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2006年3月

2006年3月31日 (金)

解約する前に紛失

昨日、30日の昼間に京都に帰ってきました。

今日は時間もあまりないので端的に書きます。

何を書くかというと、私は携帯電話をなくしました、という事。解約しよう、とは思っていたのですが、解約した後の新しい連絡先がまだ決まっていないため、もう何週間かは携帯電話を存命させようと思っていたのですが、あろう事か東京~京都間の新幹線の中でなくしました。もちろん携帯電話会社にすぐに連絡して利用を中止してもらいました。なので、もし私の携帯電話に知らずの内に連絡をくれた方は、「この電話は、ただいまお客様の都合によりお繋ぎすることが出来ません」みたいなアナウンスを聞くかと思います。

仕方がないので、このブログからコンタクトを取れるようにしてみました。

プロフィール(画面左上)の所のメール送信というボタンをクリックして頂ければ、メールが送れます。急ぎの用件などはこちらに送ってください。すいませんが、よろしくお願いします。

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2006年3月29日 (水)

弾くべきか、弾かざるべきか

今日は久しぶりに本腰入れてピアノの練習。

今日気付いた事は、人間の指というのはなかなかに独立して動かす事が困難だ、という事。何を今更、とお思いの人も多いかとは思うが、私は恥ずかしながら今日気付いた。これはつまり、小指を動かすならば小指だけを動かす、という事。当たり前の事じゃねえか、と思った人は、左手(右手でも可)の手のひらを広げて小指だけを動かしてみてほしい。一緒につられて薬指やら中指やら動いてませんか?本当に難しいのだ。

今までもその困難は味わってきたが、何となく最近は、ちょっとは「指を動かす事」に慣れて来たかな、という驕りがどこかにあった。改めて自らの指の動きに神経を集中しながら練習をしてみると、いかに自分の運指が杜撰かという事に気付かされる羽目になったのだ。ピアノを弾く人は、小さい頃からクラシックピアノをやっていた人が多いので、そういった方々は既にこの困難を克服している人が多いかも知れない。

しかし私のような柔道家上がりのピアニストは、そんな当たり前の事で悩まされてしまう。柔道家上がりのピアニストなんて、まあ日本に十人もいないだろうが。教師あがりの採種者(たねや)など置いてやりたくないといふ。これは宮澤賢治の「住居」という詩の一部だ。あまり関係はない。柔道家あがりのピアニストなどバンドに雇ってやりたくないといふ。ああ、困った。ちなみにこの後は、「ひるもはだしで酒を呑み、眼をうるませたとしよりたち」と続く。ブルーズだ。賢治の詩にはブルーズが溢れている。

小さい頃からピアノを弾いていた人がもしこの文章を読んでいたら、私の質問に答えて頂けませんか?きちんと指が独立して動くようになってきたと実感したのは、始めてから何年目ぐらいの事ですか?ちなみに私は大体丸六年ほどピアノを弾いております。「好きこそものの」の精神でやっておりますが、一向に上手くなりません。自分のあまりの才能の無さに、たまに死にたくなります。死んだらいいのに、という事で死ぬまでやろうとは決めておりますが。

指が動く事、それ自体は素晴らしい事ではない、と私は考えている。けれど、指が動かない事によって、自分の表現しようとするものが満足に表現し切れないのであれば、それは論外だ。自らの表現の幅を助ける為の「技術」。そういう物を身に付けられたら素晴らしいのになぁ、そう思います。下手くそは下手くそなりに悩みます。

To play or not to play, that is the problem.

Fair is foul, and foul is fair.

シェイクスピアのクソッタレが。

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101回目のドロップキック

↓(前回)のジャムセッションの文章は、読み返してみたら何だか②のようなタイプのジャムセッションを私が悪く言っているようにとれなくもない。ここで一つだけ訂正。私はその日の気分にもよるが、基本的には②のタイプのセッションの方が好きなのだ。SかMかで言ったらMなんだろうな(笑)

寝る前にテレビを見ながらこのブログをいじくっていた。前回の文章が、記念すべき100回目の文章だったので、それを機会に全ての文章をカテゴリー別に分けたりしてみた。途中で面倒くさくなったのもあって、かなり乱雑な分類ではある。それにしても結構書いたな。原稿用紙に直したら300枚ぐらいあるんだろうか。暇と貧困が全ての原因かもしれない。少なくとも忙しい人の書く分量ではないな。ライブ情報も整理した。色々とちまちまやっていたのだ。

ということで今回のこの文章が101回目の文章になる。僕は死にましぇん!だ(古いな)。嬉しい事にアクセス数も先日5000hitを突破した。毎日結構な数の人に見て頂いて、ありがとうございます。最初はごくごく限られた親しい知り合いにしかこのブログの在り処を教えていなかったし、「沢山の人に見て貰う事」は私の中ではさして重要な事ではなかったのだけれど、私がその後個人的に明かしてしまったり何やかんやあって今のhit数に至っている。「書く事の楽しさ」だけではなくて「読んでもらう事の嬉しさ」みたいな物も少しずつ感じ始めている、というのが今の私の現状だ。

書き始めたら、適当な所でやめないといけないのもよくわかっている。「商いと人生は止まらない列車」というのが西原理恵子さんの漫画「ぼくんち」にあったが、このブログは商いでも人生でもないので。まあまあ、ぼちぼち書きます。

いつか、放送禁止用語みたいな言葉ばっかりでブログを書いてみたいなぁ・・・

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2006年3月28日 (火)

ジャムセッションのラーメン的考察

阿佐ヶ谷マンハッタンに引き続き、池袋マイルスカフェのジャムセッションに行って来た。まずはその事を少し。

ご存じない方のために簡単に説明しておくが、ジャムセッションというのは、店に集まった客同士が一緒に演奏する機会の事を言う。ジャズやブルースという音楽は、最低限のルールはもちろんあるが、自由な部分も多いのでそういった即興で合奏するといった事が可能なのだ。だから、どこの店でもジャムセッションといえば、大抵はジャズかブルースのセッションだ。たまにあってファンクぐらいだろうか。もしクラシック音楽のジャムセッションというものがあるのであれば、それは私としても是非一度覗いてみたい。途轍もない事になるのではなかろうか。

そして私もジャムセッションというものそれ自体が好きでよく遊びに行くのだが、私のここまでの経験によると、ジャムセッションという場は大きく二つのパターンに分ける事が出来る。

①大学のサークルに近いノリで行われるジャムセッション。来ている客の年齢層も比較的低めで、客同士の交流も深め易い。来なけりゃ良かった、みたいに落ち込みながら帰途に着く事は少ない。結構満足出来る。

②殺伐としたジャムセッション。テーマ吹けないやつは入ってくるな、下手くそは帰れ、みたいな雰囲気。ホストミュージシャン以外にも、客席にプロのミュージシャンがいる事もある。下手をすると、強烈に落ち込みながら帰る事にもなりかねない。(←ex:結局一曲も一緒にやらせてもらえなかった…恐くて誰にも喋り掛けられなかった…etc.)

