ジャムセッションのラーメン的考察
阿佐ヶ谷マンハッタンに引き続き、池袋マイルスカフェのジャムセッションに行って来た。まずはその事を少し。
ご存じない方のために簡単に説明しておくが、ジャムセッションというのは、店に集まった客同士が一緒に演奏する機会の事を言う。ジャズやブルースという音楽は、最低限のルールはもちろんあるが、自由な部分も多いのでそういった即興で合奏するといった事が可能なのだ。だから、どこの店でもジャムセッションといえば、大抵はジャズかブルースのセッションだ。たまにあってファンクぐらいだろうか。もしクラシック音楽のジャムセッションというものがあるのであれば、それは私としても是非一度覗いてみたい。途轍もない事になるのではなかろうか。
そして私もジャムセッションというものそれ自体が好きでよく遊びに行くのだが、私のここまでの経験によると、ジャムセッションという場は大きく二つのパターンに分ける事が出来る。
①大学のサークルに近いノリで行われるジャムセッション。来ている客の年齢層も比較的低めで、客同士の交流も深め易い。来なけりゃ良かった、みたいに落ち込みながら帰途に着く事は少ない。結構満足出来る。
②殺伐としたジャムセッション。テーマ吹けないやつは入ってくるな、下手くそは帰れ、みたいな雰囲気。ホストミュージシャン以外にも、客席にプロのミュージシャンがいる事もある。下手をすると、強烈に落ち込みながら帰る事にもなりかねない。(←ex:結局一曲も一緒にやらせてもらえなかった…恐くて誰にも喋り掛けられなかった…etc.)
どちらが良くてどちらが悪いという話ではない。例えて言えば、①はアッサリ塩味ラーメンで、②は背油コッテリ豚骨ラーメンみたいなものだ。塩ラーメンが食べたい時もあるし、今日はコッテリ豚骨で、という時もある。日によりけり、という事だ。
そしてこの数日私が訪れたジャムセッションの傾向で言うと、池袋マイルスカフェは、どちらかと言えば①のような雰囲気、阿佐ヶ谷マンハッタンは②のような雰囲気が漂っていた。どちらも楽しかった事に間違いはないのだが、単にタイプの違いだ。
それにしても東京はやはりライブハウスの数も多いし、ミュージシャンの数も本当に多い。関西に比べて、だ。多い、という事は、最低のレベルも下がっていくし、最高のレベルも上がっていく。平均的なレベルの人数も格段に違う。つまり、そういった人々によって作られていくダイヤモンド型の分布図の面積がかなり広がっていくわけだ。それは必ずしも良い事ではないのかも知れないが、私にはとても楽しい事に感じられた。
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コメント
月曜はお世話になりました。
福島のピアノを久々に聴いたけど、「プロらしい」感じになっていた、と思いました。プロはどこか「過剰」なところがなくてはいけない。これからもがんばってください。9月もよろしゅう。
さて、「クラシックのジャムセッション」ですが、ものの本によると、18~19世紀くらいまでは、クラシック演奏家というのは何曲か即興演奏をかますもんだったみたいです。
それが合奏だったのか独奏だったのかはわかりませんが、彼らの音楽的素養を考えれば、合奏も原理的には不可能ではなかったでしょう。(もちろん、バークリーメソッドも浸透していない時代ですから、ジャズほどの自由さはないと思うが)
すごいですね。モーツァルトのアドリヴとか聴いてみたいもんだ。
投稿: とりい | 2006年3月29日 (水) 10時24分
とりいさんへ
こちらこそ月曜日はありがとうございました。演奏の事、僕はまだまだです。表面ばかり取り繕わないように、聴いている人が本当の意味で笑顔になれるように、やるべき事は山積みです。とりいさんは、今使っているあのフルアコのギターになってから、今まで以上にギターを弾く事が楽しそうにも見えました。勿論、弾き手の変化、というのもあるのでしょうが、あのギターとは実に良い出会いだったんだなと、僕、感じました。
さてさて、クラシックのジャムセッション、本当にあったなら仰天ですね。モーツァルトのアドリブも聴いてみたいですが、僕はやはりショパンのアドリブも捨て難い。きっとどちらも、聴きながら「スイマセン、でもありがとう」という気持ちにさせられるんでしょうね(笑)
投稿: 福島剛 | 2006年3月29日 (水) 13時48分
ギターとの出会いの件、おっしゃるとおりです。正直、あの子(って、年上なんだけど)との出会いがなければ、ほんとの意味で、音楽に恋はしなかったんじゃないかと。
ちょっと思ったのだけれど、ピアノって楽器は(電器は別にして)、基本的にニセモノが少ないよね。アップライトの安物っていっても100万くらいはするし、少なくとも、ギターでよくみられる「疑似楽器」なんてものはあまり流通していない。ヴァイオリンやサックスなんかもそう。
何が言いたいかというと、ギターを始めた人には、早い内に「ちゃんとした楽器」に出会ってほしいなあ、と。一度出会えば、その後持ち替えたとしても、すごく大きな意味があると思うんだよな。
コメント欄長文、失礼しました。また遊ぼう。
投稿: torii | 2006年3月29日 (水) 16時38分
toriiさんへ
ええと、長文大いにありがとうございます。バッチこいです。
書いてくれた事に全面的に賛同しますが、生意気にも少しだけ補足を。
「ちゃんとした楽器」というのは、必ずしも高級な楽器であれば良いという訳ではない、という事。例えば僕はスタインウェイというピアノの音色はえらくカッコイイな、いつか金持ちになったら買いたいな、と思っていたのですが、昨年ベーゼンドルファーというピアノの音色に出会ってからは、そっちの方が僕の「趣味に合う」と思うようになりました。多分、どちらも目玉が飛び出るほど高い楽器なのでしょうが、今好きな物を何でも一つだけもらえるのであれば、やはり僕はスタインウェイではなくベーゼンドルファーを選びます。もう一つもらえるならば、「それを弾きこなす技術」。更にもう一つ可能ならば「それを置けるだけの部屋」なのですが…
つまり、数ある「本物の」「ちゃんとした」楽器の中にも、人それぞれで好みは分かれるし、そういう部分をひっくるめて「良い楽器」と出会う事は幸せな事かな、と。鳥居さんはそういった意味ではとても良い出会いをしたんだと思います。そして僕の意見では、「素晴らしい楽器を素晴らしいミュージシャンが弾いているのを聴く」という体験も同様にとても大切だと思っています。僕にベーゼンドルファーというピアノの素晴らしさを教えてくれたのは、ランディ・ウェストン御大であり、市川修師匠でした。仮にその事だけを考えたとしても、両名には感謝の念で一杯です。
負けじと長文ですいません。こちらこそ是非また遊んで下さい。
投稿: 福島剛 | 2006年3月29日 (水) 20時01分