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2006年3月 3日 (金)

現実の反復性

ここ数日間、私の生活は極めて単調だ。単調だ、と書くと、何やらその生活に私自身が飽き飽きしているかのような印象を与えるかも知れないが、あながちそうでもない。良い意味で単調だと思っていて、それなりに満足している。

起きたらすぐにピアノに向かう。自分で決めた指のエクササイズをこなしていると、次第に目が覚めて来る。そこからは集中力の持続する限り、練習を続ける。集中出来なくなって来たら他の事をする。本を読んだり、コーヒーを飲んだり、ブログを書いたり。そう、こうしてブログを書いている今(大体17:30前後だ)は、まさしく集中力の切れた時間なのだ。

夕方からはバイトだ。六時には全てを切り上げてバイトに行く準備をする。六時半に家を出る。バイトが終わって十二時前に家に帰って来る。遅めの夕飯を食べながら少しTVを見て、少しお酒を飲んでから寝る。そしてこれを繰り返す。よく私がブログ内でもネタにするサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」は、第一幕と第二幕とに別れているが、大雑把に言えば第二幕は第一幕の反復だ。シンメトリーみたいになっていて、「二日間」は「一日の繰り返し」と言わんばかりだ。現実には確固たる反復性が潜んでいるのかも知れない。私の日常も、反復していく。

嘗て、まだ私が少年だった頃、私は日々は輝かしく「異なる」と思っていたし、また眼前に延びる「日常」も、新しい発見と変化に彩られた物になるだろう、と漠然と思っていた。変化、進歩、前進。イメージはそういう一連の言葉で説明はついた。

もちろんそれは全て間違っている訳ではなかった。ただし足りなかった。日常のイメージを説明する言葉のリストから、停滞、後退、反復といった言葉が抜け落ちていた。それらを付け加える事で、イメージはよりリアルに近付いて来る。私は変化する時もあれば停滞する事もある。前進する時もあれば後退する事もある。全ては反復していく。

私の昨日と今日との違いで一番大きなものは、昨日はコーヒーをブラックで飲んだが、今日はミルクと砂糖を入れて飲んだ、という事だ。大いなる変化。偉大な反復。無意味な焦燥。刻まれる時。

バイトに行く前の妄想でした。それでは行ってまいりやす。

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サミュエル・ベケットの生誕100年である。4月13日の聖金曜日に生を享けた、アイルランドの作家である。フランスからアイルランドへと渡ったユグノー派の子孫である。大ヒット作「ゴトーを待ちながら」は余りにも有名であり、1969年にノーベル文学賞を獲得している。出世作に限らず数多くの特に戯曲は、20世紀後半の最も重要な作品と言われている。 「悪魔の詩」出版で死刑判決を受けたサルマン・ラシュディー氏が、「私のサミュエル・ベケット」として投稿... [続きを読む]

受信: 2006年3月10日 (金) 17時13分

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