どちらが良くてどちらが悪いという話ではない。例えて言えば、①はアッサリ塩味ラーメンで、②は背油コッテリ豚骨ラーメンみたいなものだ。塩ラーメンが食べたい時もあるし、今日はコッテリ豚骨で、という時もある。日によりけり、という事だ。

そしてこの数日私が訪れたジャムセッションの傾向で言うと、池袋マイルスカフェは、どちらかと言えば①のような雰囲気、阿佐ヶ谷マンハッタンは②のような雰囲気が漂っていた。どちらも楽しかった事に間違いはないのだが、単にタイプの違いだ。

それにしても東京はやはりライブハウスの数も多いし、ミュージシャンの数も本当に多い。関西に比べて、だ。多い、という事は、最低のレベルも下がっていくし、最高のレベルも上がっていく。平均的なレベルの人数も格段に違う。つまり、そういった人々によって作られていくダイヤモンド型の分布図の面積がかなり広がっていくわけだ。それは必ずしも良い事ではないのかも知れないが、私にはとても楽しい事に感じられた。

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2006年3月27日 (月)

与世山澄子2

結局昨日は朝まで飲んでしまった。何でほどほどって事が出来ねえんだろうなあ。猛省っ…っていうのがあったなあ。

昨日の続きを。沖縄のジャズミュージシャンを観る事には二重の矛盾を孕む、とか何とか書いたんだった。そしてその矛盾を受け入れるほどにジャズという音楽の懐は深い、という所まで。

キリスト教という宗教の成立過程をふと思い出す。キリスト教が成立する以前にはユダヤ教があった。旧約聖書、モーゼの十戒の世界だ。ひどく大雑把に言うとイエス・キリストという男がユダヤ教の持つ矛盾点を告発し、それによってユダヤ教とは別にキリスト教という宗教が成立した。キリストが告発した矛盾点は、これも大雑把になるがまとめれば以下のような点だ。

・ユダヤ人のみが救われる、という選民主義はおかしい。全て遍く救済されるのが当然ではないか。

・律法を遵守しなければ救われない、という考え方もおかしい。神はそういった事に関係無く、至上の愛により全て遍く救済する。

この際、私の脳裏には親鸞の教えも頭をよぎるのだが、親鸞については今は割愛する。重要なのは、全ての衆生(これは仏教用語だな)は救済されるように生まれて来ている、という事だ。親鸞にせよキリストにせよ、その宗教の最も重要なポイントを「救い」と「赦し」と定めた、というのがここで私が紹介したかった点だ。

さて、そしてジャズである。ジャズもまた全ての人をのべつくまなしに「救い」、また「赦す」音楽ではないかと私は密かに考えている。黒人の虐げられた悲しみをジャズは赦す。ならば、極端な話、満腹でゲップしている日本人をも、ジャズという音楽は赦してしまうのではないだろうか、私はそう考えるのだ。どこかジャズという音楽を過剰に神格化していやしないか、自問するが、そうかも知れない。或いはジャズの懐は私が考える以上に狭窄かも知れぬし、逆に深遠やも知れぬ。これも矛盾した言い方になるが、私の判断など当てにはならないのだ。

閑話休題。与世山澄子である。彼女の過去として特筆すべき点の一つに米軍基地で歌っていた、という過去があげられる。折しもベトナム戦争真っ盛りの頃、兵士たちはいつ戦争に駆り出されるやも知れぬ不安を、彼女の歌を聴く事で拭っていたと言う。彼女は昨日の番組内で、あっけらかんと、しかしどこか誇らしげにその事を語っていた。「兵士たちの心に届かなければ、それは歌ではなかった」と。そしてナレーターの台詞が挿入された。「彼女の歌は聴く人間の心に染み入った。そして彼女は歌が心に染み入る、その切なさも知っていた」と。

彼女の歌の本当に素晴らしい点は、その抜群の歌唱力や天性のリズム感ではなく、全ての矛盾や悲しみをひっくるめた上で、ただひたすらに「赦して」いく不可思議な力なのかも知れない、番組のエンディングで歌っていた「What a wonderful world」を聴きながら私はそんな事を思った。

恥ずかしながら初めて知ったシンガーであったが、彼女の歌には私の心を揺さぶる物が確かにあった。すごい人もいるもんだ、世界は広い。

私は今から大学の先輩である鳥居氏と、池袋のマイルス・カフェというお店のジャムセッションに行ってまいります。楽しんで来ます。私もいつか一度でも素晴らしい演奏が出来るように。

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与世山澄子

日曜日。よほどの用事がない限り、私はTBSの「情熱大陸」を見る。有名無名を問わず、良質なドキュメントタッチで毎週興味深い人物にスポットを当てていく番組だ。ご存知の方も多いだろうし、私同様この番組を毎週楽しみにしている人も少なくない筈だ。

本日の「情熱大陸」が取り上げたのは与世山澄子さん、沖縄で半世紀以上にわたってジャズを歌い続けて来たジャズ・シンガーだ。私は放送開始の11時15分に間に合うように、11時にはコーヒーを淹れ、テレビの前でその時を待った。毎回「情熱大陸」の放送を楽しみにしてはいるが、今日はとりわけ楽しみだったのだ。と、いう事で今日の「情熱大陸」について少し。

沖縄というその土地を、私は嘗て一度も訪れた事がない。とても行ってみたい土地の一つであるが、今の所訪れる予定もない。それにしても、極めて特異な地である、と私は思う。もちろんあらゆる土地の一つ一つに特徴はあり、それを「特異である」と言う事は可能なのだが、そういった部分とは全く異なった見地から、沖縄という土地は「特異である」と私は思うのだ。私がそう感じる理由には、琉球王国という歴史があり、米軍基地の存在というものがある。これら二つの理由が辿り着く共通のキーワードは「異国」という言葉である。

様々な語弊を恐れずに言えば、沖縄は「異国」である、と私は思う。理由については敢えて触れずにおく。そこには明確な意見を求められた時に答えられるかどうか自信がない、という私自身の逡巡もあるが、何より話がずれていく事を避けたいのだ。そしてもう一つ、これも思い切った仮定を一つ挙げてみたい。ジャズは、ある意味では「異国の音楽」である。

さて、ここまでのまとめだ。私は二つの仮定をしてみた。一つは沖縄は異国であるという事、もう一つはジャズは異国の音楽であるという事だ。これらを総合して考えると、沖縄でジャズを歌う与世山澄子さんのドキュメンタリーを見るという行為には、同時に二つの「異国性」を抱えるという、ある矛盾を自らの中に受け入れる行為とも考えられる。しかし、その矛盾こそが興味深い。アメリカで黒人がジャズをやる、それだけならば確かに話は単純だ。しかし、仮にそうであったならば、ジャズはここまで魅力的な音楽になっていなかったのではないか、と私は考えるのだ。ジャズの根底にはブルースがあるのは確固たる事実だ。そこには虐げられた黒人の悲しみがあり、それを更に突き抜ける無上の明るさがある。だが、それを超越した悲喜交々をも包括するジャズという音楽の奥深さ、そんなものもあるんじゃないだろうか、それを私は本日の「情熱大陸」に垣間見た。

私の中で話がだいぶキナ臭くなってきた所でこの話は一度中断したい。続きは次回。友達と一杯だけ飲みに行こうという事になった。明日、また必ず。

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2006年3月26日 (日)

阿佐ヶ谷マンハッタン

行って来ました、東京のジャムセッション。色々行ってみようと思っていたのだけれど、まずは第一弾、阿佐ヶ谷マンハッタンというお店へ。お客さんもセッションホストもワケわかんねえぐらい上手いんだろうなぁ、と半ばビビりながらだったが、実際行ってみたらそうでもなかった。お客さんは上手い人もいたし、そうじゃない人もいた。ああ、ビビり損。そこまでは思わなかった。だってホストミュージシャンのスゴい事スゴい事!バップをやってもブルースをやってもとにかくカッコいい。プロの演奏が堪能出来た。

参考までに本日のホストミュージシャンを紹介します。テナーサックスは高橋知己さん、ピアノは田山勝美さん、ベースは山崎弘一さん、ドラムは中矢彬弘さん。以上四名。サックスの高橋さんは以前演奏を観た事があって一撃で惚れてしまった事があったが、今日もスゴかった。ピアノの田山さんは熱い演奏の人だったし、ベースの山崎さんやドラムの中矢さんはノリノリのゴキゲンなミュージシャンだった。いやあ、東京はすげえなあ、それが本日の私の感想です。楽しいな、やっぱり良いミュージシャンと一緒に演奏させて頂くのは。

空がうっすらと白み始めてまいりました。午前五時台の電車に人が多いっていうのも東京の特徴ですな。帰ってぐっすり寝ます。おやすみなさい。

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2006年3月24日 (金)

