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2006年2月

2006年2月28日 (火)

ピアノとレコードとオリンピックとサッカーと部屋とYシャツと私

本日はオフ。朝早起きしてずっとピアノの練習をしていた。

何回か前に書いたが、我が家に新しいレコードプレイヤーがやって来た。以前使っていた物は、大分ガタが来ていて、レコードをきちんと再生しなくなっていた。回転速度が少し遅くなっていたため、半音の半音くらい音程がずれるのだ。レコードをMDに録音して、それをコピー、つまり譜面に直す、という作業をよくするのだが、この微妙な音程のズレのために、最近それが捗らなかった。ここはラなのかラ♭なのかどっちなんだ!ととてもイライラしながらやっていた。気に入った曲に出会って自分でも演奏してみたいと思ったら、心構え云々は別にすれば、作業としては上に挙げた採譜という作業が最初に来る。その作業が出来ない事は、かなり苦痛であった。根気の弱めな私は、「ああ、もういいや」となって休憩がてら「京都の美味しいラーメン屋100軒」などをパラパラとめくってしまう。精神衛生上も非常によろしくなかった。

が、それが新しいレコード・プレイヤーのお陰で解決された。溜まっていた鬱憤を晴らすかのように、この2・3日は大量に譜面を書いた。エロール・ガーナーの「Dreamy」、ファッツ・ウォーラーの「Honeysuckle Rose」、「It's a sin to tell a lie」、「Ain't Misbehavin'」etc.etc.そして譜面が出来上がったら今度はそれを何回も練習したり、自分なりに解釈したり、様々なアイディアを考えたり、という作業が待っている。今日はその後半部分、練習や解釈の所に時間を費やす事が出来た。この練習は掛け値なしに楽しい。階段を一歩一歩昇るような感じにも似ていて。

さらに言うと、私は「ピアノの練習」そのものがとても好きだ。ピアノの前にいる時の時間の流れはとても速い。気付いたら一日が終わってしまう。そんな感じだ。よく言う「ピアノを見たくもない」ような状態には、私はまだ一度もなった事がない。そういった心境まで「辿り着いていない」だけの話かも知れないが、少なくとも私はピアノを触っている時間が「常に」とても好きだ。しんどい時間も当然あるが、「勝つ事の決まっているギャンブル」が何ら楽しくないのと一緒だ。ギャンブルは負けるから楽しい。ピアノもしんどい時間があるから楽しい。下手くそなんだもん、最初っから上手に出来っこねえや、と開き直ってもいる。ゆっくりやるしかないのです。階段は決して二段飛ばしで進んではいけません。

という事で、今日は珍しく音楽の事を書きました。

最後に、ちょこちょこ書いていたオリンピックの観戦記の最終編も。荒川静香さん、凄かったですね、おめでとうございます。正直に白状しますと、あまりにも日本人選手が活躍しない(単純にメダルの話で)ので、途中から私自身の観戦に際するテンションがぐりぐりと下がっておりました。最初の内だけギャアギャア騒いでいた下世話なマスコミと同レベルでございます。ええ、すんません、あまり反省しておりませんが。次はWBC(野球のワールドカップみたいなやつですね)とサッカーワールドカップですね。サッカーは勿論日本代表にも頑張って欲しいのですが、個人的には初出場のウクライナを応援します。アンドリー・シェフチェンコの雄姿がやっとワールドカップで見れる。予選から応援していたアイルランドは、惜しくも予選敗退したので、その部分ではまたもテンションダウンです。

今日は久しぶりにパソコンのキーボード使って書いたのですが、何か勝手が違いますね。だらだらと書いてしまうなあ。

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2006年2月27日 (月)

戦後

TVのドキュメント番組で、社会党の土井たか子女史の特集がやっていた。冒頭から断っておくが、私は彼女の支持者ではない。

だが、それにも関わらず、私の心を強く打った描写が一つあった。彼女の若い頃、戦時中の写真をバックにナレーターが語ったシーンである。「戦争に対して疑いを持たない軍国少女であった」と。

