The Idiot in the Rye
酒を飲みながら、J.D.サリンジャーの『The Catcher in the Rye』をパラパラとめくる。多くの人が、自分だけの「青春の一冊」を持っているだろうが、『The Catcher in the Rye』は私の「青春の一冊」の中の一つだ。そして「青春の一冊」には必ずと言っていいほど、何か恥ずかしいような思いが付き纏う。ドストエフスキーの『地下室の手記』やらニーチェの『ツァラトゥストラかく語りき』やらカミュの『異邦人』やら夏目漱石の『こころ』やら坂口安吾の『堕落論』やら太宰治の『人間失格』やら…列挙するだけで恥ずかしくなって来た。でも認めざるをえない。私はこういった作品群が「とても」好きだったし、これらの書物に強い影響を受けた。露悪趣味で、もっと正直に白状しよう。高校生の時分、毎年6月19日には学校をサボって三鷹の禅林寺に行っていた。何をしに行ってたかは秘密だ。気になる人はインターネットででも何でも調べてほしい。まあ下らない事をしに行ってたのだ。全くもって大した事ではない。思い出したお陰で(さらにそれを文章にしているお陰で)顔が熱くなってきた。酒のせいでも風邪のせいでもない。きっと津島修治 と森林太郎のせいだ。余は石見の国人、森林太郎として死なんとす。だったっけかな、クソッタレが。
中でも『The Catcher in the Rye』は特に顔から火が出そうなほどに恥ずかしい一作だ。高校生の時に好きだった女の子に「面白いから読んでみなよ」と教えてもらった作品だ。そして読んだ。面白かった、ああ面白かったよ。面白かったついでにここからは『The Catcher in the Rye』の主人公ホールデン・コールフィールド風口調(by野崎孝)で書いてみる。
その時のぼくときたら、その女の子に気に入られたい気持ちと、人から知らない本を紹介された気まずさ(本の話をされた時に「あ、それ読んだ事あるよ」と言えないのはぼくにとってはちょっとばかり屈辱だったんだ、低能だねえ)で一生懸命読んだんだ。何回も何回も。お陰で今じゃ冒頭部分ぐらいならそらで言えるようになったよ。日本語だったら「もし君がほんとにこの話を聞きたいんならだな…」だし、英語だったら“If you really want to hear about it…”だったと思う。間違ってるかも知れないけれど、そんな事はどうだっていいんだ。今ぼくが言いたいのは、いかにぼくが『The Catcher in the Rye』を何回も読んだ事があるかっていう事だからね。理由はクソみたいに下らない理由だったけれど、そんな風にして読んだって訳さ。馬鹿げてることは知ってるよ。それで肝心かなめの話なんだが、何回も『The Catcher in the Rye』を読んで、結局その女の子と仲良くなれたかって言うと、それはさっぱりだった。多分その女の子はぼくにあんまり興味がなかったんだと思う。そういう事もあるよ、こればっかりは仕方がないよね。でも、その女の子と すっかり疎遠になってしまってからも、ぼくは『The Catcher in the Rye』をさらに何回も読み返したんだな。何て言うか、もうその女の子の事はあんまり関係なくて、「本当に」『The Catcher in the Rye』が好きになっていったのかも知れない。一回ページをめくってしまえば、ぼくはいつだってホールデンに気持ちを映し換える事が出来たし、ストラドレーターやアクリーにだってなれた。きみは不思議な事に思うかも知れないけれど『The Catcher in the Rye』の中には「ぼく」がいたんだ、紛れもなく。わかるかい、親友?
最後だけ『The Great Gatzby』になってしまった。ちなみに『ギャッツビー』は私には全然面白さがわからない。
『The Catcher in the Rye』の事を書くと、上記のような理由からとんでもなく私は恥ずかしくなってしまうのだが、書いてみた。今日は取り立てて他に書く事もなかったので。
今数えてみた所、私は『The Catcher in the Rye』を全部で四冊持っている。白水社から出ている野崎孝訳の文庫本とハードカバー(どちらもタイトルは『ライ麦畑でつかまえて』)、そして同じく白水社から出ている村上春樹訳の物、それとリトルブラウン社から出ている英文のペーパーバック、計四冊だ。英文のペーパーバックは、単語のメモがちょこちょこしてあるぐらいだが、野崎孝訳の文庫本はびっしりと書き込みやら傍線が引かれている。最後にかつて私が傍線を引いた箇所を紹介して終わりにしたい。こんな下らない文章ですが、読んでくれた方の中で「ちょっと『ライ麦』、(また)読んでみようかな」と思って下さった方がいれば幸いです。結構面白いですよ、久々に読んでも。
「雨が急に馬鹿みたいに降りだした。全く、バケツをひっくり返したように、という降り方だったねえ。(中略)すっかりずぶ濡れになったな。(中略)でもとにかく、ずぶ濡れになっちまった。しかし、僕は平気だった。フィービーがぐるぐる回りつづけてるのを見ながら、突然、とても幸福な気持になったんだ。本当を言うと、大声で叫びたいくらいだったな。それほど幸福な気持だったんだ。なぜだか、それはわかんない。ただ、フィービーが、ブルーのオーバーやなんかを着て、ぐるぐる、ぐるぐる、回りつづけてる姿が、無性にきれいに見えただけだ。全く、あれは君にも見せたかったよ。」
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