自意識過剰なカレー
何回か前にフィギュアスケートの村主章枝が自意識過剰な感じがしていけ好かない、と書いた。そして確か今日、カレーを作ったと書いた。その二つの事を足し算して今日は書きたい。一つ書いたらもう一つ生まれて、その二つが合わさって別の物が出来る。おお、低俗な弁証法みたい。
まず、何故に自意識過剰な人がいけ好かないか、という所から。それはとても簡単な理由。私自身がとても自意識過剰だから。つまり、近親憎悪の一種だ。自分によくわかる欠点の一つだからこそ、逆に腹立たしく感じる。誰もお前の事なんか注目しちゃいねえって、この「その他大勢」の一人が!って、普段自分に向かって吐いているように、心中で毒づいてしまう。もちろん、前述の村主章枝なんかは(彼女が実際に自意識過剰かどうかは別にして)今や注目される存在になった訳だけど。
そしてカレー。どうしてここに結び付くのか。 昨日、カレーを作ろうと思って近所のスーパーでじゃがいもと玉葱と鶏肉とカレールウと、ついでにビールを一本買った。普通の買い物である。問題なのはこれらの買い物の組み合わせだ。どこからどうみても「カレーを作ってビールで一杯飲ろう」という人間の買い物だ。
そうだ、察しの良い方ならもう気付いたとは思うが、私はこういった買い物の際に、私の生活を多少なりとも店員という他人に知られる事に、何とも言えない恥ずかしさを感じていたのだ。もちろん嘗て、ではある。過去形で書く事の出来る話だ(だからこそ今こうやって衆目の元に笑い話として書ける)。 笑止。誰も私の食卓なぞに何の興味など抱いていない。全くもって笑わせる話だ。
西洋が「罪の文化」なのに対して、東洋(特に日本)は「恥の文化」だという。こと私に限って言うならば、それは当たっている。すぐに恥ずかしいとかみっともないとか思う「思考の習慣」みたいな物がある。
でも最近図々しくなってきた。まあいいや、そもそも恥ずかしい人間だしって開き直ってしまう部分が大きくなってきた。
のんびりいこうぜ。最近の私の口癖だ。のんびりやります。三歩進んで二歩下がる、みたいな感じでね。
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