評論家の吉本隆明氏が、やはり同様の事を語っていたのを読んだ時にもそう思ったのだが、「よくそんな事を正直に告白出来るな」と思った。軍国少年(少女)であった、そう告白する事は、下手をすれば自らの主張に矛盾を生じさせかねない。親鸞が弟子の唯円に対し「私は実はさほど浄土に興味がない」などと言ってしまったのにも似ている。親鸞や、或いは宗教改革家マルティン・ルターのように、他人の欺瞞を暴くばかりでなく、自らの欺瞞すらを暴く行為は、私が考える以上に容易ではない。

私がもしも戦時下に生きていたら、と考えると、きっと真っ直ぐ右に進んだ軍国少年だったろうと思う。大声で「天皇陛下万歳!」、言っていただろう。しかし今私がそう言う事が出来るのは、まさしく私が「戦争を経験していない証拠」に他ならない。真に戦争を経験していたら、私のようにたやすくそんな告白は出来ないだろう、そう推測する。戦争に負けるという事は、人間を屈折させるのだ。南北戦争に負けた南部の人間達の屈折を描いたウィリアム・フォークナーの作品群もまた同様の事を思わせる。正義もない、実もない。奴隷制度は正義の名の下に廃止され、南部諸州は価値観の根底からの転覆を余儀なくされた。日本の敗戦に似ている、と私は感じるのだ。

TVの中での土井たか子女史の発言の中に、一つ私の心を打つ物があった。以下のようである。

戦争が終わって、民主主義が当たり前の物として日本に根付いていった。その中で何を信条とすべきか、何を信じるべきか、それまで全て「与えられていた」私は、自らの頭で考えざるをえなくなった。それこそが私にとっての「戦後」の始まりである。

なるほど、ううむ。考えさせられる。その後の、「社会には弱い立場の人というのがいて…」というコテコテの社会主義演説は、いささか眉唾物かとも思い苦笑いをしながら見たが、はからずも‘おたかさん’により、久々に「戦後」という物を考えさせられた。良き時間であった。

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2006年2月26日 (日)

新しいレコードプレイヤー

新しいレコードプレイヤー

MICRO社のDD-5と言うそうです。ジャズ喫茶ラッシュライフのマスターが口を利いてくれて、丁度売りに出そうと考えていた人から買いました。早くもとても気に入っています。

新しいレコードプレイヤーさん、ようこそ。仲良くやっていきましょう。よろしくね。

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訪れた飲み屋の便所に「小泉はどろぼう」という落書きがあった。基本的に「便所の落書き」こそが至上の文学だと信じている(少し誇張かな)私は、いささか嬉しくなってしまった。左翼万歳、粗末な器官から不潔な液体を垂れ流しながらそう思った。

さてさて、私が最も嫌いな議論の一つは「左か右か?」である。どっちでもいいじゃねえか、とまでは思わないが、かなりどうでもいい。誰かからそのような質問を受けた際には「ああ、もうド左です、はい。天皇ファック」とか言ってしまう。私は明日刺されるんじゃないだろうか。

非常に言い訳じみてしまうが、私は天皇を憎んでいる訳でもなければ日本という国を憎んでいる訳でもない。憎んでいるのはそういった議論を投げ掛ける連中だ。必要以上にケンカを売りたくなる。I am the left. So what!?

実際に私が左翼かと言えば、決してそうではない。大嫌いな議論が面倒だから左翼のフリをしているだけだ。私は日本が一番好きだ。しかし日本が一番嫌いだ。That's all. What'd I say!?

思想なんて実は薄っぺらいんだぜ、私はつくづくそう思う。嫌いなんだ、思想を語り合う若者が。何故なら私自身がその世界の出身だから。思想を語る奴は皆、死ね。俺も、死ね。

最後まで読んでくれた人は、毎度ありがとうございます、本日も酔っております。

タイトルにした「赤」は、飲み屋で頼むと、焼酎とワイン(安物)の混ぜ物をソーダで割った一品が出て来ます。色が赤いから「赤」と言うのでしょうか、それとも労働者の飲み物だから「赤」と言うのでしょうか。

知りません。

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2006年2月25日 (土)

