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2005年12月19日 (月)

最初に

仮に「なぜ音楽をやっているのか?」と聞かれたとする。
答え方には幾つかの選択肢が存在すると同時に、逆説的な言い方になるがまだ私には明確な答えを導き出せない。
しかし、当面の結論の内の或る一つとして「私が喋りたがりだからだ」という答えが存在する。恥ずかしながら、と付け加えた方が良いのかも知れないが、私は喋りたがりだ。良くも悪くも。

音楽家を極めて大雑把に二分すると、比喩的な意味になるが、喋り上手な音楽家と聞き上手な音楽家に分けられる(セロニアス・モンクやグレン・グールドのような特異な例を除いて。彼らは「黙り上手」なのではないだろうか)、と私は思う。勿論一流の音楽家はその両面を併せ持っているが、今はそこには触れずに単純に二分化しよう。
喋り上手と聞き上手、という異なった音楽家同士の邂逅が思いもかけない名演を生む事がある。オスカー・ピーターソン(p)とレイ・ブラウン(b)の一連の録音などは、そういった良い邂逅の有名な例の一つだ。どちらが喋り上手でどちらが聞き上手なのかは言うまでも無いだろう、ピーターソンの溢れ出んばかりの言葉達に、レイ・ブラウンが絶妙な相槌を打つ。その相槌によってまた更なる言葉が発せられる。その後、ピーターソンがニールス・ぺデルセン(b)をベーシストとして迎えた時には、「喋り上手」同士の新たな閃きがそこに現れた代償として、レイ・ブラウンとの間にあったような和やかな空気は失われてしまった。同じピアニストとベーシスト、という事で言えば、ビル・エヴァンス(p)とスコット・ラファロ(b)という組み合わせもこの「喋り上手と聞き上手」の組み合わせで考えて良いのではないだろうか。ただし、この場合は、ラファロの言葉をエヴァンスが引き出している、というケースが多いのだが。
それとは対照的に、喋り上手なミュージシャン達が肩を並べて、信じられないサウンドを作り出したケースもある。私の大好きなジョン・コルトレーン・カルテット(コルトレーン(sax)、マッコイ・タイナー(p)、ジミー・ギャリソン(b)、エルヴィン・ジョーンズ(ds))などもそうだし、チャールズ・ミンガス(b)・グループにエリック・ドルフィー(様々な笛)、“ラサーン”ローランド・カーク(それ以上に様々な笛)が同時に在籍した時もそうだ。言葉を発したくて仕方がなかった男達の、たまらなく猥雑で、それでも美しすぎる音楽がそこには在った。

翻って私自身を彼らに照らしてみる。その行為自体がおこがましく、そして馬鹿げた行為ではあるのだが。私は先刻自らを「喋りたがり」だと称した。その事に間違いはない。そして、私はまだ「喋り上手」ではない。ここが決定的なダメージを私に与えるポイントだ。言いたい事は音楽の中に全て込めれば良い。自らの確固たる意思に反する物には抗えば良い。何故自分が喋りたいのかを冷静に分析し、他の喋りたい人間の為にもスペースを空けられれば良い。これらは皆、先に挙げた喋り上手な音楽家達が持っていて、私が未だ持ち得ない特質だ。

挙句の果てにこうして自分の思いを文字に(音にではなく!)直している。音楽家の風上にもおけないと我ながら思う。その通りだ、私はまだ「音楽家」ではない。
暫し自問する。けれどそれはそれで結構な事なのではないだろうか。文字という媒介を使って、私には何かを喋りたいという欲求がまだあるのだ。なくなったら口を閉ざせば良い。

あまり不特定多数の人にこういった心情吐露をするのも失礼だと考えたので、当面はこのブログの在り処は私が教えたい人にしか教えない事にした。この点に関しては、どう変化するのか、私にもわからない。どこかで図々しく開き直るかもしれないし、或いは更に殻に閉じこもるかもしれない。
最初だから、という理由で決意表明のつもりで一生懸命書いた。でも、あまり余所行きの文章にならないようにしよう、という目標もある。そして毎日更新するつもりはあまりない。それでも良かったら、たまに見てやって下さい。

                                      
                                  福島 剛

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コメント

がんばって更新しろよ~!

