花火①
はい、予告していた通り、創作の小説です。前編だけ書き上がったのでアップします。
秋田の大地を走る列車の車窓の向こう側に広がる田園風景を、私は何ともやるせないような切ないような気持ちで眺めていた。大分西に傾いた太陽が照らすその風景の美しさは、あまりに眩し過ぎてまだ私の目には馴染まなかったのだ。微かに開いた車窓の隙間から土の匂いがぷんと香り、私の鼻腔を軽く突いた。私はこの香りを初めて嗅ぐ訳ではない。だが、ふとした瞬間にその香りはまるで異世界への入り口の鍵のように私の意識を連れ去ろうとした。ここではないどこかへと。それはこれまでにない初めての体験だった。列車の座席に体を沈め、鼻腔に微かな土の匂いを感じながら瞼を閉じると、そこにあるはずの私の意識は、そこからどこかへと移っていくかのような錯覚に陥った。
その凡そ一ヶ月程前に勤め先を辞めた。辞めたとは言っても正式に辞めた訳ではない。勤め先の社長に私が仕事を辞めたい、と持ち掛けた所、社長はしばし沈黙してから「ならば無期限での休暇という事にしないか」と私に提案してくれた。四十歳を間近に控えた女性である私では、再就職の際には正直に言ってかなり困難だ、社長は私にそう言った。確かに私もそう思っていた。取り立てて何か特別な技術を持っている訳でもない私のような年増女を、好き好んで誰が雇うだろうか。半ば自嘲的にそう思ってもいた。だからこそ、思ってもいない好条件の提示に私は躊躇した。ありがたい提案ではあった。勿論、社長からしてみたら、二十年以上勤め続けた私を手放して新たに若い人材を養うという事にいささかの面倒を感じたのかもしれない。しかし、その言葉にどこまで甘えていいものか、という逡巡が私にはあった。私の勝手な決断を思いもかけず擁護された事により、私は気まずいような気持ちにすらなった。返答をためらう私に、社長は「よし、来月からしばらく来なくていい。しばらく経ってまた来たくなったらいらっしゃい」と優しく声をかけた。そう、それは単なる私の我儘だった。しかしそうせざるを得なかったのだ。私は四十年近く生きてきて、何も築いていなかった。何も築かない私の人生に、私の中にいたもう一人の私が、急にノーを唱え始めてしまったのだ。結婚はしようと思えば一度出来た。私はそれを自らの手で断った。子供を産み、家庭を築く事よりも、一人でいる事を選んだのだ。それが私の最良の決断だったかどうかはわからない。けれどどんな選択にも必ず何かしらの後悔は付きまとう。私はそう考えている。たとえ今家庭を持っていたとしても、私の中に潜むもう一人の私はそれを同様に破壊しようとしたかもしれない。今は、少なくとも何かはわからない何かが変わっていく時間なのだ。諦観にも似たそうした思いから、私は変化を求めた。
十八歳の頃から二十年以上勤めた勤め先は東京の下町の小さな弁当屋だった。私はそこでパートタイマーとして働いていた。仕事は決して嫌いではなかった。店の客の大半は常連客で、私も働き出して半年も経った頃には彼らと顔見知りになり、軽い冗談のやり取りも交わすようになった。弁当を渡し、料金を受け取り、釣り銭を渡す。他愛も無い動作だ。けれどそこには何かふれ合いのようなものがあると私には感じられたし、私自身その事に満足していた。常連客の一人が不幸にも病気などで亡くなった、などと聞くと、私は切実な痛みを胸に感じた。それはまるで私の体の一部を切り取られるような痛みであった。所詮店員の女と客の一人という関係には過ぎなかったが、私の生活は弁当屋と一人の家の往復であったし、それが私の世界全体であったのだから、その世界の縁から一人一人誰かがこぼれ落ちていくのが、私には痛みとして感じられたのだった。
社長以外の職場の人間達も私に優しかった。或いはそこには私のような女性に対する同情や憐憫もあったのかも知れないが、仮にそういった物を考慮に入れたとしても、余りある快適さを私は感じていた。収入は決して多くはなかったが、三十九歳の独身女性が慎ましく生活していくのには十分だった。両親はどちらも私が二十代の頃に他界し、まさしく私は私一人を養えれば良かったのだ。私は多くを持たなかったし、多くを求めなかった。それが私の生き方だった。
列車が川にかかる鉄橋を渡り始めた。下方十数メートルはあろうかという地を流れる川の水は清らかに澄んでいる。八甲田山や岩木山から湧き出した清水は、まだ殆ど濁りを含んでいない。緩やかに流れる水は、間もなく沈むであろう太陽の光を無反省に反射しながらキラキラと輝いている。鉄橋の上で小刻みに揺れる列車の振動が座席越しに私の体に伝わって来て何とも心地よい。万華鏡のような川の水面に見入っていると、私の視界を突如暗闇が包んだ。列車がトンネルの中に入ったのだ。
トンネルの中には橙色のトンネル灯が光っている。まるで蛍が飛ぶかのように、私の眼前をそのトンネル灯が飛んでいく。私は子供の頃に見た影絵芝居を思い出した。漆黒の舞台を色取り取りの光が飛び交う影絵に、幼い私はうっとりと見入っていた。何かその妖しいような危ういような美しさ、そしてまるで神話の中の動物のように戯画化された登場人物達が、幼い私の心を捉えたのだった。トンネルの中の暗闇と、光と。そのコントラストの美しさにどこか懐かしさすら私は感じていた。
入ってから一分ほど経っただろうか、トンネルを抜けた時に私はある異変に気付き、少しだけ開いていた車窓を閉めた。トンネルを抜け、視界が開けた瞬間、私が目にしたのは降りしきる雨であった。山の天気は変わり易い。眩しい程の光に充ちていた世界は、一分間の暗闇を挟み、雨雲に光を遮られる世界へと変貌した。大丈夫、夕立よ。じきに雨は上がる。私は心の中でそう呟いた。
鉄橋の上での心地よい振動が、まだ少し私の体に余韻として残っていた。不安定な天気の移り変わりと共に、鉄橋の上での不安定であった列車を思い浮かべ、私の今欲しているものの一つは或いは「不安定さ」なのかもしれない、そう思った。
車内では、列車が次の駅に近付いてきた事を知らせるアナウンスが流れる。それは都会で聞き慣れたコンピューターの女性の無機質な声ではなく、昔ながらの車掌自らがマイクで喋る声だ。車掌のアナウンスには独特のこぶし回しのようなものがあった。秋田訛りも少し混じり、私は雨が列車を打つ音と共に、その声をどこか可笑しみをもって聞いていた。列車が駅に近付く。徐々に車体にブレーキがかかり、スピードが緩やかになっていく。ホームには、傘を差した電車待ちの客の姿がポツリポツリと見える。もう夕方だ、彼らは仕事帰りだろうか。私は今日の宿も取っていない。どこで降りても構わない。この時期ならばどこの町の宿も予約に手間取る事はないだろうし、実際この時まではその日その日に予約を取っても宿は楽に取れていた。次で降りようか、そう考えた。そう、どうしたって構わないほどの不安定さが私にはあり、それゆえに私は安定していた。
続く
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