。昨日、あちらこちらで私は逆に幸せにさせられた。感謝、と思う時、私は何故だかその「アメリ」という映画の事を思い出す。特別に好きな映画な訳ではないのだけれど。

その当時、彼女は私に「アメリのDVDを一緒に観よう」と誘ってくれた。「是非観よう」と私も答えた。けれど、私は彼女と一緒に「アメリ」を観ることはなかった。いつでも一緒に観ることは出来る、そう考えていたらいつの間にか彼女とは疎遠になっていたのだ。そういう事もある。どうにもならない。未だに私はその事をいささか後悔しているが、どうにもならない事など、世の中には数え切れないほどあるのだ。

アメリ、スヌーピー、アサヒスーパードライ、そして6月の蛍と「北の国から」。様々なイメージが私の脳裏に反復され、私は過去の事ばかりを思う。何かがあったような気がする。何もなかったような気もする。とにかく時間が経つのは早い。うだうだとしていたらもう朝の6時だ。

私の家の前のビールの自動販売機は、夜の11時から朝の5時までは販売していないが、今は買える時間になった。アサヒスーパードライを一本だけ買って来よう。それを飲んでから、ゆっくり寝よう。もうすぐ蛍が輝き出す季節がやってくる。そうしたら一人で蛍を見に行こう。

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2006年6月 1日 (木)

今からSOEN

今日は夜20:00より花園SOENにてライブです。そうです、Tommyさんとのデュオです。楽しみでございます。必死にくらいついてやってまいりやす。お暇な人は、どうぞお立ち寄りを。

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