・日記の中味について

例えば俺の場合、この問題は「書くこと」に直結するのかもしれない。「聞き上手な書き手」というのは形容矛盾なようでいて、存在しないわけではない。例えば寺山修司のような人がいるよね。

で、いずれにしてもそこには確固たる「技術」というのが求められることになる。こと、音楽においてはそうだ。技術におぼれてはいかんわけだが、表現したいことに技術が追いつかない状態を、そのままにしておいてよいわけではない、と。

(俺の)音楽についてはようやく、「何を表現したいのか」が漠たる形を得てきた、という段階です。ま、言ってみればようやく門前の小僧になった、というところでしょうか。死ぬまでに、いい演奏を一度でもできることを目指して。

いずれにしても、「この手のこと」ってのは非常に個人的な問題だから、嫁はもちろん、音楽仲間にすら決して理解してもらえないんだよな。

投稿: torii | 2005年12月19日 (月) 18時47分

ん~…お前は音楽すっからこんなブログもありやけど、もっと軽く、そう、基本は日記なんやからもっと軽いのも挟めよ。極端本日おすすめのお爺さんのオカズとか。実際お互いくだらない事考えてる時の方が多いんやからさ。そんなくだらない自分を改めて文字に直して表現した時の福島はなかなか笑えるし。もちろん音楽について熱い日記を綴るのも大切やで。俺は斜め読みやけどね。

投稿: suga | 2005年12月20日 (火) 17時21分

鳥居さんへ
ありがとうございます。「聞き上手な書き手。寺山修司。」なるほどね。僕が気付かなかった視点です。幸田文なんかもそうかも知れませんね。今ふと思いました。「死ぬまでに、いい演奏を一度でも出来ることを目指して」。確かに。「いい演奏をした気になる時」っていうのは多々あるんですけど、じゃあ実際にどうだったのか、と言われれば、勘違いの時の方が圧倒的に多いですよね。でも、二時間ステージやったら、確実に計3分ぐらいは「良い瞬間」っていうのがあるんです。僕の場合、当面はその時間を少しでも延ばせられるようにするのが目標です。お互い、ジャズなんていう酔狂なモノに魅せられてしまった者同士、悪あがきを続けましょうよ。

菅原さんへ
そうですね、言われた通り、初回はちょっと「空気の読めていないテンション」で書きすぎてしまったかな、と自戒してます。確かに今読み返すと少し恥ずかしい。まあ、きちんと場の空気の読めるような人間だったら、ここまでのようなたくさんの失敗はないわけで、これからもそういった事で失敗するのかな、とは思っています。お爺さんのオカズは書くかどうかはわからないですけれど、以前に比べて確実に「食」への興味が高まっているのは事実。(年取ったのかな?)だから、菅原さんの家に遊びに行った時に、賞味期限を半年も過ぎた納豆を食べさせるのはやめて下さい(笑)今の所、何を食べても体に変調をきたさない僕もどうかと思いますが。

投稿: 福島剛 | 2005年12月21日 (水) 18時18分

ちは。お久しぶりです。なんかそういう硬いことは書けないんですが、ちょくちょく更新してくださいね。見ますし。
あと、プロフィール空けたらなんもかいてなかったのはちょっと笑いそうになりました。
あと、木の写真は真っ暗でしたよ(._.)

投稿: マユコ | 2005年12月24日 (土) 23時54分

マユコへ
ありがとう。書き込みできてるじゃんか。プロフィール欄は、察しの通りかも知れないけれど、面倒臭いのでほったらかしてあるんだ。今日は近所のネットカフェからだ。上の階がスタジオになっているので、ロックの音がけたたましく鳴り響いているぜ。元気が一番!かな?

投稿: 福島剛 | 2005年12月28日 (水) 22時33分

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