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2006年3月 2日 (木)

かぜのひきかた

(内容はどうあれ)毎日更新した!という月がいつか来るのかな、と希望的観測のもとに思うのだが、なかなか難しい。今月も初日からサボった。知るもんか。

さてさて、普段私のブログを読んでくれている人は既にうんざりするほど気付いて頂いていると思うが、私は文学オタクだ。ええ、そりゃもう間違いございやせん。無論、それ(文学)を生業にしてる人達のように「精通」はしていない。が、「好き」であるし、何より蘊蓄を垂れるのが好きである。「専門家」ではない、「オタク」の証拠だ。カフカの不条理とカミュの不条理の違いって言うのは…よく飲み屋で酔っ払って言っている。たまに私ではない第三者がそうしているのを見ると「死んだらいいのに」と思うが、自分の事ではなかなかそう思わない。他人に厳しく己に甘いのが私だ。

さて、その文学の話、今日は「詩」である。私は高校生の時、進路希望の調査書に「詩人になりたい。さもなくば何にもなりたくない」と、ヘッセの言葉を引用して書いた事がある(死ねばいいのに)。私にとって詩人は憧れの職業だ。憧れの職業、というよりは憧れの生き方と言った方がいいのだろうか。まあとにかく憧れだ。私の好きな詩人を、以下列挙したい。興味ない人はいつものように飛ばし読みで夜露死苦。

ボードレール、ランボー、コクトー、宮澤賢治、中原中也、谷川俊太郎、辻征夫

偉そうな事を言った割には、まあミーハーな趣味だ。最後の一人、辻征夫氏を除いては。或いは読者の方々の中には知っている人もいるかも知れない。現代詩を代表する詩人である。日常のやりきれないようなシーンを柔らかい言葉で切り取る、稀有な詩人である。故人であるのが唯一悔やまれるが。

詩人という職業は、びっくりするぐらいに儲らないらしい。我々の想像を凌ぐそうだが、よくは知らない。辻征夫氏も御多分に漏れず詩だけでは家族を養っていけなかったようで(彼の名誉の為に断っておくが、今現在詩のみできちんとメシを食べているのは日本では谷川俊太郎氏のみだ)副業を持っていた。その副業の同僚だったのが、これまた奇妙な事に私の父であったのだ。つまり、私の父の同僚に辻征夫氏がいた、という事だ。その縁で、我が家の辻氏の詩集は全てサイン入りだ(エッヘン)。

その辻征夫氏の詩を、矢野顯子が曲をつけて歌っている。「かぜのひきかた」という詩だ。この曲が収録されたアルバムが、無駄に共演者がすごい。ギターをパット・メセニーが弾いていたり、ベースをチャーリー・ヘイデンやアンソニー・ジャクソンが弾いていたりする。まさしく使い捨てジャズミュージシャンだ。いやいや、毒を吐くのはやめよう。だが、先に断っておくと、私にはパット・メセニーの素晴らしさはわからない。どこが良いんだ、あんなヤツ。「かぜのひきかた」だけに限って言えば、決して悪くはない。ただ、原文に対して私が抱いていたイメージは、矢野顯子がイメージしたそれとはいささか異なった。悪いとは思わないが、「音楽版かぜのひきかた」は、もう少し可能性があるのかな、とも思う。辻征夫は紛れも無く超一流の詩人である。そして矢野顯子もまた然りだ。だからこそ、私の採点は厳しくなる。興味の無いものに対しては、採点は激アマだ。「モーニング娘?百点!文句ナシ!」ってなものだ。

本当は「かぜのひきかた」の詩を全部紹介したかったのだが、面倒臭くなったのでこの辺で。

りっぱに きちんと かぜをひいたのである

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