ココだけの話

実家にいるとインターネットが自由に使える環境にあるので、ついつい引きこもり染みた生活になってしまう。特別にやる事はないし。そう、昨日も書いたが、「やるべき事」はたくさんあっても「やる事」は少ない。死ねばいいのに。

ブログの更新もインターネットがあるととても便利だ。文明万歳だな、ホント。文明ファック。

さて、そのインターネットを使ってネットサーフィンなどをしてしまう。インターネットの用途は「探し物・調べ物がある時に利用する物」と私は認識していたが、最近そうとも限らない。単純な暇潰しの一環として、要は非生産的な自分の楽しみとしてインターネット・ページを閲覧する事も増えて来た。この私のブログのサイドのリンクにあるページ群は私がよく閲覧するページなのだが、もちろんそれ以外のページもよく見る。今日、私が見て面白かったのは、他人のブログだ。それについて少し書きたい。

私のこのブログを管理しているのはniftyという会社だ。なぜniftyにしたか、というと明確な理由はない。最初にlivedoorやyahooといった会社のブログサービスを見て、何かピンと来なかった。どちらかと言えば消去法的な選択によりniftyのブログを選んだのだ。どこでも良かったし、それは今でも同じ事を思っている。「書きたい」という私の心に強く巣食う欲求の捌け口がブログだ。それ以上でもなければそれ以下でもない。まあ、楽しくやっている。飽きたらやめるが。

さて、そのniftyのブログの看板ブログ、野球で言えばエースで4番打者、サッカーで言えば背番号10、相撲で言えば東の横綱、そんな位置に(どうやら)あるらしいのが眞鍋かをりという女性タレントのブログだそうだ。私はよく本屋に行くので、彼女のブログの存在そのものは知っていた。そのブログが丸々活字の単行本になって発売され、それなりに好評を博していたのだ。本が平積みにされていたりする所からもその本の好調さは伝わって来たが、肝心要の中身を私はほとんど見ていなかった。パラパラと本をめくった時に絵文字がちらほら見えた事で、「ああ、若いオネエチャンのついていけないテンションの文章だろ」とそこでシャットダウンしてしまっていた。それが、ついに今日、ネットサーフィンをしていたら偶然にも彼女のブログに辿り着き、腰を据えてじっくりと読む事になってしまった。不思議なものだ。

正直な感想を言おう。バカにしていた、という事の反動もあるが、とても面白かった。中身はあまり「女の子女の子」的な雰囲気ではなかったし、何より私が感嘆したのはその語り口の軽さだ。軽妙洒脱、とまでは思わないが、話し言葉に近い文体で、彼女独特のユーモアを交えつつその日その日の出来事を綴っていく。「文学か?」と聞かれれば「違う」と答えるだろうが、「面白いか?」と聞かれたら「私は楽しめた」と答える。少なくとも読み手の存在を無視した独り善がりな文章ではなかった。私はこうして文章を書く時に独り善がりになってしまう傾向がとても強いので、そういった意味では「文章と自分の思考との距離のとり方」とでも言えばいいだろうか、そういうものを「やるなあ」と思いながら読んだ。参考までに以下にURLを紹介しておく。

眞鍋かをりのココだけの話

http://manabekawori.cocolog-nifty.com/blog/

という事でこの辺で。軽く書くのって、実は難しいんだよなあ。どうしても力が入ってしまう。ピアノと一緒だ。死ねばいいのに。

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2006年3月23日 (木)

朝起きたら

酔っ払っていた。

水を飲む、大量に。酔い覚めの水は甘露の味わいだ。「酔い覚めの水、下戸知らず」そんな言葉を思い出す。

昨日は中学の同級生であるヤマという男と碌でもない一日を過ごした。昼の12時ぐらいに余命あと幾ばくかとなった私の携帯電話が鳴った。ヤマからだった。俺今日仕事休みなんだ、どっか行こうか。彼が言う。私も準備をして出る、と伝えた。一時間後ぐらいに彼と落ち合う。どこ行こうか。する事ねえな。私たちには「やるべき事」はたくさんあるのに「やりたい事」は少ねえな、そんな事を言い合いながら自嘲的に笑う。パチンコでも行くか、という事になってパチンコに行ったのがクソのような一日の幕開けだった。私は少しパチンコで金を失い、ヤマは少し増やした。勝ち負けはこの際どうでもいい。

そこからパチンコ屋を七時過ぎに出て、私が以前から興味を示していた小岩のもつ焼き屋「大竹」へと向かった。さして広くもない店内から常に客が外にはみ出るほどに繁盛している店だ。中で飲食をしてわかったが、「大竹」が繁盛するのには確固たる、そして充分過ぎる程の理由があった。その理由とは「美味い・安い」である。三百円のもつ煮込みはとてもジューシィでコクのある、かといってくど過ぎない絶品のもつ煮であった。一緒に煮込まれている蒟蒻や馬鈴薯が憎いほどに良い味を出しているのも素晴らしかった。また、二本二百円の焼き鳥は、どれも「これでもか」と言わんばかりのボリュームであった。心地よい喧騒にまみれた店内にはAV女優のポスターなんかが貼ってある。いいぞ、小岩はそうでなくちゃ、そんな事を頭の中で考えながらヤマと楽しく飲んでいると、私の隣に座っていたオッサンが、喋りかけて来た。一人で飲むのも寂しいわな、別に同情した訳ではないのだが、そのオッサンの話に耳を傾けていた。大して話の内容を覚えている訳ではない。ただ、オッサンが「この店の客の奴らはみんな自分を正当化してンだよ」と言ったのに私とヤマはゲラゲラ笑ったのははっきりと覚えている。「オッサンもな」というツッコミは当然入れさせてもらった。

途中で、先日息子が生まれたマサクニを呼び出そうという事になった。電話をしたら、「今から魁人(かいと、と読む。マサクニの子供)を風呂に入れなくちゃ」との事。「ガキなんて、洗濯機かなんかで洗っとけよ、弱ぐらいなら死なねえよ?」と横からヤマが口を挟む。「お前らバカか」なんてやり取りの後、一時間ほどしてマサクニが現れた。もう既に私とヤマは酔っ払っていてぐだぐだであった。マサクニの家で飲もうという事になり、お酒を買い込んでマサクニ宅へ。初めての魁人との遭遇であった。小さな足を口の中にほおばったり、口に思いっ切りキスをしたりと、酔っ払っていた私とヤマは散々魁人で遊ばせてもらった。カミサンも明るい、とても良い感じの女の子だった。

ここからはもう記憶も定かではない。マサクニの家を夜の十二時前に出てから、近所のラーメン屋で再びビールを飲み始め、ラーメンを食べ、家へ帰った。だいぶ雨が降っていたので、かなり濡れた。どうやら明け方の4時ぐらいであったらしい。

という事で碌でもない一日を過ごした翌日の今日は、こうして昨日の事を文章にまとめた以外はまだ何もしていない。今日も碌でもない一日になるのか?なるんだろうな。

小岩に帰ってくると、私は精神的に何かとても緩やかになる。やはり、この喧騒の街が私は好きなんだな、と再認識する。ちょっと今から自転車に乗って周辺を楽しんでこよう、そう考えている。酔い覚ましにはもってこいだ。

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2006年3月21日 (火)

新幹線の車窓から

東京へ向かう新幹線の中である。東京という街は私の生まれ育った故郷であり、私の家族の暮らす土地である。バイトもやめて少し時間も出来たので、久しぶりに一週間ばかり東京に帰ろうと思い、時速300kmを超える車輌に揺られている。今回は、東京のライブハウスのジャムセッションに行こうか、神田のレコード屋にずっと探していたレコードを見つけに行こうか、色々考えている事もあるが、一番の楽しみは幼馴染みの友人に生まれた子供を見に行く事だ。アイツが親父か、奇妙な物だな、そんな事を考えながら。

