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2006年3月27日 (月)

与世山澄子2

結局昨日は朝まで飲んでしまった。何でほどほどって事が出来ねえんだろうなあ。猛省っ…っていうのがあったなあ。

昨日の続きを。沖縄のジャズミュージシャンを観る事には二重の矛盾を孕む、とか何とか書いたんだった。そしてその矛盾を受け入れるほどにジャズという音楽の懐は深い、という所まで。

キリスト教という宗教の成立過程をふと思い出す。キリスト教が成立する以前にはユダヤ教があった。旧約聖書、モーゼの十戒の世界だ。ひどく大雑把に言うとイエス・キリストという男がユダヤ教の持つ矛盾点を告発し、それによってユダヤ教とは別にキリスト教という宗教が成立した。キリストが告発した矛盾点は、これも大雑把になるがまとめれば以下のような点だ。

・ユダヤ人のみが救われる、という選民主義はおかしい。全て遍く救済されるのが当然ではないか。

・律法を遵守しなければ救われない、という考え方もおかしい。神はそういった事に関係無く、至上の愛により全て遍く救済する。

この際、私の脳裏には親鸞の教えも頭をよぎるのだが、親鸞については今は割愛する。重要なのは、全ての衆生(これは仏教用語だな)は救済されるように生まれて来ている、という事だ。親鸞にせよキリストにせよ、その宗教の最も重要なポイントを「救い」と「赦し」と定めた、というのがここで私が紹介したかった点だ。

さて、そしてジャズである。ジャズもまた全ての人をのべつくまなしに「救い」、また「赦す」音楽ではないかと私は密かに考えている。黒人の虐げられた悲しみをジャズは赦す。ならば、極端な話、満腹でゲップしている日本人をも、ジャズという音楽は赦してしまうのではないだろうか、私はそう考えるのだ。どこかジャズという音楽を過剰に神格化していやしないか、自問するが、そうかも知れない。或いはジャズの懐は私が考える以上に狭窄かも知れぬし、逆に深遠やも知れぬ。これも矛盾した言い方になるが、私の判断など当てにはならないのだ。

閑話休題。与世山澄子である。彼女の過去として特筆すべき点の一つに米軍基地で歌っていた、という過去があげられる。折しもベトナム戦争真っ盛りの頃、兵士たちはいつ戦争に駆り出されるやも知れぬ不安を、彼女の歌を聴く事で拭っていたと言う。彼女は昨日の番組内で、あっけらかんと、しかしどこか誇らしげにその事を語っていた。「兵士たちの心に届かなければ、それは歌ではなかった」と。そしてナレーターの台詞が挿入された。「彼女の歌は聴く人間の心に染み入った。そして彼女は歌が心に染み入る、その切なさも知っていた」と。

彼女の歌の本当に素晴らしい点は、その抜群の歌唱力や天性のリズム感ではなく、全ての矛盾や悲しみをひっくるめた上で、ただひたすらに「赦して」いく不可思議な力なのかも知れない、番組のエンディングで歌っていた「What a wonderful world」を聴きながら私はそんな事を思った。

恥ずかしながら初めて知ったシンガーであったが、彼女の歌には私の心を揺さぶる物が確かにあった。すごい人もいるもんだ、世界は広い。

私は今から大学の先輩である鳥居氏と、池袋のマイルス・カフェというお店のジャムセッションに行ってまいります。楽しんで来ます。私もいつか一度でも素晴らしい演奏が出来るように。

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コメント

はーい。携帯は無くなったかい?
情熱大陸なぁ。私も観たかったんだけど仕事だったんだよなあ。残念。
しかしびっくり。「救い」と「赦し」という言葉がふくしまくんの口(手?)から出るとは…。実は過去に聖書を愛読していた事があったので…。
とりあえず肝臓はお大事に。あと、高槻は落選続きで諦めたよ。(;;)ベース練習しまくってたらごめん。

投稿: はたけやまさん | 2006年3月28日 (火) 18時07分

はたけやまさんへ

さっき電話で話したのにね。コメント返すなんて変な感じ(笑)
高槻の件、了解しました。ベースはそんなに練習してないから安心しといて。って言っても右手の中指と人差し指の皮は二回ずつぐらいむけたけど。
聖書は面白いね。クリスチャンでない僕が読んでも面白いもの。そんなはたけやまさんにオススメは親鸞の「教行信証」と「歎異抄」(←こっちは正確には唯円の著作だけど)。善人なおもて往生をとぐ、のアレだね。

投稿: 福島剛 | 2006年3月29日 (水) 03時11分

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