超大ジョッキ

超大ジョッキ

1.2リットルだそうです

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2006年2月22日 (水)

エロール・ガーナー

エロール・ガーナー

オッサン、動物みたいな顔しております。

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レコードを買った

今日はe's styleというレストランでライブ。このレストランでやる時は、バラードをたくさんやる、という事に勝手に決めているので、普段やらないようなバラードもやってみた。These Foolish ThingsとかMy Foolish Heartとか。今ふと気付いたが、foolish繋がりだ。私は阿呆か。 思いの他、慣れない曲も楽しかった。変な力みもなく、奇を衒うでもなく、シンプルに、シンプルに、ただそれだけを考えて。

さて、シンプルの帝王と言えば、私にとってはピアニスト・エロール・ガーナーである。今日はライブの現場に行く前にレコード屋に行ってレコードを六枚買った。ガーナーも二枚買った。他にはランディ・ウェストン、ザ・スリー・サウンズ、モンティ・アレキサンダー、といった所だ。今日は期せずしてピアニストの作品ばかり買ってしまった。ランディ・ウェストンとエロール・ガーナーのレコードは、ずっと探していた一枚(四枚?)がやっと巡り逢えたので、軽く興奮しながら、鼻息を荒げながら買った。

そして今、家に帰って来てお酒を飲みながら買って来たレコードを楽しんでいる。ガーナーの「セレナード・トゥ・ローラ」は中古の割にはとても盤面が綺麗だ。傷もほとんど見当たらない。肝心の中身は……これはもう「素晴らしい」の一言に尽きる。左手のシンプルかつ強靭なビート、恰もグラスの中で軽く弾ける無数の水泡の如き右手の美しいフレーズ。共演のベーシスト、ジョン・シモンズも最高だ。あまりに嬉しいので、この文章の直後にそのジャケットも紹介しよう。

昨年の11月だっただろうか、上賀茂神社のコンサートで、市川修師匠が「哲ちゃん(コンサートの主催者、ラッシュ・ライフのマスター、茶木さんの事だ)の好きな曲やります」と言って、ガーナーの「Dreamy」という曲を弾いていたのを昨日の事のように思い出す。それもまた、筆舌に尽くし難い程の素晴らしい演奏だった。

師匠、僕もガーナーが大好きになって来ました。

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2006年2月21日 (火)

ざわ…ざわ…ざわ…

麻雀漫画「アカギ」が好きだ。とても面白い。作者の福本伸行氏は、それ以外にもたくさんの佳作を描いている。「銀と金」、「賭博黙示録カイジ」、「最強伝説黒沢」などなど。最近、月曜深夜にこの「アカギ」のアニメをやっていて、それを見ている。なので、以下、「アカギ」っぽく記す。知ってる人だけ楽しんでほしい。サービス心ゼロで書きます。

ざわ…ざわ…ざわ…午前二時っ…! 本来ならば、こんな時間にアニメなぞのんびり見ている場合ではないっ…!やるべき事はその間にも積もっていくっ…!うじうじと、貧窮した人生を未だ歩むつもりか…!大人は質問に答えたりしない…!それが基本ではなかったか…!

ざわ…ざわ…ざわ…

刹那、渾身のブラフを打つ…!捨て身の闘牌、身を削るからこそ実を得る…!

否、それこそ虚飾…!感動など、ないっ…!

欲するは、俺の、俺による、俺の為の感動っ…!

何を書いてるか訳がわからなくなったのでこの辺にしときます。最近のオススメの福本作品は、「最強伝説黒沢」。

人望が、ほしいっ…!!