さて、現在午後四時半である。本来ならば午前中に京都を出て、夕方には東京に着くようにしよう、そんな事を考えてもいたのだが、今日はそう出来ない事情があった。昼の正午前後の時間にWBC、野球の世界大会の決勝戦が行われていたのである。その試合を見届けてから京都を出発しても決して遅くはない、そう思って家で日本対キューバの決勝戦を観戦してから家を出た。結果はご存じの方も多いとは思うが、10対6で日本の勝利、優勝と共に「世界一」という称号を手に入れた。新幹線の中での暇潰しの一手段として、少しその試合の観戦記を書く。いささか日本側からの視点に偏る傾向は勘弁願いたい。また野球に興味のない方々はここからは気持ち良く読み飛ばして頂いて構わない。

まずは先発投手の松坂である。今や上原と並び日本のエースと誰もが認める彼が、今日は非常に素晴らしいピッチングを見せた。素晴らしい、と言うよりも或いは「彼本来のピッチング」と形容した方が的を射ているのかも知れない。力のあるストレートを低めに集める今日のピッチングは、初回に一点こそ失ったものの、見ている私たちに何とも言えない安心感を与えた。国際大会におけるこれまでの不本意な成績から、彼の起用を疑問視する声もあったと聞くが、そんな周囲の声をまさしく一蹴する、快刀乱麻のピッチングであった。身体能力に優れたキューバの選手達に、文字通り力で競り勝った。「流石」と唸った日本のファンは少なくない筈だ。

そして、以前このブログの中でも幾度か触れたイチローについて。今回のWBCを語る上で、彼の存在はやはり避けて通れるものではない。並びに避けて通れない存在としては、アメリカの審判ボブ・デービットソンがいるが、彼について書くのは敢えてやめよう。書くのも憚られるほどに馬鹿々々しい。

イチローは今回のWBC日本代表における精神的支柱であった、という意見に異論を唱える人はさして多くないだろう。全く関係の無い話だが、今名古屋を出た。タイムラグこそあれ、これも一種の実況中継だ。それは違うかな。タイムラグという言葉で連想したのは京都のライブスポット「RAG」。特別に好きなライブハウスではないが、昨日の「RAG」における市川修追悼ライブはとても良かった。MITCHさんの「I'll fly away」はいつ聴いても最高だ。話が飛び飛びになるな。「意識の流れ」だ。いや、それも違うな。

閑話休題、イチローである。「作られたイメージ」としてのイチローは、あまり雄弁に喋らない、感情を表に出す事の殆どない男であった。しかしWBCの舞台に立った「イチロー」という男は、雄弁に自らの意志を語り、相手チームを挑発し、自らのチームを過剰とも言えるほどのパフォーマンスにより鼓舞した。アーネット・コブ、ジミー・コブ。あれ?まあ良い、いずれにせよチームに対してのみならず、マスコミに対しても急先鋒的な役割を意識的に買って出ていたのは紛れも無く「クールで寡黙である筈の」イチローであった。私は少なからずその事に驚きと違和感を感じていたのだが、それは単に彼の根源的欲求や意志が表層化しただけなのかも知れない、とWBCの全日程が終了した今、そう思う。つまり、彼は生来攻撃的な部分を持ち、また感情的な一面を持った人間なのではないか、と。我々野球ファンが抱いていた彼に対する勝手なイメージは誤解かも知れない。彼の今回の活躍と貢献はやはり筆舌に尽くし難い。極めて凡庸な意見だが、私はそう感じた。

さて、最後に王監督の采配について少し。彼の采配は「情の采配」である、私はそう思う。不振に喘いだ福留の起用、強気なリードが裏目に出た事もあるキャッチャー里崎をスタメン起用し続けた事からもそれはわかるが、私が特に強くそれを感じたのは、本日の決勝戦の最終回の守備にショート宮本という交替を行った時だ。チームの精神的支柱として裏方の仕事すらも厭わなかった男に、最後の最後で花を持たせた、何とも「粋な」采配であると私は感じた。情につき動かされる事は、勝負の世界においては手放しに褒められる行為ではない。だが、今日の最終回のショート宮本という采配に私は強く心を打たれた。5点差があったから宮本を出したのか?私はそうは思わない。たとえ1点差であったとしても、王貞治という人は最後にショート宮本と言ったろう。人間である。悔しいほどに王貞治という人は人間である。私が今回最も心を打たれたのは上記のシーンであった。

様々な遺恨をも残したWBCであったが、とても夢中になって私は観戦した。面白かった。新幹線はもうすぐ東京に着く。家族に会って「只今」と言おう。楽しみだ。

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2006年3月18日 (土)

さよなら携帯電話

今日、バイトを辞めた。三年ちょっと勤めたバイト先だったので、何かしらの感慨があるかとも思ったが何もなかった。辞める直前に上司から強烈にたくさん嫌味を言われたのもあって、もっと早く辞めておけば良かった、ぐらいは思ったが。

という事でこの話はここで。あんまり愚痴っぽくすると面白くなくなるから。私は他人の愚痴など読みたくないし、それは逆もまた然りだと思うので。

今はバスの中で携帯電話から文章を書いている。市川芳枝さんのライブに向かっている所だ。彼女について詳しく知りたい方はサイドのリンクの師匠夫婦の所をクリックして頂きたい。市川芳枝さんは、亡くなった私の師匠の最愛の奥様なのだ。決して器用ではないが、誰よりも心に響く歌を唄う、極めて稀有な(勿論良い意味で)シンガーだ。彼女の歌は聴く側の心を裸にする。心が些かささくれだった時には彼女の歌はとても良い。バスの中から楽しみになる。

話は変わるが、こうして携帯電話から更新するのもあともう少しだ。近々携帯電話そのものを手放す事に決めた。一般的には最早生活必需品と化した感のある携帯電話だが、それに抗いたいというのもある。何より携帯電話のない生活がしたい、というのが第一だ。なくて困る、とは私はさして思わない。

さあ、熱い魂の歌を楽しんで来よう。

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2006年3月17日 (金)

WBC

野球の世界一を決める、という「表向き」の名目の下に始まったWBC(World Baseball Classics)。蓋を開けてみれば、「アメリカのアメリカによるアメリカのための大会」であった。イチローはきっとわかっていたんだろうな。だから過剰なパフォーマンスとも取れる程に自分の意気込みをマスコミにも語っていたし、韓国戦に負けた直後、「自分の野球人生においてこんなにも屈辱的な日はない」とまで言ったのだろう。私の勝手な推測だが、彼は韓国に負けた事よりも、アメリカ礼賛的な雰囲気の漂う大会の中で敗退した事が悔しかったのではないだろうか。

しかし、韓国は強い。今回の韓国代表には、驚くほどの集中力と勝負に対する執着心が見え隠れする。日本代表が負けるのも頷ける。「たまたま」韓国が日本に勝ったのではなく、「勝つべくして勝った」そう思っていた。これは準決勝でもアメリカに勝つだろう。それはそれで痛快だ。

そう思っていた矢先、TVで報じられた「アメリカ、メキシコに敗れる」のニュース。失点数により、日本が繰上げで準決勝へ。寝耳に水とはまさにこの事。心の底で私は「ざまあみろ」と呟いた。

バレーボールの世界選手権などが日本で開催された時の、完全に日本贔屓な雰囲気も嫌いだが、アメリカの「公正さ」を表向きで装った上での「不公正さ」は同様に嫌いだ。

残った4チームは、韓国、日本、キューバ、ドミニカ。アメリカという「主役」不在となったWBCが俄然面白くなってきた、と感じているのは、私だけではないのかもしれない。

