脱力について
水曜日は週にたった一回の運動の日、即ち柔道の日だ。今日もやってまいりました、柔道を。楽しかった、柔道は楽しい。腰がじんじんと痛むのを除けば、今日は先週よりも体の痛みは少ない。ふくらはぎも太ももも、そんなに筋肉が張ってはいない。少しずつ体が柔道に慣れているのかも知れない。いやはや、嬉しい。
多くのスポーツで必要な動作(或いは状態)の一つに「脱力」というものがある。柔道もしかり、「脱力」がとても大事な武道だ。最重要項目の一つと言っていいぐらい大事かもしれない。柔道には「柔能制剛(じゅうよくごうをせいす)」という言葉があるが、この言葉の実践に欠かす事が出来ないのが、「脱力」なのだ。具体的に何のためにそれが必要かと言えば、「脱力」の対極の動作、「緊張」の動作によって生じた力を、一瞬のタイミングで相手に伝えるために「脱力」が必要になり、また外部からの力を柳の枝のように受け流すために「脱力」が必要となる。もちろんそれだけではなく、他にも必要な要素はある。しかし、世界のトップで戦う柔道家、鈴木桂司や野村忠宏や谷亮子、彼らだけではないが、一流の柔道家はみな肩の力が抜けている。文字通り、とても自然な姿勢で柔道をしているのだ。野球選手のバッティングでもそれはそうだ。理想的な「脱力」のバッティングをする選手は、私の知る限りでは現役時代の落合博満現中日監督、現広島カープの前田智徳、そしてシアトル・マリナーズのイチロー、この三人だけだ。彼らのバッティングには共通点がある。バットがボールに当たるインパクトのその瞬間まで、彼らはほとんど腕に力を入れていない。インパクトの瞬間にのみ、体の筋肉全体が緊張し、収縮する。それは最早芸術の域だ。「脱力」を徹底的に身に付けた彼らのバッティングには、決してステロイドなど必要としない、有機栽培の趣きがある。
柔道や野球における「脱力」の重要さを再認識した所で、私はピアノの事を考えた。ピアノを弾く際にも「脱力」がとても重要となる。私は肩から指先まで、完全に弛緩した状態を「完全弛緩状態」と呼ぶ事にしているのだが(そのまんまだな)、その状態になって初めて、脳からの指を動かそうとする信号(指令)がダイレクトに伝わると思っている。その状態を作り出す事で、頭に思い描いた音楽がより鮮明に描き出される。つまり感情の発露、というような抽象的な音楽表現の話になった場合、それは完全弛緩という具体的な技術論へと展開されていくのだ。音楽に感情を乗せたい場合は、力を入れてはいけないのだ。むしろ脱力しなくてはいけない。その逆説的な真実が、まだ完全に実践は出来ていないものの、やっと最近わかりかけて来た。
タコになりたい。タコはぐにゃんぐにゃんだ。弛緩している。
タコになりたい。タコになりたい。タコが言うのよねえ・・・・・・
あっ、また最後は田中裕子ネタだ、イカンイカン!
ちなみに↑のネタがわかってしまった人は、もう筋肉痛が二日後以降に来る年齢の人ですね。
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