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2006年2月19日 (日)

最低の休日

少し更新をサボってしまった。最初の時点では毎日なんて書くもんか、と決めてはいたが、何となくバツが悪く感じるのは、少しずつ書く事が習慣化しているのであろうか。それはそれで良い事なのかも知れないが、書く事が苦痛に感じたら私にとってはダメだ。このペースで良いのだ。「所詮ブログじゃないか」という気持ちでこのまま続けます。

さて今日は久しぶりにやってしまった「最低の休日」である。私にとってその最たる物は、夕方ぐらいまで寝て過ごして起き抜けに罪悪感に苛まれたまま酒を飲む(そして酔い潰れて再び寝る)、というのがそうなのだが、今日はそれに次ぐ。今日は丁度正午十二時に起きて、二時間ほどピアノの練習をしてから、昼飯を食べに外に出た。外に出たのがいけなかった。ついつい誘われるように久しぶりのパチンコ屋に入ってしまったのだ。負けこそしなから良かったものの、大きく勝った訳では決してない。何より「時間」をフルスイングでドブに捨てたのが悔やまれる。少年老い易く学成り難し、だ。一寸の光陰を軽んじてはいけない。

当たり前の事を再確認するのは、私が当たり前の事すら出来ていない証拠だ。深く反省する。きっと同じ事をまたどこかで繰り返す、と心のどこかで思いながら。

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2006年2月15日 (水)

雑記

昨日のモジョウエストは、お客さんがなかなか来なかった。もちろんそういう日もあるので、すわボウズか!?とも心配したが、何とか後半にお客さんが見えて、きちんとライブが出来た。

終わってから、日銭の一部を持ってプラグドニッケル(お店について、詳しくはサイドのリンクを参照頂きたい)へ。レイ・チャールズがアルトサックスを吹いているという、世にも珍しいレコードを持って行った。マスターの森田氏はアルトサックス・プレイヤーなので、そのレコードを是非聴いて頂きたいと思ったのだ。店内でしばし森田氏とジャズ談義。遅くに訪れて申し訳なかったが。

その後は、山科に住む先輩の家に朝方お邪魔させて頂く予定であったが、家で力尽きてしまった。Sさん、すいません。

今日の晩から友人の田中ツネキ君が、はるばる北海道からやって来てくれる。共にたくさんお酒を飲もうと思うが、私自身のいささかの睡眠不足が心配だ。「くたばりません、酔うまでは」を目標に頑張りたい。

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2006年2月14日 (火)

ライブの下拵え

今から北山モジョウエストでライブ、家を出る前にブログを簡単に更新しようと思い立った。今日は日中比較的ゆっくりと時間が取れたので、自分で昼ご飯を作った後(と言っても納豆ご飯と味噌汁だ)、じっくり今日のステージについてピアノの前で策を練った。

私にはまるっきり関係のない事だが、今日はバレンタイン・デーだと、ふと思い出した。そうだ、マイ・ファニー・バレンタインというジャズのスタンダードをやろうと思っていたんだ、と思い出す。アレンジはどうしよう。ピアノを弾きながら色々試す。やはりバラードかな。コード進行も、幾つかのパターンを考えてメモを取る。それ以外の曲も考える。たっぷり三時間ほどを使って今日の概ねの演目を決めた。

さ、出陣。その前に、一杯だけ味噌汁の残りを暖めて飲んでいこう。豆腐と油揚げとワカメの味噌汁。我ながらおいしく出来た。今日もきちんとライブが出来ますように。

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トリノオリンピック裏観戦記①

焼酎を飲みながら、家で一人でオリンピックを見ているのだが、競技の合間合間にここまでのダイジェストが放送される。女子モーグルもよく放送されるのだが、それを見ながら、よく見たら上村愛子って結構かわいいなと思った。そしてそれと同時に私の心に去来した叫びは以下のものである。

伊藤みどりに謝れ!

谷亮子に謝れ!

そして谷佳知にも謝れ!

すいません、酔っております。

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トリノオリンピック観戦記③

夏のオリンピックの一番の花形競技と言えば何であろうか?私個人としては、一番見ていて面白いのは柔道だ。自分が長い事やっていたというのもあるし、知っている選手も多い。何より、競技の仕組み自体を、他人に比べれば多少は知っているというのが大きい。単に「投げた!」と見るのではなく、「その前の絶妙な崩しがあったから良かったな」とか「試合の前半で足技を相手に意識させ続けたのが後半で効いてきたな」とか、少しぐらいは玄人的な見方が出来る、というのが楽しいのだ。年季の入ったサッカーファンが、フィニッシュのシュートだけでなくそこに至るスペースの作り方やパスの出し方を楽しく見れるのと似ている。とても楽しいのだ。