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三十八歳の目標

私は凡人である。凡人である人ならば私の意見に頷ける人も多いかも知れないが、誰にでも「影響を受けた人物」という人が一人や二人はいるだろう。私にも何人かいる。今日はその内の一人、古賀稔彦という人について書きたい。

e's styleという所でのライブを終えて帰って来てTVをつけたら、バラエティ番組に古賀稔彦さんが出ていた。知らない人の為に彼の事を簡単に説明しておくと、彼は柔道家である。バルセロナオリンピックでは金メダルを獲得しているし、世界選手権での優勝も数度に渡ってある。実績は十二分にある。しかし、月並みな表現になるが、彼はやはり何と言っても記録以上に記憶に残る選手であった。芸術品とも言える背負い投げを操る彼の試合は、いつも見ている私を心底からワクワクとさせた。彼の背負い投げによって投げられた相手は、完璧とも言える弧を描きながら畳に落ちる。「わかっているのに投げられてしまう背負い投げ」と、彼の背負い投げは評される事はあったが、それも決して誇張表現ではない。彼は魔法使いの一人であったのだ。

私も十年以上柔道をやっていた。中学生の頃は身の程もわきまえずオリンピックに行きたいなどと本気で思っていた。当時の私にとって古賀稔彦という柔道家は神様に近い存在だった。参考までに言うと、当時の柔道少年達は古賀派と吉田派(吉田秀彦氏。最近は総合格闘技の世界などで活躍している)に二分されていた。ちなみに小川直也氏は当時は人気がなかった。私はもちろん古賀派であった。彼の試合のビデオを何回も何回も見ながら、どうしたら彼のような背負い投げが出来るようになるか、そればかりを考えていた。特に繰り返し何度も見たのは、バルセロナ五輪の準決勝、ドットとかいう名前の選手を背負い投げで一閃した試合だ。あまりに何度も見たので、未だに脳裏にはっきりと焼き付いている。いやあ、最高の背負い投げだったなぁ。

そんな彼をたまにふとTVで見かけると、何とも懐かしい気持ちになっていた。ああ、相変わらずの柔道バカだなあ、でも最近少しずつTV慣れしてるよなあ、そんなことを思いながら。

今日のバラエティ番組も、芸能人に背負い投げをかけたり、芸能人が「痛い、痛い!いやぁ、ホンマにすごいですね〜」なんて言いながら和気藹々と進められていた。そんな中、古賀稔彦さんの口から発せられた言葉は信じがたい言葉であった。

「現役に復帰するつもりで今、身体を作り直しています。北京五輪を目標にやります。もう一度勝負したくなりました。」

柔道選手の選手寿命は、他の競技に比べても決して長くはない。三十歳を超えれば、もう引退を考える時期だ。実際、古賀稔彦さんも三十代前半で引退した。現在、古賀稔彦氏、三十八歳だそうだ。いくら「平成の三四郎」と言えども、その目標はあまりに荒唐無稽だ。

にも関わらず、彼の目は本気であった(この場合、「マジ」と読んで頂きたい)。本気で世界一の「最強」を目指す男の目であった。こいつはやはり凄い、最高だ、私はそう思わざるをえなかった。この際、「チャレンジする事に意義がある」などという見方はしたくない。彼が日本代表となり、そして世界「最強」となる、その時を刮目して見届けたい。

ライブから帰って来ていささか疲れていたが、あまりの衝撃ゆえに見終わってすぐにブログに書こうと思い立った。

古賀稔彦。十年以上前に私の心を強く揺さぶった男は、再びその時以上に私を揺さぶった。背負い投げを、もう一度。私も「本気で」期待する。

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2006年3月16日 (木)

雨やどり

それはまだ私が神様を信じなかった頃

ではないな。尚且つ古いな。雨宿りをしている。傘がないから。行かなくちゃ、君に会いに行かなくちゃ。これも古いな。

雨の中を駆け出す勇気はどこへ行ったろう?そんな物はとうにどこかへ行ったのか?初めからなかったのか?

もう幾つ目の遠回り道、行き止まり道

手に下げた鈴の音は、帰ろうと言う、急ごうと言う

頷く私は帰り道もとうに失くしたのを知っている

中島みゆきの「遍路」という歌の歌詞が頭に浮かぶ。さあ、行かなくちゃ。

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2006年3月13日 (月)

IndianaとDonna Leeの相関性

ルイ・アームストロングのレコードから「Indiana」を譜面に起こした。

途中で気付いたのですが、この曲はパーカーの「Donna Lee」と同じコード進行なんですね。と言うよりも逆、パーカーがインディアナをパクったのか。「Scrapple from the apple」はファッツ・ウォーラーの「ハニーサックル・ローズ」のパクリだし。

でもパーカーという人はすごいな、と思うのは、そのパクリ作品をオリジナルよりも有名にさせてしまったりする所だ。「インディアナ」は知らないけれど「ドナリー」は知っているという人は結構いるはずだ。「ハニーサックルローズ」は知らないけれど、「スクラップルフロムジアップル」なら知っているという人ももちろんいるだろう。「オーニソロジー」は知ってるけど「ハウハイザムーン」は知らない、という人はさすがに少ないかも知れないが。いずれにせよ、何を吹いても「パーカー節」に聞こえさせる自信があるから、スタンダードのコード進行をパクったりなんていう大胆な事が出来たんじゃないかな、と私は推測するのだけれど。いやはや、パーカーはすごい。

さて、明日はモジョウエストでのライブだが、京都市北部では雪がパラついて来た。私は多分に雨男なので、ライブの時に雨が降るのはしょっちゅうだが、三月半ばにまさか雪とはねえ。ここは北国か?ま、雨にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けずの精神で頑張ります。お客さん、たくさん来てくれたらいいなぁ、なんて思ってますが、そんなこと思ってる時点でちょっと負けてるのかも知れませんね。

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2006年3月11日 (土)

悪びれず、「暇です。」

ゆうべは祇園pickupにて深夜の演奏。サイドのリンクにもある「ぎやまん」の店主、片山のオバチャンが仲間と共にやって来てくれて、えらい事盛り上がってしまった。大好きな歌伴(歌の伴奏)もたくさん出来たので、私も大満足だ。

さてさて、今日はオフ。お気づきの方も多いかと思うが、私は基本的にヒマ人だ。「最近どうなの?忙しくしてんの?」と聞かれた折には、「うん、忙しい。暇だけど無理やり忙しくしてる」と答える事にしている。「ああ、忙しい、忙しい」というのはかなり効力を持つ免罪符的な役割をする発言だと思う。なので「暇です」とは大っぴらに言わない事にしているが、正直に白状しよう。暇です。世間の忙しい方々、本当にすいません。私がピアノを毎日何時間も弾く事が出来たり、こうして(ほぼ)毎日駄文を綴る事が出来るのは、とてもありがたい事であると同時に、とても罪深い事なのだ、と認識する。でも、なるべく悪びれないようにします。

死んで神様と呼ばれるよりも、生きて馬鹿だと言われましょうよネ

そうよ私ゃ女で結構、女の腐ったので構いませんヨ

↑加川良の「教訓」の歌詞です。「戦争反対」みたいなものすごくストレートなメッセージです。女性差別の歌詞ではありません。「悪びれていない」一例として挙げてみました。

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2006年3月 9日 (木)

長時間のパソコン作業

ウェブ上から高槻ジャズストリートの出演申し込みをした。そして、このブログのプロフィールの所にあるライブ情報を追加した。頑張った。とても頑張った。

事務作業の疲れ方と肉体作業の疲れ方は、大分異質なんだろうな。私は事務作業らしい事務作業をやった事がないからわからないが、しかし今日は確実に疲れた。だからたまには短く書くよ、書いちゃうぜ。

本日は、物凄く久し振りに烏丸今出川にある「BACKBEAT」っていうお店のセッションに行こうかなと考えていますが、どうしようかな。取り敢えず、この手抜き文章でブログは更新します。自然派芸能人(C.Wニコルとか清水国明とか)の前でタバコのポイ捨てしてみたいなあ。

