屋上にて
大文字の山が見える。私は数ある京都の祭の中でも、特に大文字焼きという祭が嫌いだ。明確な理由こそ答え難いが、何とも俗っぽい印象が拭えない。京都に暮らし始めてもうすぐ丸八年になるが、その印象は未だに変わらない。祇園祭も嫌いだ。そもそも祭という物それ自体が私は嫌いなのかもしれない。
だが唯一、祭囃子だけは例外なく私の心を捉える。色鮮やかな山車の上で鳴り響く笛の音や太鼓の響きには、その華やかさの裏に何とも言えない寂しさが湛えられている。華やかさより寂しさに心を惹かれる時、私は自らが日本人である事を考えさせられる。皮肉なものだ。
眺め始めて五日目になる屋上からの風景が、次第に視界に馴染んで来た。祈ることの不毛さ、けれど祈らずにいられない自らの不甲斐無さを私は噛みしめている。
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コメント
はじめまして。ひょんな事から時々読ませてもらっています。屋上から見える大文字、私も祈る気持ちで見ていた事がありました。もしかして同じ場所かもしれませんね。今でも大文字の時期になると思い出し、胸が締めつけられます。勝手な事を書いてすみません。
また明日から冷えるそうです、ご無理なさらないようしてください。
お祈りが届きますように。
投稿: りんご | 2006年1月18日 (水) 00時53分
りんごさんへ
はじめまして。暖かいコメントありがとうございます。コメントを返すのが遅くなってしまった事、すいません。良くも悪くも無宗教であった僕が、ひたすらに祈り続ける毎日です。不思議な感じです。簡単ですみません。
投稿: 福島剛 | 2006年1月25日 (水) 12時30分