だが、もっと客観的に、かつ普遍的に判断しようと努めたならば、柔道は、夏のオリンピックにおいては決して一番の花形競技ではない。一番の花形競技、それは陸上、それも短距離走だと私は思う。様々な種目が「スポーツ」の様相を呈すのに対し、短距離走は極めて原始的だ。近代オリンピックの中に、古代ギリシャのオリンピア祭の芳香を還元する。問い掛けは驚くほどシンプルだ。

「世界一速いのは、誰だ」

この挑発染みた問い掛けに応えるように、世界中から駆け足自慢の人間が集い、そして世界中の人間の目がそこに注がれる。人間の根源的欲求、誰よりも速く走りたいという憧れを体現するのが、短距離走の王者だ。

冬のオリンピックにおいて、それに代わるのはスピードスケートだ。スキーは違うと思う。理由は後日書く。氷上とはいえ、「誰が一番速いのか」という問いに応えるのがスピードスケートだ。つまり、私の考えでは、冬季オリンピックの「顔」とも言えるのがスピードスケートなのだ。

長い前置きになったがついに始まったのだ、トリノオリンピックのスピードスケートが。今回は、現世界記録保持者の加藤丈治の滑りにも注目したいが、私が一番注目しているのは元世界チャンピオンの清水宏保の「負けっぷり」だ。彼はきっと負ける。そして多分、彼も心のどこかでそれをわかっている。それがわかりながら挑戦しようとする元チャンピオンの負け様、刮目して見ようではないか。勝者がいれば敗者がいる。昼があれば夜がある。光があれば闇がある。かつて誰もが背中を拝むしかなかった清水が、どんな気持ちで敗北の舞台に上がるのか、はっきり言って金メダルの行方の何倍も興味があるのだ。さあ、今から二巡目である。書いてる内に一巡目が終わった。固唾を飲む事にする。もちろんお酒も飲むが。

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2006年2月13日 (月)

トリノオリンピック観戦記②

何度も言うが、冬のオリンピックについては私は完全に門外漢だ。こんな機会でもなければ、スキーもスケートもきちんと見る事は決してない。私のような人は案外多いのではないだろうか。普段は見ないが、この時期だけついつい一生懸命見てしまう人というのは。にわかスキーファンや、にわかスケートファンが大量増殖する訳だ。もちろん私もそんなにわかファンの一員だ。

さて、そんなにわかファンでも間違いなく顔と名前が一致する、日本選手団随一の有名人がいる。原田雅彦、ジャンプスキーの大ベテランだ。実はこの彼が、彼自身四回目になるという今回のオリンピックでとんでもない事をやらかした。

多分、それなりに苦労人なんだろうと思う。苦労人は、えてして他人に厳しくなるタイプか他人に優しくなるタイプかに二分されるが、彼はどうやら後者のようだ、あくまで推測の域を出ないが。そしてそれは、時として「甘さ」のように現れる事もある。ブラウン管越しに伝わって来る、そんな彼の「憎めない不完全さ」が彼の人気の所以ではないだろうか。

しかし、昨日の彼の失敗は笑い事ではなかった。規定体重にわずか200グラム満たなかった為に、予選競技終了後、失格になってしまったのだ。原田本人は初歩的なミス、と唇をかみしめていたが、そこまで簡単に割り切れる問題ではないだろう。周囲の期待もあっただろう、ベテランゆえのプライドもあっただろう、何より四年間の間にじっくり培って来た勝負への執着心があっただろう。それをわずか200グラム、体重が足りなかっただけで全て棒に振っているのだ。悔しかったろうな、とも思う。

だが、やはり原田雅彦の何より驚嘆すべきはそのキャラクターだ。この一世一代の大失敗にも関わらず、テレビの中の彼を見ていると「しょうがねえな、このオッサンは」という、何ともほのぼのとした気持ちにさせられてしまう。原田雅彦、恐るべし。