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愛が勝つのが一番大事

深夜の通販のTV番組を見ていたら、KANの「愛は勝つ」が流れた。知ってる歌がTVから流れると、何とはなしに嬉しくなる。

でも、もう私は「愛は勝つ」を素直に聞けない。汚れっちまった悲しみだ。

心配ないからね 君の想いが誰かに届く 明日がきっとある

明日はない。あるいは明日は来なければいいのに、というのが私の気持ちだ。

どんなに困難で くじけそうでも 信じる事を決してやめないで

そういえば私のアイデンティティの出発点は「不信」だな、とふと思った。

いや、私はKANを批判するつもりは毛頭ないのだ。彼はあんなにも異常なまでの前向きな歌詞を、どういう意図で書いたのだろうか。少なくとも真っ当な神経の持ち主には「愛は勝つ」は書けない。皮肉で書いたのだろうか、ラリって書いたのだろうか、それはわからないが、「愛は勝つ」の中で展開される病的なまでの前向きさは、良くも悪くも我々の心を打つ。

或いは時代性か?当時は「それが大事」なんてのもあったなあ。負けない事・投げ出さない事・逃げ出さない事・信じ抜く事・ダメになりそうな時・それが一番大事。

色々言いたいが、まあいい。負ける事はとても大事なような気はするが。大事MANブラザーズバンドはラリっていたのだろう。当時('90年代初頭)の芸能界はシャブにまみれていた、と週刊ポストでかつて読んだ事がある。「信じてみたいな週刊ポスト」だ。信じ抜く事はとても大事なので、週刊ポストとアサヒ芸能と東京スポーツのネタだけを信じ抜く事にしよう。

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2006年3月 8日 (水)

妄想

本日は妄想します。そういう事でよろしく。

山の中の小さな小屋を思い浮かべる。決して大きくない、何も装飾品の無い、簡素という形容がぴったりくるような山の丸太小屋だ。木材に虫喰いの箇所が幾つか見え、所々ガタは来ているのがわかるが、まだまだ充分に人が暮らせる。とても上質な、ほんのり甘くて冷たい水が流れる沢が近くを流れている。川魚の魚影が時折光の差し込み具合の加減で見えたり見えなかったり。朝になると毎日決まった時間に鳥が鳴き出す。その鳥の鳴き声と差し込む朝日の交錯によって、眠りの世界は覚醒させられる。そんな、世界からこぼれ落ちたような、そんな場所だ。そこで、人生をリセットするかのように暮らしてみたい。私の本日の妄想はここからスタートする。

何も与えず、何も生まず、何も欲せず。誰からも必要とされず、誰をも必要としない。私の存在が誰かの何かを変える訳ではない、私が誰かから変えられる訳でもない。ただ純然たる「行為」として太陽が昇り、沈む。時が刻まれ、未来が減る。いや、その時には私は未来の存在すら考えない筈だ。過去の堆積である「現在」を、一定の時間の連続と捉え直す。

生活は、可能な限りシンプルにしたい。食事と睡眠と排泄と少しの読書。それで殆ど一日が終わる。意識的に「何もしない」ようにするのだ。最初の三日間程は時間の使い方に慣れていないから、妙にそわそわとする。仕方がない。一日の内にしなくてはいけない事をリストアップしていく。最も大事な仕事は、水を汲みに行く事だ。大きなポリタンク、満タンに入れれば20リットル入る。それを二つ分。生活に最も必要な物は、水かも知れない。そんな事を考えながら。

徐々に生活に慣れてくるのに従って、私は世界の成り立ちや時間の流れについて考える事が出来るようになって来る。そしてその瞬間の自らの「孤立」という立場に関しても。私が仮に今死んだとしても、それを知る人が果たして現れるのだろうか?少なくとも私の存在は今は無いも同然なのだから。他者の存在が自己の輪郭を明確にさせるのであれば、他者の存在を認識しない今、私の存在は滲んだ絵の具で書かれているかのように曖昧だ。

その刹那、輪郭の明確化。他者が現れる。唐突に、理不尽に男はそこにいた。顔中に生やした髭と、極度の近眼なのだろうか、度の強い事が容易にわかる眼鏡が印象的だ。そして何より目をひいたのは、男には右腕がない事だった。かつて腕があったであろうその空間を私が見つめていると、男は口を開いた。

「死にに来たか?」と

私は何とも答えられない。男の顔をじっと見る。男は一度私から視線を外し、顎先の髭を撫でている。男の癖の一つなのだろうが、その時の私には男が何か大事な事を手で触りながら確認しているように見えた。私が何かを口から発そうとすると、彼は再び視線を私に戻して口を開いた。ゆっくりと。だが良く通る声で。

「残念だが、お前はここで死ぬ事は出来ない。不思議な事だが、よくわかる。俺にはわかってたんだ、お前がここにやって来ていた事も。お前の事はあまり知らないがな。そうだろう?俺たちは初対面だ」

確かにそうだった。私は彼と初対面だったし、どこかで彼を見た事もない。私は彼に尋ねた。

「あんた、右腕がないのは生まれつきか?」

「違う。俺もここに昔やって来たんだ。その時に失った。俺は腕だけで済んだ。お前もここにいるんであれば、色々な物を失う。体の一部分もどこか失なうだろうよ。痛かったぜ。」

こめかみの横が鈍く疼いた。私は眼を閉じる。ここはどういう場所だと言うのだ?そして私は一体どこにやってきたんだ?ここはどこだ?

瞼を開く。目の前に男の姿は無い。唐突に消える。私は彼に聞きたい事はあと幾つかあったのに。

しかしまだ私はここを離れられない。例え腕を一本失う事になるとしても。さあ、水を汲みに行こう。

はい、妄想終わり

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2006年3月 6日 (月)

日本語ブーム

高槻ジャズストリートの出演者の応募が本日から始まっている、と聞いたので、パソコンを触っている。ウェブ上からの応募のみになっているためだ。が、ホームページ上に応募フォームがあるはずなのに、どこを見ても無い。もういいや、明日にしよう、と根負けしてブログを更新する事にした。

さて。昨今、ちょっとした「日本語ブーム」になっている、と私は感じている。テレビ番組でも日本語を題材にしたバラエティ番組やクイズ番組が乱立し、また日本語をネタにした本も多数出版されている。あまりに歪み、最早新しい言語に変わろうとしていた「日本語」に危機感を感じた人達の数は、私が予想していたよりも遥かに多かった、という事なのだろう。

確かに面白い話ではあるのだ。例えば「全然~ない」という呼応の副詞は、必ずしもこの形でなくても良い。夏目漱石が小説の中で「全然可笑しな話だ」みたいな文章を書いていた事を私はうっすらと記憶している。また、「とても」と「すごく」の違いについても触れてみよう。「とても良い」と「すごく良い」では、受ける印象の差こそあれ、文脈の意図はあまり変わらない。が、「すごい顔」という言葉を見た時に想像されるのは、「良い顔」ではない。「すごい」という言葉は否定的な語を強める時に使い、「とても」という言葉は肯定的な語を強める時に使う。これが一般的だ。勿論、それを知っていればこそ、「すごく+肯定語」で、違和感による特殊効果を狙うことも出来る。「すごい綺麗だ」とあれば、極論だが、読み手は「文法の常識を超越するほどに綺麗なのか」という印象を受ける、という事もありえる。日本語はとても奥が深い。

そして私も、今日はふらっと立ち寄った本屋で「読めそうで読めない漢字」という本を買ってしまった。ブームに、♪=240ぐらいの4ビートで軽快に踊らされている。これが、本当に読めそうで読めなかったのだ。正直に言うと、「そんなもん読めるだろ」と高を括っていたが、これが読めない漢字続出であった。

「蕗の薹」。わからん。「ふきのとう」だそうだ。

「額衝く」。わからん。「ぬかずく」だそうだ。

「手薬煉を引く」。??「て・・やく・・??」「てぐすねをひく」だそうだ。

ブームに乗って、少しぐらいは勉強し直そうと決心した。お箸の国の人だもの。

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2006年3月 5日 (日)

