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2006年3月 4日 (土)

昨日の夕刊

バイトが終わってから出町柳のラッシュライフへ。現実の反復性について前回少々書いたが、この「バイト→ラッシュライフ」という一連の行動も私が度々反復する行動の一つだ。

ラッシュライフは、やはり私にとっては憩いの場だ。かかっている音楽の質は抜群であるし、店主である茶木哲也氏の事も私はとても好きだ。

ほんの少し前までは、ちょっと遅めの時間に市川修師匠が「テツコ(哲也さんの事ね)さ〜ん、今日は何かけてくれはりますか〜」なんて言いながらやって来て、一緒に楽しくコーヒーを飲んでいた。嘘みたいだ。もちろん私よりも先に師匠がやって来ている時もあって、そんな時はラッシュライフのすぐ近くに師匠のエンジ色の車が路上駐車されていたから、店に入る前に師匠の存在を気付く事が出来た。そんな時は普段よりも更に店に入る足取りが軽くなる。私が店に入ると、いつも「来よったな〜」と言ってニカッと笑いながら、私を隣りの席に招き寄せてくれた。とても嬉しかった。正直に白状しよう、私は師匠の傍にいるのが何よりも好きだった。彼に褒めてもらう事が私の至上の喜びだったが(褒めてもらった事は三度ほどしかないが)、近くにいて師匠から怒られるのも、下らない話をしながらゲラゲラ笑うのも、そういった師匠の近くにいる事で起こる事の全てが何物にも代え難い喜びを私にもたらしていた。師匠が死んで早くも一か月が経とうとしているが、未だにラッシュライフに向かう時には店に入る前に近くの路上にエンジ色の車を探してしまう。店内でコーヒーを 飲んでいると、ふと扉の向こうから人並はずれて顔の大きなオッサンがやって来そうな気がする。まだまだ師匠の死を私はリアルな認識として受け入れられていないのだと深く実感する。奇妙な感覚、という言葉が一番しっくり来る。悲しい、というよりは奇妙な、と言った方が遥かにしっくり来る。奇妙だ、全く以て奇妙だ。

今日はラッシュライフに行くと店主の哲也氏が「お前、もうこれ見たけ?」と言って三月二日(木)の京都新聞の夕刊を見せてくれた。私はそれをまだ見てはいなかった。そこには師匠の追悼文が載っていた。そこに書かれていたのは「見事な」文章であった。我が師匠に関する文章だから採点は多少なりとも甘くなっているのかも知れないが、それを考慮に入れたとしても充分に見事な文章であった。新聞の誌面という都合上、スペースにも限りがある。だが、その限られたスペースの中で練りに練りながら、そして感情の発露とも取れる表現を織り交ぜながら、安っぽいセンチメンタルに堕す事のない上質な文章は展開されていく。その記事を書いている書き手の表情が思い浮かぶような文である。この文章を読んでいる方の中で京都新聞を購読されている方がいれば、是非一読をお勧めしたい。仮に市川修という人間を知らなかったとしても、その文章の温度ぐらいは伝わると思う。

さて、私の話に戻ろう。このブログは仮に「私が私自身の話だけをした」としても許される、極めて稀有なスペースだからだ。明日、正確には日付が変わって今日であるが、三月四日(土)は四条河原町グリニッジハウスにて、“ネ副(NEZOE)”というピアノ・トリオのライブである。久々である。三か月ぶりぐらいであろうか、少なくとも今年に入っては初めてである。メンバーは、椿原栄弘氏onBass、副島正一郎氏onDrums、ピアノは私、福島剛である。サックスの黒田雅之氏とのデュオと並行して私がやらせて頂いているピアノ・トリオであるが、黒田氏とのデュオとはまた違う方向から(けれどもやはり真っ正面から)ジャズと向かい合うトリオであり、私も楽しみにしているライブである。いくつか明日のライブに向けて考えている事もある。基本は「シンプルに、シンプルに」というのは変わらないのだが。

食事で言えば、「ご飯と味噌汁」というぐらいにスタンダードなフォーマットであるピアノ・トリオという形式を利用して、当たり前の事を当たり前にする事。それを目指して明日も頑張ります。師匠、見守っていて下さいね。

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