よくは知らないが、多分原田も今回のオリンピックではまだ出番があるのだろう、それに強く期待する。もう笑いを取りにいかなくていいぞ、なんて思いながら。

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2006年2月12日 (日)

What a wonderful world

緑の木々を見ている

赤い薔薇を見ている

それはまるでぼくと君たちのために

青く輝いているみたいだ

ぼくは心の中で思う

この素晴らしき世界、って

空は青く澄みわたり

雲は白く輝く

輝かしき祝福の日よ

暗く神聖な夜よ

ぼくは心の中で思う

この素晴らしき世界、って

虹の光は空の彼方で輝き

行き交う人々の顔の中でより一層輝きを増す

友が手に手を取るのが見える

そっちはどうだい、なんて言いながら

心の底から言っている

「愛してるよ」って

赤子の泣き声が聞こえる

君たちもまた育っていくんだね

ぼくたちが知っている世界だけじゃ

君たちには狭すぎるかもしれない

ぼくは心の中で思う

この素晴らしき世界、って

うん、ぼくは心の中で思うんだ

なんて素晴らしい世界なんだろう、って


<

自分でブログを始めてからというもの、他人のブログなんかもたまに見るようになった。面白いのもあれば下らないのもある。そして面白いのだけれど見ていて「アイタタタタ…」って苦笑を禁じえない「イタい」ブログというのもある。色んな人が書いているもんだ。

そんな中で私が特に「イタいなあ」と感じるのは、詩を掲載しているブログだ。誤解を招かないように先に言っておくが、決して馬鹿にしている訳ではない。半分は同類相憐れむみたいな感じ、そして半分は俺にはここまで思い切れねえな、という憧憬の念みたいなものだ。そして私もそのイタい人達の仲間入りを果たそう、と詩を掲載した次第だ。

とは言え、ピンと来た人も多いかも知れないが、これは他人の詩だ。他人の褌で相撲を取るのは少々困ったものだが、元々が英詩なので、私なりに翻訳した。翻訳という作業が私はとても好きなのだ。ジャズのスタンダードを演奏するのにも少し似ている。ある一定のフォーマットを、崩すか崩さないかぎりぎりの所で遊んで、結果壊れなかったら、めでたしめでたし、みたいな感じ。これも、知っている人は原文と見比べてくれれば良いが、私なりに「遊びながら訳した箇所」というのが幾つかある。逐語訳したところも当然あるが。

原典はもちろん‘サッチモ’ことLouis Armstrongの歌っていた「What a wonderful world」。私の一番好きなスタンダード・ナンバーかも知れない。歌詞が上記の通りなので、深刻さがなくて嫌い、という人もいるかも知れないが、そんな人に反論。深刻ぶって眉間に皺寄せている人より、バカみたいに朗らかに笑っている人の方が悲しい、そんな場合だって私はあると思う。サッチモが白人聴衆に歯を見せて笑ってたからダメだって?きっと演奏が楽しくて仕方が無かったんだ。楽しけりゃ笑えばいいじゃないか。その代わりサッチモは悲しい時だってこうやって笑うんだぜ。何て素晴らしい世界なんだろう、って。男だね、ルイ。

昔、師匠から言われた事。「何でブルースがアホみたいな音楽だかわかるか?あいつら(黒人たちの事ね)、アホみたいな音楽やって全部冗談にしてしまわな、やり切れなかったんちゃうかな。アホみたいなんが一番よろしいですやん。」

だって。

師匠と知り合って一年も経ってなかった頃だったと思う。理由はないけど、その時私の目の前にいたオッサン(勿論市川修氏だ)はタダモノではない、そう強く思った。何かの折に「師匠、やっぱタダモノじゃないですね」って私が言ったら「はいっ、ケダモノです!いやいや、ちゃうか。バカモノです!」とか何とか言っておどけていた。

深刻なふりをするのは簡単だ。自分が悲劇の主人公にでもなったような気持ちになって、目を閉じたり遠くを見つめたりしていればいいのだ。誰にだって出来る。ただ、そういうのを全部胸の中にぐっとこらえて、満面の笑みでにっこり。これが難しいんだよな。私もそういう事のきちんと出来る大人になりたいと、心のどこかではやっぱりそう思っている。でもね、やっぱり難しいですね。また溜め息が漏れます…さ、お酒飲も。