夕方の憂鬱

昨晩から本日にかけて、私はいくつかの事を学んだ。それを皆様に伝えたい。

酒を朝の九時か十時ぐらいまで飲んでいたのだが、そのまま一緒に飲んでいた柔道時代の先輩宅で飲み潰れて寝てしまった。起きたのは夕方六時。起きて時計を見た刹那、「うわぁ、ダメな人の生活みてぇ」と思ったが、「みたい」ではなくて、「ダメな人の生活そのもの」だ。起きてからTVをつけた時に「笑っていいとも」がやっていると「おい、もう午後かよ…」と気が滅入るが、起きた時に「ちびまるこちゃん」がやっていると気が滅入るどころか絶望する。窓外に目をやると、既に暗闇の幕が降り始め、にわかに世界は夜の様相を呈し出している。起き抜けの「ちびまるこちゃん」は、精神衛生上極めて良くない、というのが学んだ事の一つだ。

そしてもう一点。酒を飲みながら気がついたのだが、徐々にではあるにせよ私は明らかに肉体的に衰えている。元々酒に強い体ではなかったが、無茶な飲み方を体が本能的に拒否するようになって来ているのだ。無茶な飲み方と書いて奇しくも文字通りと思うに至ったが、焼酎の合間にお茶を飲んでしまう。二杯焼酎のロックを飲んだら一杯お茶を飲む、そんな飲み方だ。格好悪いな、と一瞬思った。ウイスキーを飲みながらチェイサーとしてビールを飲む、そんな飲み方が私の憧れであったからだ。しかし、それを先輩に告白した所、体に合わない飲み方をしてさっさと酔い潰れた方が格好悪いと返された。なるほど、それは納得であった。私は酒豪ではないのだから、私なりの飲み方をしたら良い。お茶を合間々々で飲みながら酒を飲むと、長時間に渡って飲む事が出来る。しばらくはこれでいこう。

最後にもう一つ気付いた事を。全然ここまでの話とは関係ない野球の話であるが、今回の野球版ワールドカップWBCは、日本の報道はかなりイチローに偏っているな、と私は感じた。松井のいない日本代表においては一番のスター選手である事は理解出来るが、あまりにその偏向が顕著になり過ぎると、少々辟易する。イチローという選手自身は私も好きなのだが。

という事で、今日は「春はあけぼの」みたいな感じで書いてみた。この書き方のスタイルは楽だ。ただ、スタイルとしては足を使って間を取るアウトボクシングみたいだから、ベタ足インファイトをしたい時には向かない。そういう時にはまた別のスタイルで。

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ウコンの力

グリニッジハウスでのライブを終えて、山科の先輩宅へ。その先輩が偶然にも京都新聞を購読していた為、前回書いた師匠の記事の載った新聞を譲ってもらいにやって来た。
グリニッジハウスでのライブは、反省点もあるが、それ以上に楽しかったという感想が先に来る。ネ副(nezoe)というバンドは、私の楽しみでやらせていただいている部分も大きいのだ。椿原さん、副島さん、本日もありがとうございます。
先輩宅では、今から酒を飲もうという事になりましたので、今日は簡単ですがこの辺で。飲む前に飲む、という事で先輩と二人でウコンの力を飲んだので、明日はきちんと起きられる気がします。

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2006年3月 4日 (土)

昨日の夕刊

バイトが終わってから出町柳のラッシュライフへ。現実の反復性について前回少々書いたが、この「バイト→ラッシュライフ」という一連の行動も私が度々反復する行動の一つだ。

ラッシュライフは、やはり私にとっては憩いの場だ。かかっている音楽の質は抜群であるし、店主である茶木哲也氏の事も私はとても好きだ。

ほんの少し前までは、ちょっと遅めの時間に市川修師匠が「テツコ(哲也さんの事ね)さ〜ん、今日は何かけてくれはりますか〜」なんて言いながらやって来て、一緒に楽しくコーヒーを飲んでいた。嘘みたいだ。もちろん私よりも先に師匠がやって来ている時もあって、そんな時はラッシュライフのすぐ近くに師匠のエンジ色の車が路上駐車されていたから、店に入る前に師匠の存在を気付く事が出来た。そんな時は普段よりも更に店に入る足取りが軽くなる。私が店に入ると、いつも「来よったな〜」と言ってニカッと笑いながら、私を隣りの席に招き寄せてくれた。とても嬉しかった。正直に白状しよう、私は師匠の傍にいるのが何よりも好きだった。彼に褒めてもらう事が私の至上の喜びだったが(褒めてもらった事は三度ほどしかないが)、近くにいて師匠から怒られるのも、下らない話をしながらゲラゲラ笑うのも、そういった師匠の近くにいる事で起こる事の全てが何物にも代え難い喜びを私にもたらしていた。師匠が死んで早くも一か月が経とうとしているが、未だにラッシュライフに向かう時には店に入る前に近くの路上にエンジ色の車を探してしまう。店内でコーヒーを 飲んでいると、ふと扉の向こうから人並はずれて顔の大きなオッサンがやって来そうな気がする。まだまだ師匠の死を私はリアルな認識として受け入れられていないのだと深く実感する。奇妙な感覚、という言葉が一番しっくり来る。悲しい、というよりは奇妙な、と言った方が遥かにしっくり来る。奇妙だ、全く以て奇妙だ。

今日はラッシュライフに行くと店主の哲也氏が「お前、もうこれ見たけ?」と言って三月二日(木)の京都新聞の夕刊を見せてくれた。私はそれをまだ見てはいなかった。そこには師匠の追悼文が載っていた。そこに書かれていたのは「見事な」文章であった。我が師匠に関する文章だから採点は多少なりとも甘くなっているのかも知れないが、それを考慮に入れたとしても充分に見事な文章であった。新聞の誌面という都合上、スペースにも限りがある。だが、その限られたスペースの中で練りに練りながら、そして感情の発露とも取れる表現を織り交ぜながら、安っぽいセンチメンタルに堕す事のない上質な文章は展開されていく。その記事を書いている書き手の表情が思い浮かぶような文である。この文章を読んでいる方の中で京都新聞を購読されている方がいれば、是非一読をお勧めしたい。仮に市川修という人間を知らなかったとしても、その文章の温度ぐらいは伝わると思う。

さて、私の話に戻ろう。このブログは仮に「私が私自身の話だけをした」としても許される、極めて稀有なスペースだからだ。明日、正確には日付が変わって今日であるが、三月四日(土)は四条河原町グリニッジハウスにて、“ネ副(NEZOE)”というピアノ・トリオのライブである。久々である。三か月ぶりぐらいであろうか、少なくとも今年に入っては初めてである。メンバーは、椿原栄弘氏onBass、副島正一郎氏onDrums、ピアノは私、福島剛である。サックスの黒田雅之氏とのデュオと並行して私がやらせて頂いているピアノ・トリオであるが、黒田氏とのデュオとはまた違う方向から(けれどもやはり真っ正面から)ジャズと向かい合うトリオであり、私も楽しみにしているライブである。いくつか明日のライブに向けて考えている事もある。基本は「シンプルに、シンプルに」というのは変わらないのだが。

食事で言えば、「ご飯と味噌汁」というぐらいにスタンダードなフォーマットであるピアノ・トリオという形式を利用して、当たり前の事を当たり前にする事。それを目指して明日も頑張ります。師匠、見守っていて下さいね。

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2006年3月 3日 (金)

現実の反復性

ここ数日間、私の生活は極めて単調だ。単調だ、と書くと、何やらその生活に私自身が飽き飽きしているかのような印象を与えるかも知れないが、あながちそうでもない。良い意味で単調だと思っていて、それなりに満足している。

