What a wonderful world
緑の木々を見ている
赤い薔薇を見ている
それはまるでぼくと君たちのために
青く輝いているみたいだ
ぼくは心の中で思う
この素晴らしき世界、って
空は青く澄みわたり
雲は白く輝く
輝かしき祝福の日よ
暗く神聖な夜よ
ぼくは心の中で思う
この素晴らしき世界、って
虹の光は空の彼方で輝き
行き交う人々の顔の中でより一層輝きを増す
友が手に手を取るのが見える
そっちはどうだい、なんて言いながら
心の底から言っている
「愛してるよ」って
赤子の泣き声が聞こえる
君たちもまた育っていくんだね
ぼくたちが知っている世界だけじゃ
君たちには狭すぎるかもしれない
ぼくは心の中で思う
この素晴らしき世界、って
うん、ぼくは心の中で思うんだ
なんて素晴らしい世界なんだろう、って
<
自分でブログを始めてからというもの、他人のブログなんかもたまに見るようになった。面白いのもあれば下らないのもある。そして面白いのだけれど見ていて「アイタタタタ…」って苦笑を禁じえない「イタい」ブログというのもある。色んな人が書いているもんだ。
そんな中で私が特に「イタいなあ」と感じるのは、詩を掲載しているブログだ。誤解を招かないように先に言っておくが、決して馬鹿にしている訳ではない。半分は同類相憐れむみたいな感じ、そして半分は俺にはここまで思い切れねえな、という憧憬の念みたいなものだ。そして私もそのイタい人達の仲間入りを果たそう、と詩を掲載した次第だ。
とは言え、ピンと来た人も多いかも知れないが、これは他人の詩だ。他人の褌で相撲を取るのは少々困ったものだが、元々が英詩なので、私なりに翻訳した。翻訳という作業が私はとても好きなのだ。ジャズのスタンダードを演奏するのにも少し似ている。ある一定のフォーマットを、崩すか崩さないかぎりぎりの所で遊んで、結果壊れなかったら、めでたしめでたし、みたいな感じ。これも、知っている人は原文と見比べてくれれば良いが、私なりに「遊びながら訳した箇所」というのが幾つかある。逐語訳したところも当然あるが。
原典はもちろん‘サッチモ’ことLouis Armstrongの歌っていた「What a wonderful world」。私の一番好きなスタンダード・ナンバーかも知れない。歌詞が上記の通りなので、深刻さがなくて嫌い、という人もいるかも知れないが、そんな人に反論。深刻ぶって眉間に皺寄せている人より、バカみたいに朗らかに笑っている人の方が悲しい、そんな場合だって私はあると思う。サッチモが白人聴衆に歯を見せて笑ってたからダメだって?きっと演奏が楽しくて仕方が無かったんだ。楽しけりゃ笑えばいいじゃないか。その代わりサッチモは悲しい時だってこうやって笑うんだぜ。何て素晴らしい世界なんだろう、って。男だね、ルイ。
昔、師匠から言われた事。「何でブルースがアホみたいな音楽だかわかるか?あいつら(黒人たちの事ね)、アホみたいな音楽やって全部冗談にしてしまわな、やり切れなかったんちゃうかな。アホみたいなんが一番よろしいですやん。」
だって。
師匠と知り合って一年も経ってなかった頃だったと思う。理由はないけど、その時私の目の前にいたオッサン(勿論市川修氏だ)はタダモノではない、そう強く思った。何かの折に「師匠、やっぱタダモノじゃないですね」って私が言ったら「はいっ、ケダモノです!いやいや、ちゃうか。バカモノです!」とか何とか言っておどけていた。
深刻なふりをするのは簡単だ。自分が悲劇の主人公にでもなったような気持ちになって、目を閉じたり遠くを見つめたりしていればいいのだ。誰にだって出来る。ただ、そういうのを全部胸の中にぐっとこらえて、満面の笑みでにっこり。これが難しいんだよな。私もそういう事のきちんと出来る大人になりたいと、心のどこかではやっぱりそう思っている。でもね、やっぱり難しいですね。また溜め息が漏れます…さ、お酒飲も。
| 固定リンク
「音楽」カテゴリの記事
- 市川修 in New York(2017.10.31)
- ピアノ教室ブログ更新(2017.09.29)
- Abdullah Ibrahim 2015年の来日のこと(2015.10.27)
- 短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第四回:2013年にAbdullah Ibrahimを観に韓国まで行った時のこと」(2015.10.07)
- 短期集中連載「Abdullah Ibrahimの魅力に迫る~第三回:Abdullah Ibrahimのルーツを辿る」(2015.10.06)
コメント