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トリノオリンピック観戦記①

しばらくは、文章の大半がオリンピックの事になってしまいます、興味のない人、すいません。でもオリンピック大好きなんです。何でだろう?わからない。夏のオリンピックは言わずもがな、冬も好きなんですよね。普段はスキーやスケートなんて全然見ないのに。

まずは女子モーグル、上村愛子、良い滑りでしたね。メダルには届かなかったけど、会心と言ってよかったんじゃないだろうか。モーグルという競技は、単にタイムを競うだけではないから、ちょっと我々素人には基準が分かり辛い所もあるのだけれど、でも確かに上村愛子は見ていて「おおっ…!」って口から漏れてしまうような滑りで楽しませてもらった。メダルを取った選手の滑りは確かに凄かった、名前忘れたけど。でもオリンピックではついつい日本人選手を応援してしまう。ナショナリズム?そうかもしれないな。

簡単ですが、しばらく続くであろうトリノオリンピック観戦記の第一弾です。お付き合い下さい。

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序章

来たね、冬のオリンピック。オリンピック大好きな私は、きっと翻弄されるんだろうけれど、頑張ります!

夜寝ます、朝起きます!

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2006年2月11日 (土)

左脳を刺激する作業

祇園のライブハウスで深夜の演奏を終えてから、まんが喫茶に寄ってこれを更新している。件の店での演奏は、いつも終わるのは深夜の4時か5時ぐらい、へとへとになって帰るのが常であるが、今日は遅くまで寝ていたからまだ少し元気が残っている。という訳でこのブログの更新をしようと、決心したのだ。

リンクの所に私のお気に入りのお店を三件入れてみた。それぞれの店主に許可は取ってないが、まあ多分許されるだろう、みたいな軽い気持ちで。それと三月のスケジュールを更新した。コンピューターに小慣れた人ならばあっという間の作業だろうが、私はたったそれだけに二時間かかった。馬鹿と貧困は罪だな。こういった作業は、何か脳を麻痺させるような楽しさがある。英単語を覚えるのと一緒だ。時間が経つのが普段よりも早く感じる。普段まったく使わない左脳を刺激しているかのようだ。私は生粋の左利きなので、字を書くのも箸を持つのも全て左手だ。左脳はあまり刺激されにくい生活を送っている。論理的思考の苦手なバカタレだ。だからといって自分の事を右脳の発達した人間だとは全く思わない。左脳の発達していない人間だと自覚する事はあっても。

あ、でもピアノを弾く時は右手を使うなあ。と、いう事は私の論理的思考の苦手な一面は、死ぬまで直らないのだろうか。まあ、いいや、それでも何とか生きていけるので。

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2006年2月 7日 (火)

キッチン

吉本ばななの作品について書く訳ではない。なかなかに面白い小説ではあるが。文字通りのキッチン、即ち台所について書く。いきなりだが、私にとってはキッチンという物は憎むべき存在だ。

これまでに結構様々なバイトをしてきたが、二十歳前後ぐらいの時期には主に飲食業のバイトをしていた。通算二年半から三年くらいはやったと思う。レストランの厨房で働いた事もあるし、餃子の王将で餃子を焼いた事もある。祇園のラウンジ・バーでバーテンダーの真似事をした事もある。その結果、私は一つの残酷な事実と遭遇する事になった。そういったバイトをしていく中で、薄々気付いてはいたものの自分ではなかなか認めたくなかった事実だ。もはや認めざるをえない。それは、私には飲食業の才能が微塵もない、という事だった。