起きたらすぐにピアノに向かう。自分で決めた指のエクササイズをこなしていると、次第に目が覚めて来る。そこからは集中力の持続する限り、練習を続ける。集中出来なくなって来たら他の事をする。本を読んだり、コーヒーを飲んだり、ブログを書いたり。そう、こうしてブログを書いている今(大体17:30前後だ)は、まさしく集中力の切れた時間なのだ。

夕方からはバイトだ。六時には全てを切り上げてバイトに行く準備をする。六時半に家を出る。バイトが終わって十二時前に家に帰って来る。遅めの夕飯を食べながら少しTVを見て、少しお酒を飲んでから寝る。そしてこれを繰り返す。よく私がブログ内でもネタにするサミュエル・ベケットの「ゴドーを待ちながら」は、第一幕と第二幕とに別れているが、大雑把に言えば第二幕は第一幕の反復だ。シンメトリーみたいになっていて、「二日間」は「一日の繰り返し」と言わんばかりだ。現実には確固たる反復性が潜んでいるのかも知れない。私の日常も、反復していく。

嘗て、まだ私が少年だった頃、私は日々は輝かしく「異なる」と思っていたし、また眼前に延びる「日常」も、新しい発見と変化に彩られた物になるだろう、と漠然と思っていた。変化、進歩、前進。イメージはそういう一連の言葉で説明はついた。

もちろんそれは全て間違っている訳ではなかった。ただし足りなかった。日常のイメージを説明する言葉のリストから、停滞、後退、反復といった言葉が抜け落ちていた。それらを付け加える事で、イメージはよりリアルに近付いて来る。私は変化する時もあれば停滞する事もある。前進する時もあれば後退する事もある。全ては反復していく。

私の昨日と今日との違いで一番大きなものは、昨日はコーヒーをブラックで飲んだが、今日はミルクと砂糖を入れて飲んだ、という事だ。大いなる変化。偉大な反復。無意味な焦燥。刻まれる時。

バイトに行く前の妄想でした。それでは行ってまいりやす。

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コーヒーについて

コーヒーが好きだ。数百年前のヨーロッパでは、ドラッグの一種として扱われ、飲むだけで死刑にすらなったというコーヒーだ。確かにカフェインは中毒性もあるけれど、本当に所変われば(或いは時代変われば)品変わる、みたいなものだ。今やヨーロッパ中がカフェで溢れ返っているそうではないか。みな死刑か?いやいや、法律とは結構いい加減な物なのだろう、きっと。

小さい頃から、コーヒー好きだった親父が家でよくコーヒーを飲んでいた。幼い私は「何であんな苦いモン飲むんだ」と思っていた。それが、少しずつ美味しさがわかってきて、という凡庸な経緯を辿って、今のコーヒー好きな私に至る。勿論お酒もすごく好きなのだけれど、お酒を一旦飲み始めてしまうと、それが何時であれ、そこで一日が終わる。あとは酔い潰れて寝るまで一直線だから。コーヒーならば、一日はそこで終わりになったりは決してしない。本を読みながら、音楽を聞きながら、パチンコ屋で咥えタバコでイライラしながら。あらゆるシーンにコーヒーはするっと入り込んでくる。確固たる存在感と、かといってその風景風景を邪魔はしない慎ましさを併せ持って。憎いやつだ。

家でコーヒーを飲むのも好きだが、喫茶店に行くのも好きだ。大体はラッシュライフ(サイドのリンク集参照)に行く。出町柳にあるジャズ喫茶だ。コーヒーがとても美味い。一杯400円。私の幸せは400円で買える。器の小ささを物語っているのかも知れないが、それならそれで結構だ。コーヒーを飲んで、タバコを吸って、レコードを聴いて。この瞬間がずっと続けば良いのにな、とすら思う時もある。ちょっと大袈裟かな。

タバコの話が少し出たが、思い出した。禁煙したい。タバコをやめたい。ずっと思っているが、ずっと実行出来ていない。私が普段吸っているタバコは、ロング・ピースというキツイ目のタバコだが、それを軽いタバコに変えるつもりはない。もし変えるんならいっその事やめてしまいたい。タバコやめたい、タバコやめたい、タバコやめたい。

そんな事を考えていたら、コーヒーを飲みながらタバコが吸いたくなってきた。ああ、不条理。

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2006年3月 2日 (木)

かぜのひきかた

(内容はどうあれ)毎日更新した!という月がいつか来るのかな、と希望的観測のもとに思うのだが、なかなか難しい。今月も初日からサボった。知るもんか。

さてさて、普段私のブログを読んでくれている人は既にうんざりするほど気付いて頂いていると思うが、私は文学オタクだ。ええ、そりゃもう間違いございやせん。無論、それ(文学)を生業にしてる人達のように「精通」はしていない。が、「好き」であるし、何より蘊蓄を垂れるのが好きである。「専門家」ではない、「オタク」の証拠だ。カフカの不条理とカミュの不条理の違いって言うのは…よく飲み屋で酔っ払って言っている。たまに私ではない第三者がそうしているのを見ると「死んだらいいのに」と思うが、自分の事ではなかなかそう思わない。他人に厳しく己に甘いのが私だ。

さて、その文学の話、今日は「詩」である。私は高校生の時、進路希望の調査書に「詩人になりたい。さもなくば何にもなりたくない」と、ヘッセの言葉を引用して書いた事がある(死ねばいいのに)。私にとって詩人は憧れの職業だ。憧れの職業、というよりは憧れの生き方と言った方がいいのだろうか。まあとにかく憧れだ。私の好きな詩人を、以下列挙したい。興味ない人はいつものように飛ばし読みで夜露死苦。

ボードレール、ランボー、コクトー、宮澤賢治、中原中也、谷川俊太郎、辻征夫

偉そうな事を言った割には、まあミーハーな趣味だ。最後の一人、辻征夫氏を除いては。或いは読者の方々の中には知っている人もいるかも知れない。現代詩を代表する詩人である。日常のやりきれないようなシーンを柔らかい言葉で切り取る、稀有な詩人である。故人であるのが唯一悔やまれるが。

詩人という職業は、びっくりするぐらいに儲らないらしい。我々の想像を凌ぐそうだが、よくは知らない。辻征夫氏も御多分に漏れず詩だけでは家族を養っていけなかったようで(彼の名誉の為に断っておくが、今現在詩のみできちんとメシを食べているのは日本では谷川俊太郎氏のみだ)副業を持っていた。その副業の同僚だったのが、これまた奇妙な事に私の父であったのだ。つまり、私の父の同僚に辻征夫氏がいた、という事だ。その縁で、我が家の辻氏の詩集は全てサイン入りだ(エッヘン)。

その辻征夫氏の詩を、矢野顯子が曲をつけて歌っている。「かぜのひきかた」という詩だ。この曲が収録されたアルバムが、無駄に共演者がすごい。ギターをパット・メセニーが弾いていたり、ベースをチャーリー・ヘイデンやアンソニー・ジャクソンが弾いていたりする。まさしく使い捨てジャズミュージシャンだ。いやいや、毒を吐くのはやめよう。だが、先に断っておくと、私にはパット・メセニーの素晴らしさはわからない。どこが良いんだ、あんなヤツ。「かぜのひきかた」だけに限って言えば、決して悪くはない。ただ、原文に対して私が抱いていたイメージは、矢野顯子がイメージしたそれとはいささか異なった。悪いとは思わないが、「音楽版かぜのひきかた」は、もう少し可能性があるのかな、とも思う。辻征夫は紛れも無く超一流の詩人である。そして矢野顯子もまた然りだ。だからこそ、私の採点は厳しくなる。興味の無いものに対しては、採点は激アマだ。「モーニング娘?百点!文句ナシ!」ってなものだ。

本当は「かぜのひきかた」の詩を全部紹介したかったのだが、面倒臭くなったのでこの辺で。

りっぱに きちんと かぜをひいたのである

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