関西弁で言うと「ドンくさい」という所だろうか。キッチン内での効率的な身の処し方がわからなかった。根源的に料理や酒を作る事に興味がないからだろうか(食べたり飲んだりするのは好きだ。かなり好きだ)、レシピや店内の食器の位置などがまるで覚えられなかった。故にオーダーが通った時には一瞬狼狽する。最も効率的な動きを考え、シュミレーションしようとするが、それは暗中模索のまま体を動かし始めなくてはならなくなる。私の観念の流動よりも一歩早く世界が回りだすのだ。結果、オロオロする。わかっている人から言わせれば、まさしく「考えるな、感じろ」なのだろうが、私は考えてしまう。休むに似たり、そういう事だ。そしてそういう事態に陥った時に、ここぞとばかりに姿を現わすのは、私の生来のいい加減な性分だ。「よくわかんねえし、まぁこれでいいか」という啓示が私の脳裏に光臨し、適当にその場を繕おうとする。そして当然、その浅薄な企みは表象世界へと顕在化し、バイト先の店長やら先輩やらに怒られる。心の中では「うへえ、怒られちった」てな訳だ。

という事で、キッチンの前に立つと何だか怒られそうな気に自動的になるので、私はキッチンが嫌いだ。そんな私も自分の家ではよく料理をするが、すると言っても米を炊いて納豆ご飯を作るとか、サッポロ一番のインスタントラーメンを作るとか、大半はそんなものだ。全ては貧困が原因だ。私が多少に裕福ならば、毎日外食する。間違いない。

そんな自炊生活の中でも、少しぐらいは私なりに工夫をする。向上心のないやつは馬鹿だ。今日は、サッポロ一番のみそラーメンと塩ラーメンをブレンドして、一杯のラーメンを作った。「ふえるわかめ」ともやしを少し入れて、最後に卵を落とした。これで何となく体裁を繕ったような気になって、満足して食べた。決してとびきり美味い訳ではない。気の持ちようという事だってあるのだ。

寝る前には一杯だけビールを飲む。最近少々発泡酒に飽きてきた。たまにはギネスの生でも飲みたいものだ。

キッチンには使い終わった食器が、まるで義務と権利を主張するかのように厳然と存在を主張している。わかっている、わかっている。洗い物をしなければ。キッチンは再び私を憂鬱にする。私は今日は洗い物をしない事に決めた。

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2006年2月 4日 (土)

少し落ち着いて

文字に直すのに困難な、なかなかデリケートな問題というのもある。数日前の1月31日、正午丁度に私の最愛の師匠市川修が他界した。師匠について書くことは今の私には難しいので、ここ数日の間で私の身の周りで起こった事実のみを簡潔に記す。

一昨日2月2日が前夜祭、昨日2月3日がお別れ会であった。良い意味で前代未聞の葬式になった。来て頂いた方はよく分かると思うが。

昨日は火葬場に同行してから全てが終わって家に帰ってきたのは午後四時ぐらい。知らない間に携帯電話にたくさんメールが届いていたので返さなくては、と思い携帯をいじっているとそのまま寝てしまった。起きると夜の九時であった。サックスの黒田氏から、私の家の近所にあるライブハウスmojowestで師匠の映像を見ながら飲んでいるし来ないか、との連絡があったのでmojowestに向かう。夜中の二時ぐらいまで飲んだ後、店員の北川さんという方と河岸を変えて再び飲みに行く。家に帰り着いたのは、明け方五時ぐらいであった。雪がぱらついていて、とても寒かった。たくさん酒を飲んだにも関わらず殆ど酔っていなかった。疲れからか、そのまま寝てしまい、気付くと今日の夕方五時を回っていた。何だか動くのも億劫であったが、そういえば最近このブログをいじっていないな、と思い、近所のネットカフェにやって来て簡単な更新をしている。

月並みな表現になるが、ぽっかりと胸に穴が開いたかのような喪失感がある。家に帰ってルイ・アームストロングのレコードをかけよう。明るい音楽が聴きたい。とびきりに明るい音楽が。

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2006年2月 1日 (水)

明日、二月二日

スケジュール(左上のプロフィールの所から見れます)にも書いていた通り、当初の予定では、明日二月二日は四条河原町グリニッジハウスにて吉田さん親子のバンドでピアノを弾く事になっていましたが、急な用事で私が出演出来なくなってしまいました。楽しみにしていた方、並びに関係者の方、この場を借りて深くお詫び申し上げます。

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